第3話 勇者とまちびと②

「…………っ」

「よしよし、諦めたか、良い子だ」


 雑に頭を撫でられ、嫌悪で反射的に払いそうになってぐっとこらえる。

 いいから早く出ていってほしい……わたしの目の前から、消えてほしい。

 言葉にこそしないが、チカチルは怒りをがまんするため下唇を強く噛む。

 たとえ血が垂れようとも、構わなかった。


「他のモンは……ねえな。金目のモンはこのネックレスだけかよ」

「…………」

「おい嬢ちゃん、他に隠してるモンはねえか?」

「…………ないよ」


 あっても言わないけど、と言わんばかりのチカチルの反抗的な目を見たからか、勇者の手が伸びた。

 チカチルの胸倉を掴み、持ち上げる。

 勇者の恩恵がなくとも、十歳の少女を持ち上げることなど簡単だろう。


「な、ない、って、言ったし……ッ」

「そういうことじゃねえよ。お前……魔人に唆されてたりしねえよな?」

「は? ぇ……?」


「いるんだよな、魔人に操られ、勇者を追い詰めようとする傀儡がよ。操られた側は無自覚だから、無実だと主張するが……勇者に敵対心を抱いた時点で黒なんだよ。実際にどうかはもう関係ねえ。どうだっていい――。魔人と接触しているという疑惑がある時点で、誰だろうと始末しておくべきだ」


 たとえ十歳の少女であろうと。

 勇者の太い指がチカチルの柔らかい首の肌に食い込んだ。喉を圧迫する。

 まだ小さく狭い食道が、簡単に閉じられた。……呼吸ができない。


「か、はッ――!?」

「悪いな。こっちも魔人には手を焼いてんだ。加えて、操られたお前らに構ってる時間もねえ……。後に邪魔になるなら今、疑わしい時点で消しておく。――未来のためだ、許せ」


 あと少し、勇者が指に力を入れれば、チカチルの意識を奪うことができる。

 ……命だって。


 人の命をあっさりと奪うことができるのだ。

 魔人も、勇者も、その脅威は同じだった。


「――ふ、じん、だ、よ……っ」

「あ?」


 ほとんど意識などなかった。

 ……歪む視界、遠くなっていく意識の中で、チカチルは勇者に抱いた感情を言葉にする。


 ――聞いた話と違うじゃないか! 勇者とは、こんな悪党なんかじゃない……。

 勇者とはもっと、もっと――――正義に実直だった!!


 人の正義は千差万別だ。だけど、少なくとも、この男の正義は正義じゃない。

 偶然、道に落ちていた王に匹敵する権利を拾って、甘い蜜だけを吸おうとしているだけだ。

 打倒魔王の正義を被って大義名分を悪用した勇者という名の悪魔だ。


 悪魔以上に魔人で。

 魔人よりも魔王だった――――勇者に討ち取られるべき、敵だ。


 チカチルが遠ざかる意識を掴み取る。

 力強い瞳が、勇者の瞳を射抜いた。



「――こんな『りふじん』ッッ、だまったままじゃいられないッッ!!」



「…………あぁ、そうかよ」


 勇者の目が、細く鋭く――チカチルを本当の敵と認識した。





 ただの十歳の少女と思っていれば、その中身には勇者も気後れする強い芯がある。

 彼女をこのまま生かしておくのはまずい……。


(この俺を見ても恐れねえ度胸はご立派だが、こういうガキが成長すると、後々厄介な『先導者』になるかもしれねえからな……。今更、世界のルールを捻じ曲げることはできねえだろうが、念のためだ。多数の意見が今の当たり前を覆すことも、ないわけじゃねえ。まだ小さな光だ……だが、ここで芽を摘んでおいた方がいい。――俺らの、勇者のためにもなぁ……)


 魔法は必要なかった。

 武器も不要。勇者の筋力があれば、十歳の子供など片手で捻り潰せる。

 勇者側に覚悟があれば――――


 敵を殺す、覚悟があれば。


 そんなもの、勇者として生きていくと決めた時点で既に手の中にある。

 この男も、知らぬ間に歪んでいたのだろうか……?


「じゃあな、勇敢なお嬢ちゃん」


 ぐっ、と、勇者の腕に力が入ったその時だった。





「――ガキに今のセリフを言わせた時点で、腐ってることは確定だな、勇者」



 横から手首を掴まれ、不意の痛みに勇者がチカチルを手離した。

 その隙に、姿を見せた謎の人影から、刺さるような鋭い蹴りが繰り出される。


 勇者は避けることができず、相手の蹴りをまともに喰らった。

 つま先が腹部を打ち、衝撃が勇者を貫いた。

 両足が浮いた勇者が後方へ吹き飛ぶ。腰、背中と、地面を何度もバウンドして家の壁を破壊し――家の外へ転がり出ても勢いはなかなか止まらない。


 随分と離れた場所で大の字となり倒れる勇者は……起き上がらなかった。


 だが、まだ勝負はついていない――。


「けほっ、こほ……っ。え、……だ、れ……??」


 フード付き黒マントを羽織って正体を隠す謎の人物。

 勇者と比べれば線が細い彼(?)……のフードが、家を抜けた強い風によって外れた。


 見えたのは肩まで伸びた赤髪と……肉食獣のような金色の瞳だ。横顔がふと中性的に見えたが、男性だろう……きつい目つきと威嚇する声がやはり男性らしかった。


「偶然、通りかかっただけだ」

「…………」

「家の壁、壊しちまったな……悪い。あとでちゃんと直しておくぜ」

「う、うん……」


 大人と言うよりはまだ青年らしさを残す彼の視線がチカチルから外れる。

 彼の意識を集めたのは、壊れた壁のその向こう――――


「オマエは隠れてろ。ガキは足手まといにしかならねえんだ」

「ま、まって……っ、相手は勇者で、強い、から……ッ」

「――ああ、嫌ってほど知ってる」


 心底嫌な顔をしながら、青年が答えた……そんなことは百も承知で挑んでいるのだと。

 その分、勇者の殺し方も熟知している――そうとも取れる答えだ。


「『理不尽に黙っていられない』か……――ああ、その通りだよなあ」



 勇者への反抗。声に出して共感してくれる人なんていないと思っていた。

 だけど、彼だけはチカチルを見捨てなかった。


「安心しろ、勇者はオレが殺してやる。賛否はあるだろうが、少なくともオレは、勇者がいない世界の方がマシな世界だって思うぜ?」


 よく考えれば片方に傾倒している危険な思想ではあるが、彼の存在が大きくなっているチカチルにとっては、疑問にも思わなかったことだ。

 幼い彼女の芯に強く刻まれた『英雄』。

 ピンチに駆け付けてくれた正義の味方だ。

 ……チカチルからすれば、彼の姿は勇者よりも勇者に見えたのだ……。


 いいや、もはや勇者に正義の印象はない。勇者と聞けば大衆が俯き、目を付けられないように気配を消して生活するくらいには毛嫌いされる存在だ。

 権力を持った後天性の勇者の横暴が目立ってしまっている。

 もちろん、中には勇者本来の役目を全うしている者もいるのだが……。

 どうしたって、目立つ悪印象に引っ張られてしまう。

 どんな正義も一部が黒く染まれば、全体が黒い疑惑を持たれてしまう。


 人間社会など、そういうものだ。


「オマエ、名前は?」

「ち、チカチルっ」


「そうか、チカチル……さっきの勇気ある反抗、カッコよかったぞ」

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