二時間待ちの女

 私は後天的な色盲だ。私の瞳に映る世界は、黒と白だけでできている。いつから、どうして色が見えなくなったのかは覚えていない。かつては色が見えたそうだが、その頃の世界は忘れてしまった。やたらと専門用語を並べたがる医者が、後天的な色盲と判断したから、私もそう認識しているに過ぎない。本当は先天的なものなのかもしれない。そうだったとしても大した影響はないだろう。

 色盲を不便に感じることはあまりない、と私は思っている。最初の頃––––つまり、色がわからないと認識した頃は、信号機の色で焦ったような気もする。青も赤も黄色も、違いはないのだから。だが、配列を考えれば問題はないとすぐに気がついた。車用も歩行者用も、信号の色の配列は大体同じだ。明るくなっている方に従えばいい。

 日常には至る所に色が潜んでいる。金色の髪の男がどうだとか、赤煉瓦の建物がなんだとか。だが、どれも補足的要素に他ならない。金色の髪の男は髭を生やしていたりするし、赤煉瓦の建物には旧ギリシャ風の窓がついていたりする。その色じゃない方を手がかりにすればいいだけのことだ。

 そうやって、私は色のない世界を進んでいる。

 カスミと出会ったのは五年前。私は二十五で、彼女は二十八歳だった。彼女はまだ〈ピンクフラッグ〉と言う派遣型風俗店で働いていて、私の世界はすでに黒と白だけになっていた。探偵のライセンスはまだ持っていなかったが、似たようなことはやっていた。カスミと出会ったのも、そんな仕事の最中だった。

 何世紀も前からよくある話だ。カスミは悪い男に首ったけになり、気がついたときにはよくわからない負債を背負い込み、身体を売る羽目になった。やがて酒に溺れ、ドラッグにまで手を伸ばす。二十一世紀以前と違うのは、新型の幻覚錠剤『スノウホワイト』が出回っていることと、容易に比較的安価で手に入ってしまうことだ。飲み薬であるから、注射器よりも安易な気持ちで手を出す者も多く、覚醒剤と同等かそれ以上の快楽が得られるそうだ。カスミも例外ではなかった。

 私はスノウホワイト絡みでカスミと出会い、彼女を幻覚の沼から救ってやった。経緯は……まあ、どこにでも転がっているような流れだ。あえて話す必要はないだろう。

 カスミが嫌々ながらもエンジェルのことを話してくれたのは、少なからず私に恩義を感じているからなのだろう。女に借りを返せなど、野暮もいいところだが、友人の少ない私はそれをあてにするしか方法が思いつかなかった。

 カスミがアンジェラの情報提供をためらったのは、パラディーノ・ファミリーが関係してのことだろう。マッサージ店〈和洋折衷〉も、ヴィオレッタ、つまりはパラディーノのシマの中にある。もしもアンジェラ・ロメロを殺した人間がパラディーノ・ファミリーで、情報を流したとばれれば、カスミも同じような末路を送ることになるかもしれない。防音室に私を通したのはそのためだ。パラディーノの目はどこに潜んでいるか、わかったものじゃないから。

 私は〈和洋折衷〉を出ると通りの角でタクシーを止め、十七番街へ向かった。

 ヴィオレッタのダウンタウンは碁盤の目のようになっていて、南北に走る通りが『番街』、東西に走る通りが『丁目』となっている。東から西に一番街、二番街と進み、南から北へ一丁目、二丁目と進む。通りを座標軸にして点を辿ると、アンジェラ・ロメロの住んでいたアパートは十七番街三丁目だった。六番街から九番街、六丁目から九丁目の『サカエ・スクエア』と呼ばれる繁華街からは離れていて、同じようなアパートメントが建ち並ぶ住宅街だった。

 私は十七番街のコンビニの前でタクシーを降りると、アパートまでの通りを歩いた。高級とは呼べそうにないが、悪くない住宅街だった。少なくともチンピラの気配はない。アパートに忍び込むことを考えなかったわけではなかったが、やめておいた。情報もなしにこの近辺で黒薔薇の男を捜しだすことも無謀だ。それよりも、もう一つの方から調べた方がいい。

