真夜中のプレイボール
ウエストヴィクトリア州サン・トゥアンヌ〈リボンズ・スタジアム〉で、サン・トゥアンヌ・ブルーリボンズとハインラッド・ラッツの試合を観戦した。私はどちらのファンでもなかった。ウインズロウ・レックスを贔屓にしている。きっとノースマグノリア州ウインズロウの出身だからだろう。無意識下で郷土愛を抱いているのかもしれない。
それでもブルーリボンズとラッツの試合を観に来たのは、友人のせいだ。私の唯一とも言える友人、ファナナ・ペレポズニコフは根っからのラッツファンだった。
試合は五回裏、ブルーリボンズの攻撃が終わったところだった。
「言っただろう、ダン。今日のウエスギは、球速も制球力も抜群だ」ファナナはラッツの先発投手を称えた。「レナードもキレてると思うね。前の打席はライトフライに打ち取られたが、あのスイングはかっ飛ばすときのスイングだ。これはいけるぜ」続いて、五番指名打者を称えたが、私にはさっぱりわからなかった。
だが、友人の興奮に水を差さないくらいの分別は持ち合わせている。ビールを呑みながら意味深に頷く配慮は見せた。
ファナナは二百センチを超える長身と筋肉質な体格、傷痕の走る顔面のせいで、虎と戦うような人間に見られがちだったが、どんな動物も痛めつけるようなことは決してしなかった。確かに、かつては太陽系宇宙連邦軍に所属していたようだが、それは体格の良さの理由でしかない。動物園の飼育員という現在の彼の職業こそ、本来のあるべき姿なのだと思う。
贔屓のチームでないにしろ、野球は好きだし、マーズ・リーグの選手はレックス以外の球団でも知っていたから、試合は十分に楽しめた。これがテレビ中継やスポーツバーの観戦であったらそうでもなかったのかもしれないが。球場で味わう熱量は、画面を通してでは感じられないものがある。
ファナナの言った通り、ウエスギは七回まで圧巻のピッチングをみせ、レナードは六回表にソロホームランを打った。八回のリリーフ投手が一点を与えてしまったものの、一対三で見事、ラッツがビジター三連戦の初戦を勝利で終えた。
「こんなに気分がいいことはないね」ファナナはルーヴェル黒ビールを一口で半パイントほど呑み、拳を掲げた。「金満球団は今日の試合で四位転落だ。落ちていく一方。ざまあみろってんだ!」
「声がでかい」私は笑みを浮かべながら周囲に視線を走らせた。「ブルーリボンズが金満球団だってのには同意するが、ここはその金満球団の領土だ。ちょっとは抑えた方がいいんじゃあないのかい?」
「おい、ダン。おまえまさか、ブルーリボンズファンなんじゃあないだろうな?」ファナナは笑いながら眉を顰める。
「あんたには言ってなかったかもしれないが、俺はレックスファンだよ」
「なんとね」ファナナは大袈裟に両手をあげた。「てっきりおまえもラッツファンだと思っていた。でも、今日の試合でピンときてなかった理由がわかったよ。ヤマグチのタイムリーにも、レナードのソロにも、なんかボケーっとしてたもんな。心の底から喜んでないみたいに」
「野球を観るのは好きさ」私はコズミックウオッチのホログラム画面をファナナに向けた。「それに、レックスはゴールデンソックスに勝った。これで五位浮上。悪くない」
「ラッツは六位、負けてるじゃあねえか」
私たちは野球談議に大いに花を咲かせた。
それからルーヴェルの黒ビールとブノーのラガービールを交互に呑み、程よく酔いが回ったところで表に出て、並んで煙草に火をつけた。真っ暗な駐車場では、マシンたちが眠っていた。
「昔は飲酒運転の罰則が厳しかったらしい」暗がりを見つめながらファナナは言う。「自動運転技術がなかった時代、すべて手動運転だったそうだ。尋常じゃない事故数だったらしいぜ」
「酔っ払って手動運転なんてどうかしているな。まともに運転できる方がおかしい」
「素面でも、老人が運転していたケースも多いらしい」
「手動で?」
「手動でだ」
「ブレーキとアクセルの区別はつくのかい?」
「つかなかったんだろうな。だから事故が多発していた」
