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 季節は晩秋へと移り、木々からは紅葉の色が消えた。高校の帰り道、公園を抜けて帰宅する途中で睦と座ったベンチに目が留まる。

 あれから二週間。その間に睦は軽音部をやめた。

 俺と図書館や廊下ですれ違っても、目をそむけるか、たまたま目があっても視線を側めてしまう。もう俺とは一切のかかわりを持ちたくないみたいに。


 空っ風に落ち葉が乾いた音をたてる。

 こんなとき、俺は自分の死を思う。

 俺の屍骸もいつかは塵屑となって、大気や大地に吸い込まれてゆくのだろうか。

 そのとき、俺という自我はどうなっているのだろう。まったくの無になってしまうのか、それとも昔から信じられてきたように、神や仏の世界、あるいは来世みたいのに続いていくのだろうか。

 仏教では「盲亀浮木」という教えがあるそうだ。百年に一回、呼吸のために海底からあがってくる盲目の亀が海面に浮かぶ一片の木切れの穴に顔を出すのと同じくらい、人が人として生まれてくるのは奇跡中の奇跡、ものすごい低確率だという。だから今の人生を大事に生きろという教えなんだけど、それを思うとき、俺は途方に暮れる。

 ようやく人間に生まれて、睦と出会えた。けれどいまとなってはもう、永遠に彼と結ばれることはない。俺たちの奇跡のような出逢いはすっかり無と化してしまったのだ。


 家に着いて玄関ドアを開けると、見慣れない革靴が乱雑に脱ぎ散らかっていた。

 一瞬、泥棒かとも考えた。だが鍵は閉まっていた。逃げ道の鍵を閉める泥棒など、まずいないだろう。

 リビングから明かりが洩れている。おそるおそるドアを開けて目を瞠った。


「よお」


 癖のある馴れ馴れしい声は高倉だった。母さんの情夫だ。怒りと恐ろしさに身が震えた。


「なんで、あんたがここにいるんだよ。不法侵入で警察呼ぶぞ」


 ドクドクと心臓が暴れる。

 高倉はソファにどっかり身を沈めて薄笑いを浮かべている。腕をあげて、わざとらしく鍵を鳴らした。


「美樹からカギ預かってんだよ。サツ呼んでどうなるよ」


 缶ビールを口に運ぶ。


「連れ込んだあばずれが大暴れして、アパートおん出されてさ。あのクッソ女、今度会ったら絞め殺してやる。そしたら美樹が、次の部屋が見つかるまでここにいていいって言ってくれたんだ。ああ、暴れたのは美樹じゃねぇ。安心しな」

