宇宙海賊

 スーツの男たちに連れて来られた二・五層の部屋は、スカンジナビア風のインテリアで統一されていた。ソファ、ローテーブル、デスク、テレビ、レコードプレーヤー、本棚。ミニバーとプロジェクトマッピングの映像が灯る暖炉。一つだけかかる絵画は、二十世紀の美術品のコピーだろう。ここが賭場でなければ、シックなモデルルームとしても通用するのかもしれない。

 中央の革張りのソファには、一人の男がいた。灰色の––––私の目でも灰色はなんとなくわかる。本当は、白なのかもしれないし、まったく別の色なのかもしれないが––––スーツを着て、ネクタイはなし。第三ボタンまではだけた胸元からは、十字架のタトゥーが覗いていた。

「久しぶりだね」私はストライプの男たちに囲まれながら、ソファの男に言った。

 男は曖昧に頷くと、右手を顔の横で振った。出ていけ、という合図らしい。ストライプの男たちはすぐにそれに従った。部屋に残されたのは、私たち二人だけ。

「海賊もスーツを着るんだな」私は煙草を咥えた。

「宇宙海賊、だ。頭にバンダナ巻いているとでも思ったか?」

「あんたの部下に、そういうやつがいたような気がするけどね」

 男はゆっくりと葉巻に火をつけた。「おまえは、死んだとばかり思っていた」

 私は肩をすくめた。

「〈組織〉は、今もおまえを捜しているぞ」

「そうだろうね」

「どうして俺に会いに来た? ここなら安全だとでも?」

「ちょいと訊きたいことがあってね」

「〈組織〉におまえのことをチクるつもりはないが、同じくらい〈組織〉と敵対するつもりもないんだ。ダン=パード・グレイ。おまえにまた会えたのは嬉しい。心からそう思う。だが、力になれるとは思えない」

「安心してくれ、ハンゾー・ボノ。〈組織〉とはなにも関係ない」私は思い出したように煙草に火をつけた。「あんたは正しい。俺は––––ダン=パード・グレイは一度死んだ。三年前のあのとき、死んだんだ。今の俺は私立探偵、ダン・ヴォルフハルト。気の利いた名前だろう?」

 ボノはため息のように深く、濃い煙を吐いた。

 古い友人同士の間の沈黙。

 先に沈黙を破ったのは、私の友人の方だった。「話せよ」

「短剣のタトゥー」私は二本の指で煙草を挟む。「そう訊いて、なにを思い浮かべる?」

 ボノは眉間に皺を寄せ、葉巻を唇の端で咥えた。思考の間があり、ようやく口を開く。「俺を試しているのか? それとも……」

 私は黙って煙を吐く。

「答えてやるよ。短剣のタトゥーはムショの囚人のタトゥーだ。特に、ニューカラント州ピーナッツバレー刑務所で彫るな。片方の鎖骨に柄、もう片方の鎖骨に切っ先があれば、服役中の囚人が刑務所内で殺人を犯したことを示す。俺はまったく懲りてない。反省なんてこれっぽっちもしてない。ムショだろうがシャバだろうが、生きている限り人を殺す。そういうサインだ。一部じゃ、それがステータスになる。おまえも、よく知っているはずだがな」

「思い浮かんだのはそれだけか?」

「ああん?」

「俺は鎖骨のタトゥーなんて言っていない。他にも浮かんだタトゥーがあるんじゃあないか?」

「おい、ダン。それは意地が悪過ぎやしねえか。確かに鎖骨とは言わなかったがよ、どことも言わなかったじゃねえか」

「でも、思い浮かべたものがあるんだろう?」

 ボノは深い煙を吐く。「ダン。おまえはなにを追ってる? 俺たちは対等の……確かに、おまえに借りがあるのは事実だがよ、それでも、俺はおまえの部下じゃねえ。対等の関係じゃあねえのか?」

 私は、抜け落ちた鹿の角で作られた灰皿に煙草を捨てた。

「女がいた。エンジェルと呼ばれた娼婦だ。彼女は独りぼっちで、ラーメン屋のゴミ捨て場で死んでいた。確かに、彼女はエンジェルと呼ぶには少しばかりじゃじゃ馬が過ぎたかもしれない。でも、それがゴミ捨て場で死んでいい理由にはならない。彼女はずっと独りぼっちだった。死ぬ前も、死んだ後も。身寄りもなく、心の拠り所もなく、たった一人で、必死に生きてきた。少なくとも、俺やあんたのように薄汚れた行為なんかには手を染めずに。そんな女の、唯一の友人が、俺に助けを求めてきた。まあ、とてもそんな態度じゃあなかったが。

