悪名高き領域
アステロイド・ベルトの手前で自動操縦から手動操縦に切り替えた。不規則に流れる隕石の群れに自動操縦で飛び込むのは自殺行為だ。〈マーズワン〉で出会ったトラック乗りの送迎を断ったのも、同じような理由からだ。彼の腕が悪いとは言わない。操縦するところを見ていないのだから。でも、隕石群地帯はトラック船には向かないことを知っている。小回りの利くアストラナードと、乗り手の経験とテクニックが切り抜ける最前手だ。
トラック船にも武器を搭載している機体は多い。プラズマカノンを積んでいれば、アストラナードのそれより威力は大きいかもしれない。隕石群を粉砕して突き進むことなどわけないだろう。だが、〈サルガッソー〉でそんなことをするとどうなる? このコロニーは海賊の縄張りだ。掠奪の的となる悲惨な結末は見えている。盗むものが何もなくても、海賊は輸送船を襲う。暇潰しくらいにしか考えていない。少なくとも、私が知っている海賊はそうだ。木星に夢見る旅人たちを、そんなことに巻き込みたくはなかった。
私は弾丸もプラズマ砲もただの一発も撃たずに隕石群を抜けた。
〈サルガッソー〉のコロニーは五層にわかれていて、最下層がエプロンになっている。監視カメラとセキュリティロボットが数台あるが、ハッチは常に開かれ、ボディチェックや、チケットの提示は必要ない。誰でも出入り自由だった。
私は"狼の心臓"を駐船場に固定すると、無重力を泳いで二層へ上がった。一層と二層の間には鉄の扉があり、その先からは空気があった。重力も安定している。男も女も、若者も年寄りもいたが、スペース・スーツを着用している人間は誰もいなかった。コロニー内にバーか売店があるらしく、少なくない人間が酒を片手に持っていた。ただ一つ共通しているのは、誰もが不景気な顔をして、殺気立っていることだ。
私はフロアを見渡し、バンダナを頭に巻いたボーダーシャツを着て、嘘みたいに海賊の格好をした脚の短い男に近づいた。
「〈シーラカンス〉の人かい?」
あん? だか、はあ? だか、必要以上に首を傾げて、脚の短い男は凄んだ。滑稽にしか見えなかったが、笑わないでやった。
「ボノはどこにいる?」
「はあ?」また、同じ反応が返ってきた。「なんだてめえは?」
「古い友人さ。彼に会いに来た。伝えてくれればわかる」私は下っ端の海賊にそう残すと、彼の前から離れた。背中で海賊の怒鳴り声が聞こえたが、掴みかかってくるようなことはなかった。
咥え煙草でフロアを歩く。二層はチンチロリンや花札、麻雀といったアジアンテイストの賭博エリアになっているようだった。
私はそのうちの一つの雀卓に近づいた。東場が終わったところのようだった。
私は転がっていた段ボールを椅子代わりに、東家の男の傍に座った。段ボールの中からは、二十世紀の旧アジアのコミック雑誌が覗いていた。
「ツキに見放されているようだね」私は煙草に火をつける。
長髪長髭の東家の男は、私を一瞥したが、すぐに自動卓の中央に向き直った。
「そんなところをいくら眺めたって、勝利の一手は見えてこない。あんたは天使に見放されちまっているんだからな」
「はっ」男は吐き捨てるように笑った。「そんなもんが本当にいるってんなら、見てみたいもんだね」
「嫌になるほど見たんじゃあないか?」
東家の男は私を睨む。「なんなんだ、おまえ。なにを言ってやがる? 頭おかしいんじゃねえか?」
「ハンサム」私は痩せこけて骨張った男の、彫の深い目の奥を見据えた。「女はあんたをハンサムと呼び、あんたは女をエンジェルと呼んだ」
痩せた男は答えない。病的なまでに細い指先が震え出す。
「エンジェルを殺したのはあんたかい?」
「なにを言ってやがんだ、てめえは」男は声を荒げるが、その声は業務用の掃除機よりも響かない。
「なあ、そろそろ南場を始めたいんだがね」西家の男が不貞腐れたような声で言った。「部外者は口を挟まないでくれ。真剣勝負なんでね」
私は肩をすくめ立ち上がった。そこで、雀卓とは別の方から声をかけられた。
「お客さま。一緒に来てもらえますかな?」ストライプのスーツを着た男だった。やつの後ろに、同じような男が三人立っていた。海賊というより、ただのマフィアにしか見えなかった。
私は東家の灰皿で煙草を押し潰した。「邪魔したね」
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