「そ…そんなことは、訊いてない! 出ていけ! 俺は、あんたなんか認めないぞ!」

「るッせえ!」 


 びくっと体が跳ねた。


こすっかれえガキが! なにが認めるだ! 生意気言うんじゃねえ!」


 ギラつく眼に圧倒され、身がすくんだ。

 まともじゃないのは分かる。人を傷つけることに慣れ、犯罪を繰り返してきた人間が持つ残虐なまなざしだ。


「この家ッたって、お前のもんじゃねえだろうが! うるせえことぬかすとブチ殺すぞ!」


 本物のヤクザの声だった。それ以上、怖くて何も言えなかった。

 部屋にあがってもずっと怖かった。ドアに鍵を付けたい。さっそく明日、買ってこよう。

 俺はまだ高倉と母さんとの会話を忘れていない。高倉は俺の体を狙っているのだ。


 夜中過ぎ、恐怖に怯えながらうとうとしてきた寝入りしなに部屋のドアが開いた。照明が付く。こんなことをするのはいま、高倉しかいない。

 起きるか。

 布団をかぶったまま寝たふりを決めこむか。

 どちらにしろ目的もなしに入ってきたりはしないだろう。一歩一歩、高倉が近づいてくるのが分かって、我慢できずに飛び起きた。


「なんの用だよ?」


 さっきみたいにキレさせないように用心深く訊いた。


「ふん」


 底光りする目で高倉が哂う。また一歩近づく。急いでベッドから出て立ちあがった。

 とてつもない恐怖を感じて、膝ががくがくと震え出す。

 耳はしっかりと覚えていた。二年も経つのに、まるで昨日のことのように思い出される。


『美樹の息子だからさ、壊したりはしねぇよ。丁寧にやるからさ』


 忌まわしい記憶に身震いする。


「出てけ。俺の部屋だ」


 情けないほど声が掠れる。高倉がまた低く笑う。――助けて。誰か。

 距離を詰められるたびに俺も少しずつ後退した。まもなく背中が窓ガラスのカーテンに当たる。まさに崖っぷちだ。

 カッターか、何か。はさみとか、ペーパーナイフとか。ともかく身を守れるものが欲しい。でも、どれも高倉の近くの机にあって、手が届かない。


「それ以上、近寄るな」


 せめてと思って枕を手にとった。すがりつくようにかき抱く。

 高倉はどっしりとした体つきで背の高さも睦以上だ。恐怖に眩暈がきそうだった。


「そんなに震えるな、うん?」


 手の届く距離まで詰めて、高倉が甘ったるい声を出す。


「顔が真っ青だ。別嬪なツラが台無しだなぁ。何しに来たかは分かってんだろ。ケツ出せ。おとなしくすりゃ乱暴はしねえよ」


 もしも。

 もしも、背後の窓を開けて、睦の名を呼んだら。

 声をあげて助けを求めたら、睦は来てくれるだろうか。

 けれど、それはもうできない。睦に何かを期待することすら俺には許されていないのだ。

 分かっている。助けなど、どこからも来ないのだと。


「あんたを相手するくらいなら、死んだほうがましだよ」


 高く頬が鳴り、ベッドへと倒された。頭を壁にしたたかにぶつける。高倉が素早く俺に跨り、馬乗りになって俺の腕をとる。


「やめろ…!」


 嫌だ。触られたくない。

 全身が総毛立ち、懸命にもがいた。だが、力いっぱいに抵抗してみたところで体格が違う。しがみついていた枕を取りあげられ、床へ放られた。


「死んだほうがマシだと? どの口が言ってんだ、おら」

 

 目をむき、俺の両手首を片手で掴んで、頭の上に押しつける。もう片方の手は喉元にかけられた。


「この口か?」


 首筋に食い込んだ手に力が加わる。

 首を締めつけられ、痛みと苦しさに喉が鳴った。

 気道がつぶされて息ができない。顔が痺れてきて、意識が遠のく。

 高倉の掌の下で、首の脈拍が弱まってゆくのが分かる。とどめをさすように力が加わった。高倉のいきり立つペニスが下腹部にあたり、たまらない嫌悪感が込みあげた。


「やめ…―――!」

「やめて欲しいか?」


 冷酷な声が響く。


「…う、」


 ようやくの思いで頷く。死にたくないと体が必死に抵抗していた。


「なら謝れ。悪かったと言え」

「う――…悪――か、た…」


 視界が白んでくる。意識のなくなる寸前だった。


「言うことをきくか」


 必死に頷く。それで高倉の力がふっと緩んだ。吐くように咳が出た。血液を送ろうとして、ドクドクと心臓が騒ぐ。空気を貪ろうとして息があがった。


「脱げ。ぐずぐずすんな。面倒かけるんじゃねえ、クソッタレ」


 もう反抗する気力もなく、ふらふらと起きあがって服を脱いだ。これこそが確かな現実だ。睦と見たものは、泡沫の夢。儚い灯火。

 高倉が舐めるような視線を這わせてくる。


「四つ這いになってケツつきだせ」


 命じられた通りにした。背後から乱暴に尻をこじ開けられ、なんの前触れもなくペニスを挿入された。


「くぅッ!」


 準備のない窄まりは乾ききっていて、鋭い摩擦による激痛に耐えきれずに悲鳴が喉を衝く。

 急速に突っ込まれる。長いペニスだった。奥に届いたとたん、容赦ないピストンが始まる。生きながら殺すための凶器のようだった。抜き挿しされるたび、準備のできていなかった後孔に激痛が走る。取り返しがつかないほど体が壊れそうな気がして恐ろしかった。


「あ…痛――!」

「おお。イイ。やっぱイイな、お前は。思った通りだ」


 刻一刻と体に加わる衝撃に腕が震え、支えきれずに上体が落ちた。それにもかまわずにピストンは繰り返された。倒れた上体をかかえ起こされ、股の上に座らされる。腸の奥深くまでペニスが突き刺さった。