 タクシーを降りたコンビニまで歩いて戻ると、プリペイド携帯を一つ買った。二十四時間までグレープ・ネットワークが使えるタイプの使い捨てコズミックフォンだ。

 コンビニ前の喫煙スペースで、買ったばかりのプリペイドフォンを使い〈ピンクフラッグ〉のホームページにアクセスした。すぐに会える女の子が数人表示され、その先は待ち時間が少ない順番で顔と名前が並んでいた。ピーチは、二時間待ちの女だった。

 私はピーチを指名すると、二時間後に二番街のモーテルを指定した。ヴィオレッタに着いて最初に予約したモーテルだ。こんな使い方をするつもりではなかったが、素性がばれないように本名もクレジットカードも電子マネーも使わず、現金で宿泊手続きを済ませていた。

 ただ女を買うだけなら、それほど警戒する必要などないのだが、私はヤクザ者の領域で、ヤクザ者を嗅ぎ回っている身だ。とくに、〈ピンクフラッグ〉はパラディーノ・ファミリーがバックにつく風俗店だ。電子上の記録を残さないくらいの対策はした方がいい。プリペイドフォンを使用したのもそのためだ。

 私はモーテルで女を待ちながらコズミックウオッチを探偵協会のホームページに繋げ、「黒薔薇のタトゥー」について調べた。

 探偵協会のインターネットサイトでは、捜査機関や裁判所が開示したすべての犯罪者の情報が掲載されている。犯罪者には、探偵協会本部が独自に設定した凶悪度の目安となるレートがつけられ、窃盗などの軽犯罪が対象となる「Fレート」から、強盗・殺人などの重犯罪「Aレート」までがある。テロ行為など一部特殊事案でAレートを超える「Sレート」も存在するが、実際に対応する私立探偵はいないだろう。

 レート犯罪者の中で、連邦捜査局のビンゴブック対象者には「BB」の印がつけられている。私立探偵は、それを目印に捜査する犯罪者を選ぶのが基本だ。

 レートは、あくまでも危険度を示すための区分であり、必ずしも金額に比例するわけではない。中には、Fレートの窃盗犯の方が、Cレートの殺人犯より高額な場合もある。ビンゴブックを作成する捜査局と探偵協会の認識の相違というやつだ。もっとも、ほとんどはレートがそのまま犯罪者引き渡しの金額に比例するが。

 そして、言わずもがな太陽系全域の犯罪者すべてを網羅しているわけではなく、明らかな犯罪者であっても、情報の記載がない場合もある。パラディーノ・ファミリーがいい例だ。ボスであるジョセフ・パラディーノはAレートに指定されてはいるものの、ウエストヴィクトリア州ヴィオレッタのマフィアとの記載しかない。家族構成も、構成員の数も情報は記載されていなかった。ゼペタギャングに至っては、個人も組織も記載すらなかった。やはり、BB対象以外の情報は期待できない。黒薔薇の男など言うにおよばず。

 捜査官のスギサワはゼペタギャングの悪行について私に訊かせた。強盗、強姦、薬物売買、特殊詐欺、恐喝。殺人以外すべての犯罪に手を染めているようだが、どれも決定的な証拠はなかった。あるいは警察官を買収して証拠の隠滅を図っていたのか。逮捕者が出ている事案もあるようだったが、どれも受け子レベルの末端だ。闇バイトで集まったようなチンピラを逮捕したところで、"ゼペタギャング"自体は傷一つ負っていないのが現状だ。ラビットホープ当局の詳しい捜査状況はわからないが、少なくとも、ギャングの本拠地を示す記録は、捜査資料にはなかった。

 いくら金があろうが、それだけで警官の買収は不可能だ。情報を残させないほどの力があるとするなら、一介のギャングが発揮できるものではない。金と影響力を持つ巨大組織の後ろ盾があって然るべきだ。パラディーノのような。