「恐ろしい世界だ。ところで、昔の人はどうやって酒場に行っていたんだ? 飛行機だって、旅客機しかなかったと聞く。どこででもタクシーが拾えたのか?」
「それもあるのかもしれないが、代行ってのがいたらしい。代わりに運転して家まで送り届けてくれるんだと」
「へえ、よくできていたんだな。他人に自分のマシンを触らせるなんて、俺は御免だけどな」
私たちは闇夜に煙を吐く。星の向こうの過去の世界に思いを馳せながら。
宇宙の隙間から声が聞こえた気がした。
煙草を唇で挟みながら音のした方を向く。男の声と女の声がする。前時代から変わらない、揉め事の音だ。私たちは示し合わせたわけでもないのに、音の方へ歩き始めていた。
「女のくせに生意気な!」
「男のくせに意気地がないね。キンタマ落としてきたのかな?」嗄れた女の声が言う。「何度でも言ってやる。気に入らないならかかってこい」
「調子に乗るんじゃねえぞ、男女が!」
「てめえなんて女と認めねえ!」
「結構。でも、その男女に下品な声をかけて鼻の下伸ばしていたのはどこのどいつだったかしらね。まあ、好きに思ってればいいさ」女の唾を吐く音が聞こえた。「で、どうするんだい? やるのか? やらないのか?」
街路樹とマシンの陰で、一人の女と三人の男の姿が見えた。顔は見えなかったが、微かなネオンで浮かびあがる女のシルエットは、細身だった。レザージャケットとロングブーツからもタフさが溢れているが、一見した印象では武闘派には思えなかった。
男の方は、三人とも似たり寄ったりで、どこにでもいるような男たちだった。暗がりでなくとも、区別することさえできない。
そのうちの誰かが何かを叫び、一つの影が動いた。暗闇に浮かぶ影でしかなかったが、私には男が何をしたのかわかった。
「さっきまでの威勢はどうしたよ、クソアマ」
下品な言葉と笑い声が飛ぶ。
男の一人は拳銃を見せびらかしながら女の方へ詰め寄った。ようやく、私たちの出番だ。
「丸腰の女相手に三人がかり、おまけに拳銃とはね。随分と男前なやつらだ」
私はスカイフォールのリヴォルヴァーを、ファナナはムーンレイカーのリヴォルヴァーを構えて、暗がりから躍り出た。
「なんだ、おまえら?」男の一人が言った。
「通りすがりのラッツファンだよ」答えたのはファナナだった。「知っているか? 人間がまだ地球という惑星にしか住んでいなかった頃は、ほとんどの場所で合法的に拳銃を持てるのは警察官だけだった。自己防衛権なんてものはなかったんだ」
「ああ? 何が言いてえんだてめえは!」
「歴史は大事だってことだ」私は引き金をひく。銃弾は男の拳銃を吹っ飛ばした。「どうする? 歴史の過ちを繰り返すかい?」
歴史が教えてくれた。勝者は最初に銃を抜いた人間ではなく、最初に銃を撃った人間だ。
呪いの言葉が反響して宙に消え、暗がりの中には私たち三人だけが残された。私とファナナ、それからハスキーボイスの女だ。
「礼なら言わないよ」女は地面に唾を吐いた。「あたし一人でもどうにかできた」
「そうみたいだね」私は言った。「礼が欲しくてやったわけじゃない。お節介が口を挟んだと思えばいいさ」
女は深く息を吐いた。幾分、空気が緩んだ気がした。
「あんた、名前は?」
「ダン。そういうあんたは?」
「セイディ」私は女に問いかけたつもりだったが、驚くことに、答えたのはファナナだった。「セイディ・マクファーレン?」
私以上に驚いていたのは女の方だった。暗がりでもわかるくらいに顔を顰め、女は言った。「待って。ファナナ。ファナナなの?」
「久しぶりだな」ファナナは口元を緩めた。こんなにも笑顔な彼を見たのは初めてだった。
「驚いた。いいの? こんなところで油を売ってて」
「休日に何をしようが俺の勝手だ。一応言っておくが、軍はもう辞めたよ」
二人の会話を聞きながら、私はそっと闇の中へ進んだ。男と女の間に、他人は不要だ。思い出に土足で踏み込むような野暮なことはしたくない。
私は新しい煙草に火を灯し、自分のマシンまで歩いた。
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