勇者20000/揺れるしっぽのブレイバー

渡貫とゐち

序幕 ちいさなゆうしゃ

第1話 プロローグ/勇者と魔王の絵物語

~プロローグ~


 ――少女は英雄ゆうしゃに憧れた。

 ――少女は彼を追いかけ、彼に劣らない力を手に入れた。

 ――少女はかつて自分を救ってくれた英雄のように、別の誰かを助けるのだ。


「チカチル、もうそろそろ寝ましょうか」

「うんっ。じゃあじゃあおかあさん、寝るまえに勇者さまのお話きかせて!」

「また? ……ほんと、チカチルは勇者様が好きなのね」

「だって勇者さま、カッコイイんだもん!!」


 母と子、ふたりが並んでベッドに入る。

 母が取り出したのは、枕元に置いてあった使い古された絵本だった。

 それから母が手を伸ばし、傍にある使い込まれた置物に触れる。


 旧時代から転写されている魔法陣に微量の魔力を流し込み――

 未完成だった魔法陣に魔力が足されて完成する……これで魔法が発動するのだ。


 置物が優しく、オレンジ色に光った。部屋の一部を照らし、薄暗い部屋でも絵本がよく見える。目に優しく、子供でも本が読みやすい。加えて眠りやすくなる効果もある。

 気づかれない程度にリラックス効果がある匂いも部屋を満たしているので、子供が眠るには最適な空間になっていた。


 魔法。

 無限ではないが、魔法が今の生活を支えている。


「むかしむかし、世界を支配する無敵の魔王に傷を負わせることができたひとりの人間がいました。彼は勇者様と呼ばれました。彼は魔王の反撃を受け、命を落としてしまったのです……ですが、勇者様は自分の力を小さな欠片に変え、世界にばら撒きました――」


 その欠片の数は二万にもなると言われている。

 世界には勇者が残した二万の欠片が今もまだ残っており、欠片に触れた者はかつて魔王に傷を与えた勇者とほぼ同じ力を扱える、と言う……。

 旧時代の勇者の二万分の一の力を振るうことができる者たち――過去から正義を引き継いだ今を生き未来を守る英雄……『勇者』たち。


「今を生きる二万人の勇者様が、傷を負って姿を隠し、時間をかけて傷を癒している魔王を見つけ出して、きっと討ち取ってくれるはずです。……しかし、魔王も黙って見つかるまで待っているわけではありません。魔王の子供たちが親を守るのは当然でした」


 魔王の子――『魔人』。

 彼らは人の倍は生きる長命のエルフ種と人間の混血だ。


 魔王は純粋のエルフ種であり、旧時代の世界の支配者は、魔王による支配の前はエルフ種だったのだ。このあたりの話は子供に読み聞かせる絵本では語られない歴史である。


「しかし魔人たちは姿を見せませんでした。なぜなら、彼らは人間社会に溶け込み、勇者様の油断を誘って闇討ちをしてくるのですから。旅の途中、寝込みを襲われた勇者様もいました。……それで命を落とした勇者様も多く……」


「まじんってひきょうだね」

「そうね……でもね、チカチル。魔人だけがそういうことをするわけじゃないのよ」

「? 勇者さまはそんなひきょうなことしないよ?」

「ええ、そうね……勇者様のことではないんだけどね……」


 母親の言葉に、少女は首を傾げるだけだった。

 幼い少女に教えるにはまだ早い現実だったのだろう。


「魔人たちは影から勇者様を襲いました。人間と見分けがつかない魔人たちに苦戦する勇者様でしたが、実は魔人を見分ける方法がありました……それは、」

「わかったっ、わるいことをしてる人がまじんだよ!」


 寝かしつけるためのお話が、逆に我が子を興奮させてしまっていた。

 勢いよく手を挙げた少女が答える。確かに、その答えはその通りなのだが……。

 その条件で言うと悪い人間も魔人になってしまう。


 罪を犯した悪人であれば、魔人と共に消してしまっても問題はない……という風潮は国によって差はあれど、ないわけではない。悪人に厳しい世界である。

 魔人も魔王も許せないという強い意識が、人間の悪人にまで当てはまっているのだ。その考え方が悪い、という主張も『悪いこと』だと言われてしまえば、悪人と判定されてしまう。

