第3話 ピンズ(タウン)の教会へ①


 長い黒髪を後ろでひとつ結びにした十九歳のチカチル。

 彼女は初めての首都にきょろきょろと周りを見渡していて……、完全におのぼりさんだ。


 彼女の故郷である村は高低差があり、自然と一体化した土地だった……近くの町も似たり寄ったりだったのだ。

 村の近辺から遠出をしたことがなかったチカチルは、写真でしか見る機会がなかった首都の眩しい景色に、まるで「ここは絵物語の中?」と戸惑うばかりだ。


 虎の国(と、傘下の小国も含め)は伝統を重視しているため昔ながらの町並みのままだが、それにしても、高い建物が立ち並ぶ光景はまるで蛇の国だ。

 ガラス張りのビルなどが乱立していて……港の近くだけ過剰に発展しており、別世界のようだ。この場所だけ他国と言われても納得してしまう。


 やっと、虎の国も重い腰を上げ、閉鎖的な国柄を改善しようとしているのだろうか。


「魔法陣がなくなりつつあるんだから、それに代わるものが必要で……。やっぱり今までの文化だけじゃ存続が難しいのかもね……」


 多くの人がさらっと言ってしまえる目の前の課題だが、魔法陣がなくなることで今までの当たり前が崩壊することになる。

 ……それは若者が「自分が死んだ後のことだし」と言えるほど遠い現実ではないのだ。

 笑い話にしているが、笑っている場合ではない危機が手の届く位置にあることを、皆は分かっていない……――わけではないのだ。


 きっと、自覚的に目を逸らしている。

 勇者がなんとかしてくれると思って……問題を先送りにはできないのに。


 いつ、どのタイミングで生活が崩壊するかは分からない……まだ大丈夫、という気持ちが、生活を変える=捨てる行動にならない理由だろう。


 伝統重視は、言い換えただけで思考停止の国民性を表しているのかもしれない……。



 蛇の国の台頭。

 同時に虎の国は一歩も二歩も遅れを取っていることになる。

 竜の国は自国の文化を残しつつ、近代の文化と技術を取り入れながらも今もまだ成長を続けている。三大国家の中では、拮抗しているようで竜の国が昔からのトップなのだ。

 ……その座は、今もまだ誰にも譲ってはいなかった。


 比べて虎の国は……今のままでは心許ない。

 古い文化を維持し続ける国としては価値があるかもしれないが、いざ戦争となれば早々に潰される敗戦国となるだろう。

 傘下の国々が敗北に怯えて虎の国を見限れば、この国はもうどうしようもない。


 過去の文化を破壊することを嫌う層がいても一定数だ。

 総意ではない。

 とは言え、やはり虎の国を近代化させるための後押しにはならないのだ。


 ……壊すよりも維持することの方が重要視されやすい。大きな変化を嫌うからか。

 意外と、虎の国でも意見は真っ二つに分かれているのだった。

 それでも、虎の王が古代を重視する、という意見を覆さなければ、虎の国はこれからも古代の文化を宝として守り続けていくのだろう。


 ちなみに、チカチルはもちろん近代派である。


 過去の遺産に興味がないのだから……若者はそんなものだった。



『チカチルは可愛いんだから、オシャレな服とか着たらダメだからね? できるだけ地味で素朴な田舎の子、みたいな服にすること! 都会に染まって派手になると、わるーい男に捕まっちゃうんだから。まあ、勇者になったチカチルなら、悪い人なんて簡単に撃退できちゃうとは思うんだけどね……』



 母からのアドバイス通り、チカチルの服は地味なものだった。

 肌を見せない灰色の服。しかし腰を帯で締めているので彼女のスタイルの良さがはっきりと見えている。親バカな母ならこれでも可愛い可愛いと連呼するだろうけど。


 充分に地味な格好だった。

 確実にもっと地味にするのであれば仮面を被ってしまえばいいが、逆に目立ってしまうのでこれくらいで丁度いいのだろう。隠し過ぎても逆効果になってしまう。


 木を隠すなら森の中だが、今のチカチルは木ではあるが場所が森ではないのでやはり違和感を与えてしまう。

 いっそのこと、ドレスを着てしまった方が目立たなかったかもしれない。

 ……どちらにせよチカチルは目立ってしまう運命なのかもしれなかった。


 勇者云々以前にチカチルという人間は人の目を引く。

 自覚がないだけで注目を集める言動には事欠かないのだから。


 ともかく、頭ひとつ抜けているとは言え、今に限れば悪目立ちの方だ。

 田舎から出てきた若者が金のためならなんでもするだろうと周りに思われ、カモにされる可能性もあるが、聞く耳を持たなければいい……。以前のチカチルならトラブルに巻き込まれていたかもしれないが、今の彼女は勇者だ。その名で説得するのは簡単である。


 力でねじ伏せることも。


 首都にやってきたチカチルの目的はひとつだ。

 観光はその後だ――全てが終わってから、存分に首都を楽しめばいい。

 チカチルがまずいくべきところは、教会である。



 町の中の案内図を頼りに歩いていくと――――見えた。

 白い建物だ。


 周りが高い建物ばかりだった区画から少し離れた場所にあった。

 一気に風景が変わり、まるで田舎の風景を切り取ったような場所にチカチルがほっとひと安心する。


 人が入るには大きめな、両開きの扉を押して中に入る。

 ――ちりんちりん、と付いていた鈴が鳴った。

 入店を知らせる音が、居眠りをしていた『シスター』を起こしたようだ。



「……ん、はっ!?」

「おじゃましまーす……」


 よだれを垂らして居眠りどころか熟睡していた様子のシスターが飛び起きる。

 反動で被っていた白いベールが落ちた。鮮やかな緑髪が見える。


「あ、の……勇者になって……初めてなんですけど、おじゃまですか?」


 やってます? とおそるおそる足を踏み入れるチカチル。

 教会の中は横にも上にも広かった。正面奥には日が入るステンドガラス、手前には舞台がある。さらに手前には扇型に長い椅子が等間隔に並べられていた。

 そして、似合わないが扉のすぐ傍にはカウンター席が設けられていて、軽食なら頼めばすぐに出てきそうだ。

 実際、カウンター中には棚があり、グラスや瓶が置いてある。お酒の種類も豊富だ。

 未成年なので頼むつもりはないが、ジュースくらいなら出してくれそうだ。


「あのー……」


 白い修道服のシスターが、まだ寝ぼけたまま、目元を擦りながらチカチルを観察している。

 突っ伏して寝ていたせいか、頬には赤く痕が残っていた。

 服装からキッチリしているシスターには珍しい。

 顔以外の肌は見せない、と徹底しているイメージだったのだが……こういうシスターもいる。当たり前と言えば当たり前だ。


 勇者にも個人差があるのだから、シスターだけが例外なわけもない。


「………………はっ!?」


 ぱちくり、とやっとまんまるの目が開かれ、チカチルをちゃんと認識したようだ。

 直前まではそこにいるのが人だとは思っていなかったのかもしれない……。


 襟のところでふたつ結びにしている緑髪のシスターが、自分の立場を思い出したのか、一度大きく咳払いをし、テーブルの上にあったモノクルをはめてから一言。


「いらっしゃい。教会へようこそ、勇者様」


「いや、できる女を演出してももう無理だと思うよ?」

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