第4話 ピンズ(タウン)の教会へ②


 片手で、ずれてもいないモノクルを上げる仕草が「できる女でしょ」と言わんばかりだったのでついつい口から本音が漏れてしまった。

 シスターは「まだいけるもんっ」と咄嗟に反論していたが、その言葉が出た時点で無理な気がする……(しかも「もんっ」と言う女はできる女ではない。それで演出できるのは可愛さだけだ)。


 ただ、おかげで緊張感がなくなり肩の荷が下りたチカチルがくすっと笑ってカウンター前の丸い椅子に腰かける。肩にかけていた筒形のカバンを足下に置いて、


「メニューはありますか?」

「ここは教会なので喫茶店じゃありませんよ?」

「じゃあ喉が渇いた勇者さまにはなにも出してくれないんですか?」


「む」と唇を尖らせたシスターがくるっと反転し、足下の冷蔵庫を開けた。


 取り出してくれたのは白い……瓶詰にされた、ただの牛乳だ。

 グラスに注がれ、チカチルの前に置かれた。


「どうぞ」

「なんで牛乳? いや、いいですけど、好きなので……」

「あなたには牛乳の方がよろしいかと思いまして」


 カウンターの向こう側でシスターが胸を張った。

 ……おっと、とチカチルが理解した。

 なるほどそういうことですか――と口の中で苛立ちを噛み砕く。


 シスターにあってチカチルにはないもの。

 胸を張ったシスターの膨らんだそれを意識させられる。

 大きめの修道服で隠れていたが、腰に手をやり胸を張れば嫌でも分かるものだ。

 牛乳を飲んだからと言って大きくなったわけでもないだろうに。

 ……牛乳をたくさん飲めば大きくなるわけではないことをチカチルは知っている。


 あんなのは迷信なのだ。

 ――信じたわたしがバカだった!


 それでも一縷の望みに期待して飲み干す。

 チカチルは胸が大きいことに憧れがある方ではないが、それでも大きい方が『あの人』が喜ぶのではないか、と思えば、挑戦しないわけにはいかなかった。

 頑張った結果、小さいなら仕方ない……。

 無理だとしても立ち向かわないでいれば、あの人の前に立てないと思ったからだ。


 大きいに越したことはない。

 だって男の人は……やっぱり大きい方が好きでしょ? とチカチルが答えを出したのは、男の人の視線を追ったからだ。

 大多数が女性の胸にいく。じっと見なくともちらちらと視線が吸い寄せられるのなら、そこに魅力が詰まっているからだ。

 持てるものなら持ちたいと思うのはおかしなことではなかった。


 チカチルがグラスの中身を一気に飲み干し、口の周りを白くさせた。

 気を利かせたシスターがハンカチを差し出してくれた。ありがたいけれど、さっきそれでカウンター上を拭いていなかったか……? 素で間違えているようだ。

 悪意がまったくない。

 チカチルは母に持たされた自分のハンカチで口元を拭う。喉も潤したところで……本題だ。



「勇者になったら教会へいけって言われてきたんですけど。……あの、誰かは分かりませんけど声が聞こえてきて……」


「その声はきっと初代勇者様ですね。――大丈夫、みんな聞こえてるから。あなたの幻聴じゃないわ」


 世界中に散らばった欠片は、元は初代勇者の力なのだ。

 分散した欠片に初代勇者の意志が宿っていてもおかしなことではない。


 手の甲に浮かぶ白い印も判断基準ではあるが、初代の声が聞こえたということは自称ではなく本物の選ばれし勇者である証拠になる。


「勇者であることを認めます……えっと、お名前は?」

「チカチルです」

「チカチルちゃん……よろしくねっ」


 緑髪のお姉さんは、見た目に似合わず「にひっ」と無邪気な笑みを見せた。



 シスターと顔合わせが済んだ後、次に「勇者としての今後の活動」を説明する段階で来訪者が現れた。教会の扉が開き、鈴の音が響き渡る。


「あ、おかえりなさい」


 シスターの顔がぱっと明るくなる。

 姿を見せたのは中肉中背の、無精ひげを生やした『だらしなさそうな男』だった。


 皮の上着を羽織り、胴体には鉄のプロテクター。薄汚れた分厚いズボンを穿いた黒髪の男は、ふらふらになりながら倒れ込み、丸い椅子に抱き着いた。


「あぁ…………がぁ…………しん、どぃ…………」


 寝癖を直さないまま一日が経っていたような男は、目の下の隈もかなり深い。

 皮の手袋の上からでも分かる白い印がほんのりと浮き上がって見えたので、彼も勇者なのだろう。

 なのに、ここまでグロッキー状態になるということは、かなり大変な任務を全うしてきたのだろうか……。


 ごくり、とチカチルの身に降りかかるであろうこれからの大変さに息を飲む。


「…………シスター……任務、失敗だな……」


「はぁ。いっつもでしょ。トリタツ様は一体なにができるんですか?」


「わからん。というかたぶんなんにもできないと思うぞ? 俺は落ちこぼれだしな……勇者になって十年、もう才能は枯れてんだ……。俺には無理だよ、引退だな――」


 椅子を抱きしめ、座る部分に頬をくっつけた大人の男がぼーっと宙を見つめている。

 色を失った死んだ目だった。全てに絶望し、やる気を失ったダメな大人がそこにいた。


「シスター……あれ、大丈夫なの?」


「うん? うん、いいの。だっていつもあんな感じだから」


 シスターは冷蔵庫から刺激的な飲料を取り出した。

 お酒ではない。コップにドバドバと注ぎ、満杯のグラスがカウンターに置かれた。


 音に気づいた男が椅子に座り直して、差し出されたそれを一口、口に含む。

 喉に通すと、彼の閉じかけていた目がぱちっと開いた。


「くぅ――――ッッ、きたきたきたぁッッ!!」


「お酒じゃないんだよね?」

「お酒じゃないですよー」


 お酒でなくともヤバイ薬なのではないか、と疑ってしまう。

 さっきまでの生気のなさが嘘みたいに、彼はエネルギーに満ち溢れていた。

 すると、そこで初めて、男が隣にいたチカチルに気づいたようだ。


「んぁ? ……シスターの友達か?」


「えっと……あの、これ……」


 チカチルが手の甲の印を見せる。

 同じ勇者であることに気づいた男が、驚きながらも「あぁ」と気のない返事をして、


「そうか……当然、下の世代が出てきてるんだよなあ……」


 と、せっかく元気になったテンションが早くも元に戻っていた。

 手に持つグラスを左右に揺らして、中の氷がカラカラと音を立てている。


 俯いていた視線がチカチルに戻り、不味いものでも食べたように顔をしかめている。

 人の顔を見て…………失礼な男だった。

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