 俺はエンジェルを殺した人間を捜している。たとえそれが見つからなかったとしても、せめて彼女がどういう人生を歩んできたのか、少しくらいは知っておいてやろうと思う」

 これはな、ボノ。俺が今まで見てみぬふりをしてきたエンジェルのような人間たちへの贖罪なんだ。

 肝心な部分は、うまく言葉にすることはできなかった。

「もういい。それ以上は訊きたくねえ」ボノは葉巻を咥えたまま目頭を押さえた。「相手は相当やばい連中かもしれねえぞ。今度こそ、おまえは死ぬかもしれねえ」

「俺はすでに亡霊だよ。なにに怯えなきゃいけない?」

 ボノはギロチン式のシガーカッターで葉巻の先を切り落とす。一度口を開けば、溜まっていた何かが溢れ出すように語り続けた。「昔、人間がまだ地球の上でしか生きられなかった頃、地球外の生物は"宇宙人"って呼ばれてた。そんな顔するなよ。俺だって信じられねえ。それで言うんなら、地球外で生まれた俺たちだって宇宙人ってことになる。今や、火星の方が人口が多いんだからなあ。だからだろうな。人間が地球を出るようになって、宇宙人なんて漠然とした言葉は無くなった。人間以外の生き物だって、地球を連れ出されてたせいで、独自の進化を遂げたものも多い。どの種が、最初から地球外にいた生き物かなんて、専門家だってどこまでわかっているのか怪しいもんだ。何が言いたいかだって? 木星開拓だよ。ハイスクールの宇宙史じゃ、木星開拓、なんて呼ぶがよ。本当にあったのは侵略だったと、俺は思うね。だってそうだろ。火星から木星へと広がるこの宇宙に、どれだけの小惑星があると思う? そのほとんどに人間は勝手に名前をつけ、自分たちの惑星にしてきた。別に、それが全部悪いことだとは言わねえよ。ただ、少なくとも軍や連邦政府は、そのどこにも、宇宙生物はいなかった、と断言している。仮にいたとしても、ドブネズミやなんだの害獣くらいのもんだと––––俺は害獣という言葉が一番嫌いだね。生き物への敬意ってもんがねえ。おっと、余談が過ぎたな。俺が言いてえのはな、権威ある専門家が頭を悩ませるような"宇宙生物"ってやつを、どうして最前線の軍人如きが簡単に見分けられるのかってことだ。独自の進化を遂げた地球種じゃねえって、どうしてわかる? 遥か昔からその惑星にいた生物じゃないとどうしてわかる? 

 ああ、わかった。わかってる。早く本題に入れってか? もう入ってる。

 木星開拓の一環としてセクターZが開拓された。それまでは小惑星と認められなかった小さな小さな惑星は人間に奪われ、木星へ続く道としてコロニーが建設された。この〈サルガッソー〉みたいなもんがいくつも作られた。その開拓をしたのは誰だ? 連邦政府だ。誰が実際に行った? 軍だ。その軍ってのはなんだ? な? よく知らねえだろ? 特殊開拓部隊、なんて名前があったそうだが、確かな記述は、あまり残ってねえ。それでも、伝えられていくものはある。お話ってやつだ。セクターZだって、伝承の一つや二つくらいはあんのさ。その一つに、『キプチャク』って話がある。訊いたことは? まあ、ねえだろうな。セクターZの宇宙領域で囁かれる都市伝説みたいな話だ。

 キプチャクってのは、その名の通り、キプチャク=ハンに由来する。元第一特殊開拓部隊の俗称だ。伝承によれば、〈キプチャク〉の軍人たちは、先住民の旧称宇宙人を虐殺し、惑星を侵略したとされている。人類の発展という大義の下の殺戮だ。そりゃあ、伝承を百パーセント信じるなんてことはしねえさ。本当は何があったのかなんて知らねえ。ただな、その伝承の中では、選りすぐりの〈キプチャク〉軍人の肉体に、刻まれてやがるものがあるんだよ。それが、短剣のタトゥーだ。短剣に馬。それから"抜都"なんて漢語や"サン・オブ・ジョチ"なんて言葉も、"バトゥ"なんて文字も彫ってあるらしい。ま、真偽はわからねえが。バトゥを病的なまでに崇拝してるってのは間違いないと思うぜ。俺たちの間じゃ、奴らのことは〈キプチャク〉っていうより、〈バトゥ〉って呼んでる人間の方が多いかもしれねえ。

 通称〈キプチャク〉は解体されて今は存在しねえ部隊だ。かつての所属軍人がどこで何をしているのか、生きているのか死んでいるのか、誰もわからねえ。ただ、恐怖の言い伝えとして残ってる。俺が短剣のタトゥーと訊いて最初に思い浮かべたのはそれだよ。相手が〈バトゥ〉なら、亡霊だって怯える。そういうもんだ。タトゥーがどこにどんなふうに彫ってあるのかも知らねえっていうのによう」

