ニュー・シネマ・パラダイス
火星には捜査機関が二つあった。一つは火星警察。州、都市に配備され、その地域の警察事務を幅広く担当する組織だ。
もう一つは、太陽系宇宙連邦捜査局。州はもちろん、惑星間をまたいでの捜査権限を持ち、特定の犯罪捜査のみを専門としている。
私立探偵が犯罪者を引き渡すのは、連邦捜査局だ。依頼人を持たずに犯罪捜査を行う対象は、連邦捜査局が指定する手配犯に限られる。探偵は、連邦捜査局の『ビンゴブック』に載っている犯罪者及び組織だけを拘束することができ、引き渡すことで報酬を得られた(余談だが、連邦捜査官はビンゴブックのことを"リスト"、探偵は"ブック"と呼ぶことが多い。隠語のようなものなのだろう。由来は知らないが)。
ビンゴブックは、探偵ライセンスのIDでログインする専用のウェブページにより確認することができる。ラジオやテレビで報道される指名手配犯も、ビンゴブックと同じ意味を持つ。それ以外のビンゴブックに記載がない犯罪者は、たとえ現行犯であっても、探偵は手出しすることはできない。安全面を考慮し、やむを得ず拘束する場合もあるが、それによる報酬は得られない。市民の安全を守るという使命ではなく、自営業の商売感覚で動く探偵の方が多く、無償で犯罪者を拘束するという状況はほぼほぼあり得ないといえる。
犯罪人を引き渡す相手は、連邦捜査局という組織であっても、捜査官個人であっても有効だ。後者の場合、それまでの過程がどうであれ、犯罪人の逮捕・送検に携わった捜査官の成果とされる。探偵は捜査官の分身であり、分身の手柄は本体である捜査官の手柄であるという考え方が根付いているからだ。探偵としては、手柄が誰のものになろうが、得られる報酬に変わりはない。
連邦捜査官は、探偵協会の〈倶楽部〉への出入りが許されており、足を運ぶ者も少なくない。そして〈倶楽部〉の探偵に犯罪人の情報を提供し、見返りに引き渡し時に自分を指名させる。探偵は報酬を、捜査官は手柄を得ることができる。両者にとって有益な取引だ。
それは私にとっても例外ではなかった。
その夜、ニューカラント州ハインラッド支局のスギサワと州内のアルマジロ平原で開催されたドライブ・イン・シアターを訪れた。自動車やタクティカル・マシンの音声チャンネルを合わせることで、荒野の岸壁に映し出される映画の音声を聞くことができた。今宵上映されていたのは、二十世紀の西部劇だった。
私は"狼の心臓"、スギサワは"シェパードの広背筋"に乗り、映画の音声チャンネルとは別に、映像通信を繋いでいた。
「この映画が撮られたのは二百年以上も前だそうだ。見てみろよ、この時代の人間は戦闘機はおろか、車にだって乗ってない。馬だぜ。移動手段が馬なんて、考えられるか?」スギサワは言った。
「ロマンがあるね」
スギサワは同意とも否定ともとれる声を出し、ラビットフットの煙草を吸った。「ダン、おまえ、旧アジア系の盗賊団を捕まえたらしいじゃないか」
「盗賊なんて大層なものじゃあない。連中が盗んでいたのは、おむつだ」
「それでも、盗人に違いはないだろう? ビンゴブックに載るような組織だ」
私は肩をすくめて応えた。「あんた、もしかして拗ねているのかい? 連中を引き渡さなかったから」
「馬鹿言うな」
「あれはリッキーが持ってきたヤマだ。どこの誰に引き渡すか、俺に決定権はなかった」
「だから、気にしちゃいねえって言ってんだろ」
「それじゃあ、どうして俺を呼んだ? 映画鑑賞の相手が欲しかったわけじゃあないんだろう?」
スギサワはスクリーンのクリント・イーストウッドと同じように親指と人指し指でOの字を作るように煙草を持った。「ゼペタって名前を聞いたことはあるか?」
「ないね」
「ラビットホープのチンピラ集団だ」スギサワは唾を吐いた。おそらく、足元に置いたテニスボール缶に。「そのゼペタ・ギャング団のやつらが、パラディーノの傘下に下りやがったらしい」
