第一幕 バニー・パラダイス

第1話 +1 ブレイバー


 虎の国の辺境の村に住む平凡な少女、チカチル。


 彼女は九年前、勇者ならぬ『英雄』に命を救われた。



 母親不在のある日、留守番をしていた彼女の家へ勇者がやってきた。

 勇者と名乗った大男は、家から金目の物を奪っていった……この国では……――いや、この世界では、勇者が必要であると判断した道具は譲らなければならないことになっている。

 絶対のルールの下で、人々は生活をしているのだ。


 世界を支配している魔王に、唯一対抗できる存在……それが勇者だ。

 彼らの意見は絶対であり、彼らが世界の希望でいてくれるからこそ、人々は明日を生きようと思える。だが、なんの力も持たない民間人にだって譲れないものがある。


 勇者が奪っていったのは、母親が大切にしていた……チカチルからすれば祖母の遺品。

 たとえ勇者であっても、それだけは渡せない……っ!


 チカチルの行動が勇者を否定してしまう。

 十歳の子供の反抗に激昂した勇者が、チカチルに刃を向けた。

 振り回されているのは大男の身の丈以上の大剣だ。


 ……もしも『彼』がきてくれなければ、チカチルの命はその場で奪われていたはずだ。

 勇者を裁くこともできず、チカチルは強い未練をこの世に残していたかもしれない。


 だけど。


 チカチルは今も生きている。


 赤髪の英雄に、救われたのだから。

 彼は勇者よりも勇者らしく、チカチルの前に立ってくれた。

 名前は分からない。

 特徴的な赤髪と肉食獣のような金色の瞳だけは強く印象に残っている。


 当時のチカチルからすればお兄さんと呼べる青年だった。

 ……あれから九年も経っていれば、今はもうすっかり大人になっているだろう。


 あの日のまま、とは言えないけれど……きっと当時のままカッコいいのだろうとチカチルは思っている。



 あれから長い年月が経ち……チカチルは十九歳になった。

 背丈はあの人とそっくりだった。


 世間を知らない幼い頃は、勇者になることを夢見ていたチカチルだったが、今は現実を見て先生になるための努力をしている。


 辺境の村から近くの栄えた町へ。

 港に近い首都へいくべきだが、旅費のこともあり、近くの町で指導者の技術を見て学んでいる最中だ。


 教壇に立つ先生になるための学生生活は、まだ続いている……。

 これからもまだまだ続くのだろう。

 嫌なわけではない。数ある中から選んだ夢だ。

 納得して目指しているけれど、やはり奥底で燻る炎は、まだ残っている……。


 不安、焦燥感、後悔。拭えないそれらがべったりと心にまとわりついていて……。

 誰にも理解されない悩みは、彼女の内心でどんどん膨れ上がっていく。


 ――これでいいの?


 何度も何度も、自問を繰り返し、答えはまだ一度も出ていない。



 帰路についたチカチルが見たのは、空を通り過ぎていく白い光だった。


 流れ星? のような光は、直線移動の途中で、まるでチカチルに引っ張られたかのように軌道を変えて……視界の端で落下を始めた。

 目で追いかけるが、途中で見失ってしまう。

 しばらくして白い光が夕日を塗り潰すように激しく一瞬だけ光った。

 落ちた場所を示すように、自分はここにいる、と主張しているようにも思えた。


 林道から外れ、高低差のある丘を越えて光の下へ急ぐ。

 あれだけ目立つ光であれば他の人も気づいているだろう。

 野次馬が集まってくる前に見つけなければならない。


 ……でも、なんで見つけなければいけないのだっけ? と、チカチルは自分がどうしてこうも積極的に行動しているのか分かっていなかった。


 光に誘われ、普段は通らない『道とは言えない』斜面を上がった先に……――見下ろせる斜面の下に、あった。


 今はもう薄くなってしまっているが、白い光が地面に落ちている。

 発光しているそれが一体なんなのか分からないが、首飾りや耳飾りにできそうな手の平サイズのアクセサリーらしきものだった。


 斜面を下って、白い光にチカチルが近づくと、


「え?」


『キミを待っていたんだ』


 不思議な感覚だった。

 まるで質問が分かっていたように、返答が先に出る。


「わたし、に……?」


『この力はキミのものだよ……「勇者」チカチル』


 ――勇者、と言った。

 その白い光の、声の主の正体は分からない。

 だが、光を受け取ったことでチカチルは勇者に選ばれたのだと、理屈ではなく感覚で理解した…………力が湧いてくる。


「ちょ、ちょっと待って……そんな急に、わたしが勇者って……っ」


『キミがこれからすべきことは、各国の教会へいくことだ。そこから先は、勇者を見守ってくれている「シスター」が案内してくれるよ』



「――わたしには務まらないよ!」


『キミならできる』



「…………そ、っか……」


『今のキミなら……キミが憧れている「あの人」と肩を並べられるんじゃないかな?』



 チカチルの命の恩人であり、憧れであり、力になりたい人であり――――

 初恋、なのだと思う。

 彼以上にドキドキさせられたことがなかった。

 彼以上に他人のことを強く想ったこともなかった。

 だからきっと、これが恋なのだ。


「この力があれば、あの人を見つけることもできるかもしれない……っ」


 あの人が以前のように英雄らしい活動をしていれば、勇者となったチカチルと出会うこともあるだろう(それとも、今はもう勇者だろうか?)。


 探すまでもなく近い内に再会できるかもしれない。

 勇者になることは、あの人にもう一度会うための最も効率の良い手段と言えるだろう。


「…………わたし、勇者になるよ」


 かつて「勇者になりたい」という無謀な夢を持った幼い少女がいたが、成長と共に挫折し、違う道を進もうと決めた。

 ……その時に捨てたはずの夢は、今になってなにもせずとも彼女の手の中にあった。


 ――欲しいと思えば手に入らず、見切りをつけた後になぜか手に入ってしまう……。

 誰もが通る道であり、現実とはそういうものだ。


 欲しいと思ったから手に入るような、都合の良いフィクション体質ではないのだから……やはり自分は平凡なのだとあらためて理解させられた。


 でも、これからはもう違う……彼女はもう、正真正銘、勇者なのだから。


 世界の主役だ。

 そして世界は、主役の平凡を許さない。



『選ばれたのだから、もう逃げられないからね?』



 ――この日。


 世界に、新たな勇者が『補充』された。

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