「なるほど」

「もういいか? 一応言っておくが、くれぐれも俺の名前は出さないでくれよ。言い伝えに呪われたくはないんでな」

「わかっている。最後に一つ。薔薇のタトゥーについても訊きたい」

「薔薇? そいつは……軍ではねえな。ピーナッツバレー刑務所じゃ、服役中に成人を迎えたとき、胸に彫るもんだが……それじゃあねえんだな?」

「おそらく。場所は太ももだ。太ももに、黒薔薇のタトゥー」

「おい、ダン。おまえさん、本当に死んじまったらしいな」

「どういう意味だい?」

「そういう意味だよ。〈組織〉の人間なら、黒薔薇の意味をわからねえはずがない。まあ、おしゃれで彫るやつもいるだろうがな。短剣だってそうだ。タトゥーを手がかりにするなんざ、とても一流がやることには思えねえぜ」

「回りくどい言い方だな。どうして〈組織〉と黒薔薇に関係がある? 〈組織〉にそんな風習はない」

「おまえがそう言うんなら、そうなんだろ。〈組織〉の内情を俺が知るわけないだろう? 俺が言ってるのは、〈組織〉と同じようなことをしている連中がいるってことだ。知らないわけじゃないだろう? パラディーノにケンタッキー、ジャコーニもそうか。この銀河の悪党どもにとっちゃ〈組織〉はいい手本だ。隠れファンは大勢いるんだぜ?」

 私は状況がわかりかけてきた。「"黒薔薇"はパラディーノか?」

「知らねえよ。なくはない、って話だ。気になるなら、訊いてみればいいじゃねえか」

「誰に?」

 ボノはデスクに移動すると、備え付けられたスイッチらしきものを押した。暖炉と絵画がない方の壁が反転し、透明になる。きっと、警察署の取調室にあるようなマジックミラーだ。

 私は無意識にマジックミラーに近づき、眼下の二層を見下ろす。

 視界の端からボノの指が伸びてきて、麻雀卓の一つに向いた。

「三番卓にド派手な黄色のアロハシャツがいるだろう? おっと、おまえは何色かわからねえんだったな。あのロン毛だ。東家に座ってオロオロしてる痩せのロン毛。あいつ、また大負けしたみてえだな。前にもあったんだよ。俺はここの経理を任されてるだろう? ギャンブラーへの取り立ても、俺の仕切りなんだ。だから、例外なくあのロン毛のことも取り立てた。身包み剥がしてな。マシンまでは取り立てちゃあいねえが。そんなことしたら、あいつはここから出られなくなる。あんな出来損ないを、ここに閉じ込めておいてもなんの利益にもならねえ。だから、取れる分だけの金目のもんをむしり取って、放り出すのさ。やつがとんずらする心配なんてねえ。多少痛い目にあったって、ああいうやつはどこかでどうにかして金を作って、借金の返済と次のギャンブルに充てるのさ。こんなこと、おまえには言うまでもないか」

「そのときに見たんだな? やつの太ももに彫られた黒薔薇のタトゥーを」

 ボノはイエスと言う代わりに、歯を見せた。確か、金色の差し歯だ。私に色はわからないが、かつて彼は黄金の色だと言っていた。

「やつの名前は?」麻雀卓の"ハンサム"を見ながら言った。

「覚えてねえよ。資料はあるはずだが……どこに保存したかな。管理はイイダに任せてるんだ」

「やつはまだここにいると思うか?」

「さあね。こう見えても俺は忙しい身でね。やつだけを見ているわけじゃあないんだ。あれくらいのギャンブルジャンキーは、ここには腐るほどいる。なんにしてもよ、早くした方がいいぜ」ボノは葉巻に火をつけ直しながら、コズミックウオッチに目をやった。「ゴンサロがもうじき〈サルガッソー〉へ戻ってくる。木星へ向かう輸送船を襲ってきた帰りらしい。相当昂ってるとみるね。おまえがあいつと鉢合わせたら……」

「あんたは助けてくれないのかい?」

「掠奪は海賊稼業の顔。ゴンサロはその専門だぜ? 俺は関わりたくないね。だいたい、船長だってこっちに向かってるんだ。俺はおまえと友達だってことさえ言うつもりはない。面倒ごとは嫌いでね」

「わかった」私は雀卓に視線をやりながら出口に歩いた。「助かったよ、ボノ」

「なあ、ダン。ヴォルフハルトってのは、確か、旧ヨーロッパの言葉だろう? 確か、ウルフハート––––"狼の心臓"って意味じゃあなかったか? 俺にはあまりうまい偽名とは思えないんだがね」

「偽名じゃないよ。正真正銘、俺の名前だ。パスポートを見せる時間がないのが残念だよ」

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