「ヒッ」 


 高倉の股ぐらの上で、激しくバウンドさせられる。奥底を鋭く突かれるたびに、腸を壊されるような打撃が襲った。


「…あぅ、…うぁっ、…んぁ、…あっ、」


 深いところでピストンを受けながら苦痛に喘いだ。一方で少しずつ、隠微な快楽がひた寄ってくる。


「…う――んあ、…ふ、んん――んうっ」

「は。もう善くなってきたか? えれえ、早えなぁ。母親と同じだ。血は争えねえや。じゃあ、これはどうだ?」


 再び四つ這いにされ、グイっと突っ込まれる。繋がりながらバンバンと尻を叩かれた。両手でかわるがわる打擲され、屈辱に心が爛れて痛む。なのに体の芯からは、また違った快感が興った。


「お? 勃ちやがった。痛いのがたまんねぇんだな? そうなんだな? だってお前のココも、キュウキュウ締め付けてきてやがるもんな?」

「あ、んは…!」


 心も体もジンジンと痛むのに、嫌だと思いながら濡れた喘ぎが出る。高倉がいっそう強く最奥を打ちすえたとき、俺は射精した。


「なんだよ、もうイったのか。淫乱め」


 ああ、そうだ。俺は淫乱だ。最低な男に犯されて、善がって射精までしている俺は愚かな淫乱だ。


「――あ、う…」


 いまだピストンを受ける体が一定に揺れるのを感じながら、涙が零れた。

 睦、

 睦、

 睦。

 なぜお前じゃないんだ。

 俺を貫くのが、なぜお前じゃない?

 あんなに愛しあったのに。

 あんなに求め合って繋がったのに。

 そんなに俺は要らなくなったのか。

 そんなに俺は用なしなのかよ。

 教えろよ。

 睦。

 睦。


「睦――――!」


 高倉がぴたりと動きを止める。腹の中のペニスがびくびくと動いた。


「あつしって誰だ?」


 大きなものが俺の中からずぶりと出てゆく。急に解放された体がくずおれて、布団へとなだれた。


「ああ? 誰だか教えろ」


 悔やむに悔やみきれずに目を閉じた。馬鹿にもほどがある。こんな奴の前で、睦の名前を口走ってしまうなんて。


「ガキのくせにケツの穴ガバガバにしやがって…そいつのせいか? ん?」


 俺の顎を掴んで乱暴にゆすりながら、体を引きあげる。犯されて疲れきっている体は脱力し、雑巾みたいに揺れた。


「高校生のくせに生意気だなあ」


 俺の口元に亀頭の先をあてがう。醜悪な匂いが鼻を突いた。

 無理やり口を開き、押し入ってくる。肛門で俺を切り刻んでいたものが、今度は口腔内で暴れ始めた。

 俺はもう人間じゃない。玩具だ。

 それなら盲亀浮木の教えを説いたお釈迦様にひとこと言いたい。このとおり、俺は人間のなりをしていても人間ではありません。だから今回は人間としてのカウントは無しってことで。それにしても輪廻転生の六生道では、こんな畸形、どこに分類されるんでしょうね?

 ピストンが高速になる。大振りなので喉の奥にあたるたびに、グウっと鳴って吐きそうになった。涙と洟で顔はぐしょぐしょだった。


「おお、おお、おお」


 絶頂を迎えた高倉はペニスを引き出し、出てきた精液を俺の顔に塗りたくる。


「可愛い顔だ。最高だぜ。毎晩、ヤってやるからな。言っとくが美樹はもう帰ってこないぜ。新しい男と暮らすんだとよ」


 萎えたペニスをまだ俺へと擦り続ける。


「舐めろ。根元から綺麗にしろ」


 なんでそんなことまでと思って顔を逸らせると、髪を乱暴に掴まれた。


「俺が命令したらすぐにやれ。俺はな、お前の母親がどんなふうに旦那をったのか知ってんだよ。バラされたくなきゃ、言うことをきけ」


 へえ。なるほど。そういうことか。

 わが不運もここまでくると俯瞰できる。

 雑巾がけをするように、精液まみれのペニスを嘗めあげた。

 とりあえずこいつから開放されたらシャワーを浴びよう。顔と口を洗いたい。

 むくむくと頭を擡げて、ふたたび高倉が硬くなる。…嘘だろ。不運な俺に、悪夢は続く。



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