ナイトゲーム
「わざわざセクターZくんだりまで行ったってのに、土産の一つもないのか?」ファナナはビールカップを片手に、バッターボックスに視線をやりながら言った。「勘違いするなよ、パッケージだけご当地の名前を入れて限定感を出したどこにでもあるような菓子折りを期待していたわけじゃあない」
「土産話で十分だろう?」私はビールカップのふちを噛んだ。「だいたい、あの"ハンサム"は犯人じゃない。やつに人を殺すような度胸はない。それを度胸と呼ぶのならね。女から端金を騙し取るくらいしか脳がないような男だった」
「それならそれで、面くらい拝んでみたかったね」
「あんたが? セイディに見せてやりたかった、の間違いだろう?」
「そんなことしてみろ、その男がクロだろうがシロだろうが、尻の穴に銃弾ぶち込まれておしまいだ」
「気性の荒い女だ」
俺たちは顔を見合わせず、小さく笑い合う。
「短剣のタトゥーってのは、どっちだと思う?」ファナナは言った。グラウンドでは、ハインラッド・ラッツの三番マテオが凡退したところだった。
「あの女が見たのは胸元なんだろう? 囚人のタトゥーか、ファッションタトゥーのどっちかだと思うね。軍人が彫っているんだとしたら背中だと思う。私服とはいえ、胸元がはだけた服を着ているっていうのもイメージに合わない。それを誇りとするなら、安安と他人に見せるとは思えない。ま、〈キプチャク〉の軍人なんてもんが存在すればの話だけどね」
「黒薔薇の方は? マフィアが〈組織〉を手本にしたとその海賊の幹部は言ってたんだろう? 俺にはそのへんがよくわからない。"エンコ"を詰める、みたいなことなのか?」
「いや、見せしめじゃあない。取引に使うんだ」
私が〈組織〉にいた頃、非合法物資の取引には〈組織〉に属さないチンピラを使いに出していた。チンピラは仕事の内容を覚えさせられた後、〈組織〉の抱える彫り師の元へ連れていかれ、タトゥーを彫らされた。大抵は喜んで、名誉にすら思っていたが。そのタトゥーこそが、本当の取引内容だった。
昨今では、以前よりもサイバーパトロールが厳しくなった。呼応するように裏通信アプリの開発も進んでいたが、それでも、確実に安全というものはない。いつかどこからか捜査機関に漏れてしまう。そのいつかがいつなのかはともかく、〈組織〉は常にそのリスクを考えていた。そこで考えられた対策がアナログだった。当初は、昔のように紙に書かれていたが、それだと燃やす前に捜査機関に見つかる危険性がある。まあ、言い出したらキリがないのだが。
とにかく、〈組織〉は紙からタトゥーへ伝達方法を変更した。捜査機関や敵対勢力に捕まっても〈組織〉との繋がりを明確に示すものはないような小悪党を、手紙代わりに使うことにしたのだ。当然、手紙となるチンピラにはタトゥーの意味は教えられない。木を隠すなら森の中。一見意味のないファッションタトゥーを彫らせ、同じような人間を何人か用意すれば、意味のあるタトゥーはただのタトゥーの中に隠れる。誰も気には留めない。
取引相手とは、前もって解読パターンを決めておき、タトゥーに刻まれた暗号文を解読する。
例えば、"手紙"が"黒薔薇"だとするなら、たわいもない日常会話の中に、そのワードを入れ込み、解読パターンを伝える。
『うちの馬鹿息子は、女を口説きに行くってのに、黒い薔薇なんてもって行きやがったんだ』
とかなんとか。それを訊いた取引相手は、"黒薔薇"のタトゥーを探し、そこから内容を得る、というような流れだ。
タトゥーは服の下に彫るものだから、大抵は"手紙"となるチンピラを風俗店に送り込む。景気付け、とかなんとか言って。相手をする風俗嬢は、取引相手の仲間であり、隙をみてタトゥーの写真を撮る。店ぐるみで協力している場合だってある。どちらにせよ、女の裸の前では、男は思考が鈍くなる。取引の本当の内容を伝えるのには、最善手だった。
「つまり、マフィアが〈組織〉のやり方を真似て、チンピラに黒薔薇のタトゥーを彫らせ、麻薬なり違法銃器なりを取引してるってわけか」