 スギサワが言うように、ゼペタのバックにはパラディーノがいる。しかし、連邦捜査局が重い腰を上げないことを鑑みると、表立った傘下という形ではないのだろう。根回しはそれとなく、厳重に行われている。

 それにしても、パラディーノはゼペタを使って何をしようとしている? ニューカラント州へシマを広げようと画作しているのだとしても、こんなやり方では長続きはしない。ゼペタは感情に任せて荒稼ぎしているに過ぎない。もうしばらくは好き放題できるかもしれないが、長期的なシマの確保は難しい。堅気を相手に悪事を続けたツケは、必ず払うはめになる。地元警察はともかく、捜査局がいつまでも沈黙を決め込むはずはない。現に、スギサワが動き出そうとしている。パラディーノだって、それがわからないはずはないだろう。

 そういえば、スギサワはまず、ゼペタギャングのアジトを捜してくれと言っていた。それはつまり、捜査局もゼペタの正確なアジトを把握していないということだ。そんなことがあるだろうか? いくら表立ったパラディーノとの関わりがないとはいえ、公式な捜査はしていないとはいえ、ゼペタについての情報は掴んでいるはずだ。その上で、しばらくは見て見ぬふりをする。捜査局は、まったくのアドバンテージなしに、ギャングを野放しにはしない。ゼペタギャングは本当にただのチンピラ集団なのだろうか。パラディーノだけではない何かが見え隠れしているような気がした。

 私は思考のスイッチを切り替えるために煙草に火を灯した。部屋の壁に禁煙の張り紙が見えたが、もう遅い。今消すのも、吸い終わってから消すのも変わらない。私は張り紙に向かって詫びのつもりで頭を下げ、窓を少しだけ開けた。湿った生ぬるい風が吹き込んでくる。一雨きそうだ。

 ペトリコールの匂いを嗅ぎ、煙を部屋の外に押し出しながら、セイディ・マクファーレンとの会話をたどった。彼女は、アンジェラ・ロメロを殺したのはパラディーノ・ファミリーの人間だと疑っていない様子だった。

 記憶の中のセイディが唾を吐くと、脳内映像はカスミへと変わった。カスミは、エンジェル(アンジェラ)のヒモの太ももに、黒薔薇のタトゥーがあったと言った。

 二つの話を真実と仮定して紡ぐのなら、黒薔薇のヒモはパラディーノの下っ端となるだろうか。いや、そこにスギサワの話を加えると、黒薔薇はゼペタギャングということになるのではないか? パラディーノ・ファミリーの下っ端とゼペタギャングの区別が、セイディやカスミにつくとは思えない。両者を同義として捉えていても不思議はないだろう。

 私はコズミックウオッチを探偵協会のサイトから、メッセージ作成画面に切り替え、スギサワに黒薔薇の男についての情報はないかと送った。

 そこで、電話が鳴った。買ったばかりのプリペイドフォンだ。

 私は短く応対し、電話を切った。ほどなく、部屋の呼び鈴が鳴り、女が入ってきた。女はピーチと名乗った。二十代半ば。この世で最も美しい年齢だと言わんばかりの笑顔だった。

 私は服を脱ぎ始める彼女を制し、一人掛けソファを勧めた。が、彼女は胸元を大きくはだけたノースリーブのシャツ姿で、私の隣、ベッドに腰掛けた。

「デートエクスペリエンスがお好み?」

 恋愛体験なるものが何を意味するのか私にはわからず答えあぐねていたが、ピーチは間髪入れずに私の手に自らの手を重ねた。

 私は立ち上がり、煙草を燻らせた。「アンジェラ・ロメロ。この名前に聞き覚えはあるかい?」

 ピーチの表情が変わった。彼女はカスミよりも感情を隠すのが上手くないらしい。

「知っているようだね」私は壁際に移動し、コーヒーメーカーで二杯分のコーヒーを淹れた。

「あなた……警察なの?」

「ただの私立探偵さ」私はコズミックウオッチで探偵ライセンスをホログラム表示して見せた。「アンジェラ・ロメロ––––エンジェルと言った方がいいかな? 俺は彼女を殺した人間を捜している」