 魔人でなくとも疑わしければ罰するという意識も強くなってきていた。


 もちろん、悪いことをする側が悪いというのは変わらない事実ではあるが……。


「世界各地で起こる騒動の渦中に魔人がいるのです。勇者様たちは騒ぎがある場所へ赴き、悪人を懲らしめることにしました……魔人であろうと、なかろうと、悪人であれば勇者様は討ち取っていきます。結果、世界から悪人が消えたのでした――」


 表向きは、だが。


 消えたように見えるが、表に見えない水面下では悪人だらけだ。

 水面下こそ悪人の温床であることを、大人になればすぐに分かる。

 不快で嫌悪するものを外へと弾いていった結果、綺麗な世界が出来上がったが、意外とそこには人がいないという事実も見えてしまった。


 弾いた先の水面下の方が人で溢れ、悪人の温床こそが主流になってしまう日もきてしまうかもしれない……。


 平和がゆえに息苦しい世界。

 悪が蔓延る解放感がある自由な世界。


 どちらが良いのか、とは一概には言えなかった。

 良いものに人が集まるとは言うけれど、さすがに悪の温床が良い場所とは思えない。

 平和過ぎても悪意に耐性がなければそれはそれで……、不安な世界である。


 母親は、気づけば眠ってしまっていた隣の我が子……まるで天使のような笑顔に抱えていた不安も消し飛び、癒される。

 そっと、手の甲で頬を撫でながら……我が子の心が歪むところだけは見たくないと思った。


 誰もが望む幸せだろうけど、しかし無理な話だ。

 歪まない子などいない。こんな世界であれば、尚更だ。

 望んでいいのであれば、我が子の歪み方も選びたかった……。

 健全な歪み方があれば……そんな理想があれば……叶えてほしかった――。


「この子は、一体どんな大人になるのかしら……」


 子供を寝かしつける時に聞かせるお話はひとつと決まっていた。

 今の世界を支配する魔王を討つために戦う、勇者のお話だ。


 だいぶ脚色がされているものの、読み物として聞かせるなら仕方のない部分もある。

 勇者の存在とその役目を周知させるために作られたお話でもあるため、内容に差はあっても印象操作は同じだった。


 勇者は世界の味方であり、魔王は世界の敵だということ。

 人間種の、敵なのだ。


「おやすみ、チカチル」


 置物に描かれた魔法陣を指で拭い、魔法を中断させる。

 オレンジ色の光が消え、絵本を閉じた母親も眠ることにした。


 魔法は便利だ。だが……、便利な世の中が終わる時がいずれくるのだ。

 今の時代、転写されている魔法陣を持つ道具が増えることは難しいだろう。

 不足と充填を繰り返す魔法陣はこのままでは不足を越え消滅を招く。魔法陣が消えてしまえば便利な道具はただの器となってしまい、なんの効果も発揮しない……。

 魔法に頼り切りだった怠慢が、人間社会を旧時代へと戻してしまうだろう。

 それが分かっていても、誰もが危機感を抱かなかった。全部を、魔王のせいにして……。


 勇者が魔王を討ち取れば全てが解決すると信じている。

 魔王を討ち取ったところで、悪化しないだけで再生するわけではないのに……。

 魔王が悪で勇者が正義――――これは、この世界では揺るがない常識だった。



 ――少女は英雄ゆうしゃに憧れた。

 ――少女は彼を追いかけ、彼に劣らない力を手に入れた。

 ――少女はかつて自分を救ってくれた英雄のように、別の誰かを助けるのだ。



 ――だけど。

 正義を理由に悪を倒す。

 倒された悪を大切に想っている人がいることを、『少女』は自覚していなかった。


 一方からしか見ていなかったゆえに起こった見落とし。

 少女の中の正義は、随分と前に歪んでしまっていたのだろう――――。

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