第2話 勇者とまちびと①
竜の国、虎の国、蛇の国。
北、西、東にそれぞれ位置する大陸と代表される国である。
世界三大国家と呼ばれ、独自の文化と生活が発展しており、どの国が世界を引っ張っていってもおかしくはない力を持っている。
それぞれの国の傘下に小国が存在しており、世界には全部で十一か国が存在していた。
そこには含まれず、国ではないが大きな存在感を発揮しているのが――南の大陸の『魔王領』である。その主である魔王が墜ちれば、次は三つの大国が世界の権利を奪い合って戦争を始めるだろう。魔王という存在は人間側を一丸とさせるための共通の敵、という役目もあったのだ。
……とは言ったが偶然であり、魔王に意図があったとは思えない。
本人しか、真意は分からないだろう。
十歳となった少女チカチルは、虎の国の辺境の村に住んでいた。
三大国家の中でも特に旧時代を意識した国であり、大昔の風習や建造物、信仰や道具が残っていて、今も現役なのだ。
竜の国は古代と近代が入り混じっており、蛇の国は完全に近代を重視した国だ。
蛇の国の歴史は浅いので当然ではあるのだが。
積み重ねた歴史がないため、旧時代から引っ張ってくるものがないのだろう。
重んじる歴史がなければ、新しいものを簡単に取り入れることができる。
未来へ繋げる尊重すべき歴史がなければ、昔に縛られることもない。
虎の国は、比べてしまえば最も過去に縛られている国とも言えた。
「チカチル、留守番おねがいね」
母に家を任された。
家でひとりのチカチルが家事を片付け、学校から出された宿題に手をつけている時だった。
開いたままだった窓の外に人影があった。それを不用心だと咎める者はこの村にはいない。
顔見知りであれば勝手に出入りができるほどには距離が近く、私生活が明け透けな環境だった。それでも、見えたのが知らない顔であれば、十歳でなくとも戸惑うだろう。
「よっと……邪魔するぜ」
「え。……だ、だれ!?」
「勇者様だ。悪いな、ちと金欠になっちまったんだ。部屋の中のもんを借りるぜ」
動物の毛皮を羽織っているような大きな男だった。
灰色の髪と筋骨隆々の体格。
背負う大剣は、虎の国では珍しい一品だ。竜の国からやってきた勇者なのかもしれない。
虎の国出身の戦士は武器を好まず徒手空拳を使いたがる。そのため彼が背負っているような攻撃力の大半を武器に依存するようなスタイルは少なかったりするのだ。
――勇者、と名乗った男が家主に許可も取らずに部屋の中を物色する。
チカチルは勇者の邪魔にならないように、部屋の隅っこへ移動した。
「ま、魔人が出たの?」
「あん? ……あぁ、残念ながら獲物はいねえよ。気になる情報もねえ。大なり小なり騒ぎも起こってねえし、教会にいっても仕事はゼロだ。世界が平和ってのは進展がなくて困ったもんだ」
「そうなんだ…………あれ? じゃあなんでうちにきたの?」
「金欠だっつったろ。金目のものを少しだけ拝借するぜ。……言っておくがお前に拒否権はねえからな。勇者は必要だと判断すれば民家から道具を拝借することができる。そして、それを拒否できる
母親の教育を疑った男だったが、チカチルが頷いたのを見て作業に戻った。
……分かっている。勇者の行動におかしいところはなにもない。
ひとこと断って家の中を物色しているのだから、行動が盗賊と同じでも必要なことなのだ。
魔人との戦いが目前に迫っているわけではないが、この手助けが後々勇者の勝因となるのであれば、拒絶をするのは未来の損失だ。
……だから、チカチルは見ていることしかできなかった。
「あ」
「ん? おぉ……こりゃまた……換金したら大金に化けそうな宝石だな」
ネックレスだった。
それは母親が大事にしていた、チカチルからすれば祖母からの贈り物……遺品でもあった。
母親が苦しい時、悩んでいる時、嬉しい時、毎晩のように語り掛け、日々欠かさず手入れをして綺麗なまま大事にしまっていた宝物。
家の中で最も高価なものであり、たとえ勇者であっても譲れないものだ。
母の宝物を、勇者が握って、懐へしまった。
「まってっ、それは……ダメ……ッ」
「あぁ?」
チカチルの拒絶の言葉に、勇者の目の色が変わった。
開けていた棚の引き出しを強く閉め、衝撃で棚の上の家族写真が倒れてしまう。
「おい、嬢ちゃん。俺は勇者なんだぜ? 勇者が必要としている
部屋の真ん中にある大きなテーブルが蹴り飛ばされた。
激しい音に、チカチルが両手で頭を抱えて咄嗟に屈む。
男の足が地面を踏みしめ、ずずん、と家が揺れた気がした。
同じ体格の男性でも簡単にできることではない。
勇者だからこそ、運動能力や筋力が勇者以前よりも上がっているのだ。
たとえば一度の跳躍で三階建ての建物の屋上へ飛び乗れたり、さらに屋上から飛び降り、地面に落ちても骨が折れることはないなど、勇者になったことで得た恩恵がいくつもある。
体の線が細い勇者でも戦闘能力が高い秘密がここにあった。
宙を舞ったテーブルは壁に当たり破壊された。ぎゅっと目を瞑っていたチカチルが、しんとなった部屋をおそるおそる目を開けて確認すれば……勇者の大きな手が、チカチルに迫っていた。
チカチルの頭を、軽く鷲掴みにする。
上から覗き込む勇者の視線に、無理やり合わされた。
「勇者を否定するのか、お嬢ちゃん」
「ぃ、ち、ちが……」
「なら、黙ってそこで見ていればいいんだよ。ガキが口出ししてんじゃねえ」
「で、でもっ、そのネックレスはね、お母さんの大切な――」
チカチルのすぐ真横。
速くて見えなかったが、勇者の足が伸び、壁を蹴った。
亀裂、どころではない。
足以上に大きな穴ができた壁――外の景色がよく見える。
「思ったよりもいいじゃねえか、開放感がある部屋に模様替えだな」
チカチルのすぐ傍で、砕けた壁の破片が落ちている。
……母とのふたり暮らしで住み慣れた家が、こうもあっさりと簡単に壊れていくなんて……。
しかも、勇者に壊されるなんて。
確かに、歯向かったチカチルが悪い(……嫌なことを嫌、と言っただけではあるが)――それでも、切迫した状況でなければ勇者も譲歩するべき場面はあるはずなのだ。
勇者への不信感は今に始まったことではなかった。
勇者は民間人に助けられている部分が大きい。
民間人を魔人から守っている勇者ではあるが、そこは助け合いだ。
本人が嫌だと言うのであれば、勇者と言えど聞き入れるべきではあるが……、勇者になった全員が、正しいことをしてくれるわけではない。
多数が求める理想の勇者を、演じてくれているわけではないのだ。
腰が抜け、尻もちをついたチカチルが男を見上げた。
自覚なく目尻に溜まった涙が、頬を伝って床に落ちる。
「騒ぐなよ? してもいいが、お前の主張が果たして周りの大人を動かすか?」
子供の虚言か、勇者の弁明か。
色眼鏡が元からかかっている以上、チカチルへの信頼は薄いだろう。
大人たちも勇者に逆らえないため、勇者の味方をするしかないと分かっているからか。
たとえチカチルの言うことが本当であると信用しても、勇者に物申すことはできない。
それだけ、勇者の立場は強くなっているのだ。
国の王よりも。
その立場と権力は強い。
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