 ピーチは泣きそうな顔で俯いた。殺されたの? とも、自殺じゃないの? とも言わなかった。

「何か心当たりがあるんじゃあないか? どんなことでもいい。知っていることを話してくれないか?」

 雨粒の間のような沈黙。

 私は二つのマグカップにコーヒーを注ぎ、一つをベッドサイドテーブルに置き、一つを啜った。マンテカ州アブラバトの豆だ。コーヒー豆の一大産地と知られ、人気が高いのはグァーマルガ島だが、私はマンテカ産の方が好みだ。

 コーヒーの栽培に適しているのは、一日を通して温暖な気候であること、年間雨量が平均千五百ミリ以上二千五百ミリ以下であること、そして、水はけの良い土壌だ。雨季と乾季があり、火山質の土壌が最適だと言われている。そのすべての条件を満たしているのが、グァーマルガ島だ。グァーマルガには火星随一の活火山がある。

 活火山はないが、アブラバトの土壌も、栄養分のある火山性土壌だ。百年以上前の火星開拓の際、地球の火山地帯の土壌を移植する形で土地形成を行ったことに起因するらしい。つまりは、人工的な火山性土壌だ。同じような火山質の土壌は他にも存在するが、火山質だからいいというわけではない。栄養分のない石灰質土壌からはいいコーヒーは生まれない。

 と、まあ、コーヒーの深い知識もないのに語ってしまったが、要はアブラバトのコーヒーは苦味の中に微かな甘味があり、芳醇な香りで旨いということだ。そして、そんなこと考えるだけの時間があった。

 ピーチに目をやると、彼女は雨に濡れていた。

 私はハンカチ––––まだ手を拭いていないやつだ––––を渡してやり、彼女の正面に椅子を持ってきて座った。

 ピーチは私のハンカチで涙を拭い、鼻をかんだ。ハンカチで鼻をかむ女などほとんど見かけないが、こういった状況下の女にハンカチを渡せば、大抵は鼻をかむ。いや、女だけではなく男も。もっとも、私は男にハンカチを渡したりはしないが。経験上それを知っているから、私は常にハンカチを二枚持つようにしている。お気に入りのハンカチと、使い捨てのハンカチだ。彼女に渡したハンカチがどちらなのか、言うまでもないだろう? 

 ピーチは鼻を啜りながらエンジェルとの思い出話を語った。出来事に一貫性はなく、時系列はバラバラだった。何を言っているのか到底理解できなかったが、それも想定の範囲内だ。なんでもいいからと話をさせた最初の言葉は、大抵は訊かなくてもいい話だ。溜まっていた感情を吐き出させる方便にすぎない。私が探偵稼業を続けてきた中で身につけた、数少ない手法の一つだ。気をつけなくてはならないのは、どこからが本題なのかということ。脈絡もなく移り変わるストーリーの中、必要な箇所だけを鼓膜の内側に通すという作業は、想像より難儀だ。この都合のいい耳を作り上げるまでに、幾許かの歳月を要した。だが、一度習得してしまえば、あとは反射的に耳のスイッチを切り替えられるようになった。

「エンジェルには特定のお客がいたの。すっごく気前がいいヒトみたいで、最初の頃はハニーとかダーリンって呼んでた」そう言って、今度は自分の体験談を語り始めた。泣いているのか笑っているのか、わからないような声で。

 耳の切り替えができるとはいえ、いいかげんうんざりしていた。私は話を先に進めるため、彼女の過去に割って入った。「初めはダーリンだった男が、ある日豹変し、エンジェルを痛めつけるようになった。そういうことかな?」