「パラディーノ・ファミリー? ヴィオレッタのマフィアだろう? あそこはウエストヴィクトリアだ。州を越えて来やがったのか?」
「今はまだ。だがいずれはそうなる。ゼペタはそのための布石だ。ラビットホープから徐々に、ニューカラントへ進出しようとしてやがんのさ。少なくとも、俺はそう考えてる」
ウエストヴィクトリア州ヴィオレッタは、宇宙船製造業の街として知られているが、それ以上に経済を回しているのは、武器製造業だった。
百年ほど前、地球を飛び出した人間たちは、それまでの国という単位を捨て、惑星単位で統治する太陽系宇宙連邦を樹立した。その際、新たに施行された国際宇宙法に、自己防衛権という条文が追加された。早い話が、銃火器の所有を認めるという法律だ。条件はあるものの、原則として全ての太陽系民が銃を持つことを許されている。名目上は、未開の宇宙領域における自己の安全保障などと謳っているが、実際に未知なる宇宙に遭遇した人間がどれだけいるのかはわからない。
アストラナードなどの戦闘機を個人が所有できるのも、自己防衛権の観点からであるが、ハンドガン以上に厳しい規定があった。
そこにつけ込んだのが、ヴィオレッタマフィアのパラディーノだった。パラディーノ・ファミリーは造船工場と武器製造工場を買収し、通常では認可の下りないアストラナードの製造、及び市販機体の改造を始めた。安全性の保証はなかったが、強力な武器を積んだアストラナードは飛ぶように売れた。自身の軍事力も著しく上昇し、競合他社を力で追い出すことに成功した。そうして、莫大な富を得たパラディーノ・ファミリーはウエストヴィクトリア一の巨大マフィア組織となり、ヴィオレッタの裏社会を牛耳ることとなった。州境を挟んで隣接するニューカラント州ラビットホープに、影響が及んでいたとしても不思議ではない。
だが––––
「なんとなくスマートじゃない気がするな」私は言った。「パラディーノは悪党だが、頭のいい連中だ。間抜けなチンピラギャングを使うとは考えられないな。だいたい、マフィア対策の法案が日に日に強化されている。昔みたいに、暴力だけでのし上がれる時代じゃあない。派手な犯罪で目立てば、警察は動かざるを得ない。州境だろうが、買収していようがね。パラディーノのメリットはどこにある?」
「ねえな。俺もおまえと同じ意見だよ、ダン」
「だったらなんでこんな話を? 回りくどいのはもううんざりだ。さっさと話せよ」
「やつらのアジトを見つけてほしい」
「それは個人的な"依頼"と受け取っていいのかな?」
「友人としての頼みだよ。だが、近いうちにゼペタはビンゴブックに載る」
「だったら、ビンゴブックに載ってからやればいい。機密情報を漏らすようなまねをしてまで、何を急いでいるんだ?」
スギサワは唾を吐いた。「パラディーノは、くそを塗りたくったような悪党だ。でも、今を必死で生きているような人間に、直接手を出したりはしない。少なくともこれまではそうだった。大嫌いな言葉で言えば、やつらは高貴なマフィアだ。遥か昔の俺の血筋の言葉で言えば、侠客ってなもんさ。今も昔も、そんなもんがあるとするならね。だが、ゼペタ・ギャングは違う。あれはただのくそだ。悪党なんて言葉ももったいない。くその中で生きて、他人にくそを投げつけるようなやつらだ。いずれなんて待っていられない。今すぐにでも……」スギサワは言葉を切って、もう一度唾を吐いた。「本当なら俺が自分でやりたいところだが、許可が下りない。組織にいるからな。上の許可が必要なんだ」
私はゆっくりと煙を吐いて、画面の向こうのスギサワを見た。彼は自分もくその中にいるような顔をしていた。
「詳しく教えてくれ」
スクリーンのイーストウッドは、ポンチョを翻し、銃を抜いた。
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