「あるいは臓器売買。人身売買ってことも考えられる」
ファナナは険しい顔で私を見た。歯を食いしばっているのは、ラッツの四番が凡退したからというだけではなさそうだ。
「アンジーのダーリンは"黒薔薇"のヒモだった。アンジーはコールガール・エンジェルだった。その二つが重なれば、"エンジェル"が売られたという可能性も出てくる。つまり、望まない相手に望まない方法で、身体を売らされた。あるいは、売らされそうになった」
「そして殺された?」
歓声の中の沈黙。
結局、ラッツは四回裏の攻撃を、満塁無得点で終えた。
「"短剣"と"黒薔薇"、容疑者は二人ってことか?」ファナナは攻守交代の間に、売り子から新しいビールとつまみのスナック菓子を買った。
「なんとも言えないな」私は新しいビールを買い、売り子のお姉さんがいなくなってから言った。「"短剣"と"黒薔薇"が同一人物なら、あの痩せた男じゃあない。あいつに刑務所での殺人は無理だ。ただのファッションで"短剣"を刻んだってことも考えらるが、違う気がする。ボノのやつは、あいつが"黒薔薇"だと言った。嘘を言っていたとは思えない。本当に、やつの身体に"黒薔薇"を見たんだ。もしもそこに"短剣"もあったのなら、あのとき真っ先に口にしていたはずだ。おまえの捜している男はあいつだ、ってね。そう言わなかったってことは、あのガリガリのハンサムは"短剣"じゃないよ。セイディが見た"短剣"は別にいる。でも、"黒薔薇"が一人だっていう証拠もない。"短剣"の人物に"黒薔薇"が彫られているのかもしれないし、ガリガリとは別のハンサムがいて、そいつにも"黒薔薇"が彫られているのかもしれない」
「可能性を考え出したらキリがないな」
「ああ。そもそもこのタトゥーを追うっていうのが正しいのかもわからない。悪党の紋章なのか、ファッションのタトゥーなのか、俺たちにどうやって見分けがつく?」
ラッツの先発投手は、ラビットホープ・カウボーイズの四番打者に、三球目を打たれ、進塁を許した。
「次はどう動くんだ?」ファナナはマウンドに熱視線を送りながら言う。「タトゥーの意味がなんであれ、手がかりは残ってないんじゃあないか?」
「俺が餌になるよ。元々、そうするつもりだった。だから、ラビットホープに宿をとったんだ」
「つまり?」
「ゼペタを釣る。派手に聞き込みをして回ってるのもそのためだ。ゼペタギャングのチンピラが寄ってくれば、そこからボスの何所が掴めるかもしれない。ゼペダ・ゼペタか、パラディーノなのかはわからないが」
「なるほどな。だが、おまえが今いるのは、〈ラッツ・スタジアム〉だ。ハインラッドであって、ラビットホープじゃあない。二つの都市が近いのは認めるが、その距離はどれだけあると思う?」
「アストラナードで飛べば、一時間もかからない。それより先に行きたいのはヴィオレッタの方だ。あんたにもついて来てほしい」
「ヴィオレッタはニューカラントですらない。ラビットホープのさらに先だ。どうして俺がわざわざ州を越えなきゃならない?」
「あんた、というよりセイディ、というべきかな。ただ、俺はあの跳ねっ返りと二人でいたくないんだ。あんたにも悪いしね」
「俺に悪い? 何が悪いってんだ。からかうんじゃあねえよ」ファナナは視線だけで私を見て、すぐにマウンドに戻した。「ヴィオレッタにはアンジーのアパートがあったな。中に入りたいのか?」
「セイディが鍵をもっているんだろう? 嫌なら別にいいさ。スギサワに頼めば、なんとかなるだろうから」
「アンジーのアパートからはすでに警察は撤退している。セイディの鍵を使えば、モーテルに戻るくらいにはスムーズだろうな。話はすでにしてある。セイディはすでにヴィオレッタに向かっている頃だろう。俺たちも、試合が終わったら向かおう」
「九回で終わるといいな」
ラッツは同点タイムリーを打たれたところだった。
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