 ピーチは目を丸くさせ、口を小さく開けたまま固まった。目の周りのメイクが滲んでいた。「全然違う」

「違う?」

「うん。だって、エンジェルは本当の愛を見つけたんだって言ってたもん」

 私は新しい煙草に火をつけ、思いっきり煙を吸いこんだ。「君は、エンジェルを殺した人物の心当たりについて話しているんじゃないんのか?」

 ピーチはまた涙ぐんだ。私の心はもう、微動だにしなかった。

「関係のない話は終わりにしてくれ」

「関係なくなんかないもん」

「その男が既婚者だったから? 関係を続けるのがまずくなって厄介払いしたと?」

「知らないよ、そんなの。エンジェルのダーリンなんて見たこともないんだもん」

 私は深い煙を吐く。「それじゃあ、他の心当たりについて話してくれ。他にも男がいたのか?」

「何人もね。エンジェルには常に何人かの男がいた。ほら、あの子ってすぐに股を開くでしょう? だから、男には困らなかったの。その中にはお金もないのにギャンブル漬けで、あの子のお金をアステロイド・レースにつぎ込むような男もいた。その男に貢ぐお金は、別の男のちんちんを握って稼いでた。そうやって、とっかえひっかえ男に依存してた。あの子、男がいないと生きていけないような子だったから。それも顔がいい男が。どんなにクズでも、顔がいい男は必ず一人キープしてた。残念ね。あなたもその一人になれたかもしれないのに。あの子が生きていたら」

「そりゃあ残念だね」私は煙草を指で挟み、もう片方の手で目頭を押さえた。

 どうやら、私は彼女の涙の意味を読み違えていたようだ。そして、それは私に彼女を紹介したカスミもなのかもしれない。ピーチは、エンジェルの友人などではなかった。表向きはどうであれ、少なくとも、私が思う友人関係ではない。

「その男たちの中に、タトゥーを彫った男がいなかったか?」

「知らないよ。あたしはそいつと寝てないんだもん。あの子が男と歩いているのを何回か見たことがあるだけ」ピーチは鏡の方を向くと、湿ったハンカチでメイクを整え始めた。それにどれだけの効果があるのかはわからなかったが。「あ、でも、一人いたかも」

 私は鏡の中の彼女に視線を合わせた。「どんなタトゥーだった?」

「なんかの花? ……剣だったかな?」

「どっちだ?」

「うーん。覚えてない。両方かも。覚えてるのは、ちんちんにピアスをしてて、それが最高だって言ってたこと。"ドロシー"決めたみたいにイクんだって」彼女は魔女の人形のように笑った。

 ドロシーとは薬物の名前だ。マリファナよりのLSDといったところか。吸引に錠剤、摂取の仕方は様々ある。スノウホワイトと比べれば副作用がマシなせいで、煙草と同義であるような扱いがされている。まったく、冗談ではない。

 私は濃い紫煙を吐き出す。「そのタトゥーの男について、何か他に知っていることはあるか? 例えば、どこで見かけたのか。エンジェルはその男をなんと呼んでいたのか」

「ああ、それだったら、確かハンサムって呼んでた」

「おいおい、冗談だろう?」

「本当よ! ハンサムが今日もサルガッソーに行ってて寂しい、ってよく言ってたもん」

 私は煙草を缶コーヒーの空き缶に捨て、ポケットのマネークリップを取り出した。そのうちの紙幣を数枚抜き、ピーチに向けた。

「なに? くれるの?」

「チップならこれくらいだろう?」

 ピーチは紙幣を胸の谷間に挟む。「まだ時間あるけど?」

「適当に時間を潰してくれ。ここではない場所でね」

「あたしってそんなに魅力ない?」

「女はみんな、魅力的さ」私は彼女の脱いだ服を、彼女の側においてやった。「考えたいことがあるんだ」

 ピーチはおとなしく服を着始めた。「今どき現金とはね」

「目に見えるものしか信じないたちなんだ」

 電子化された数字で払うよりも、触れてわかる現金を掴ませる方が、人間は情報を吐き出し易くなる。そのときのためだけに現金を持ち歩いているだけで、普段は電子マネーしか使わないのだが、それは黙っておいた。そんなことをいちいち説明する必要はない。

「エンジェルを殺した犯人、絶対に捕まえてね」ピーチは最後にまた涙を浮かべて、私の部屋を出ていった。その涙が、今度は本当に涙だったことを願う。

 私は、彼女がいなくなったドアに向かって、それが君じゃないことを祈るよ、と声に出して言った。

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