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睦が何日学校を休んだのか分からない。毎日のように真美の見舞いに行っているのだけは、噂で聞いていた。
会いたかったけれど、おそらくいまの睦は俺どころじゃないだろうと思い、向こうから連絡をくれるのを待っていた。
金曜の夜、睦からメールが来て、駅前の公園で待ち合わせた。学校からの帰宅途中にあるその公園は、中に噴水や水路があって大きい。幼いころに睦とよく遊んだ。
夜の九時半、指定されたベンチで待った。人通りは少なく園内は暗い。だから睦に気づいたのは、たいぶ近づいたときだった。制服を着ているから、今日は登校したのだろう。
久しぶりに会う睦は夜闇でも分かるほど顔色が悪くて、ひとまわり痩せた気がした。
「悪いな。こんな時間に呼び出して」
「いや…」
俺もまだ制服姿だった。
学校から帰ってからぼんやりとベッドで横になっていた。睦が心配だったが、真美や真美の両親の前で睦がどんな思いで過ごしているのだろうと考えると、胸が詰まって思考が止まってしまう。
以前は制服でベッドに乗るのが嫌だったけど、もうベッドが汚れるくらい別にいいやという気になっていた。
睦が学ランのポケットから煙草を取り出す。一本口に咥えて火をつけた。
「制服じゃ、マズいだろ」
「こんなに暗くちゃ分からねぇよ」
睦はこんなふうに、ときたま大胆なことをする。
睦が煙草を吸っているのは前々から知っていた。時々匂いがしたからだ。特にバンド練習のときは私服だし、ドラムスの大学生と一緒に吸っているらしかった。
「今日、久しぶりに学校に行った」
「ああ」
「授業、進みが早いからヤバい。勉強しないと」
「うん…」
手伝うよ、と、いつもみたいに気安く言えない。
「毎日、真美のところに行っているんだろ?」
「うん。真美は本当に車椅子になりそうだ。でも子供は産めるって医者から教えてもらったみたいで、それは喜んでた」
「そう」
「おととい、真美に告られたよ」
抑揚のない声で睦が言った。
「真美がお前を好きなこと、ずっと前から知ってた」
「ほんとに?」
「でも内緒にしといてって、言われてたから」
「そうか」
急に冷たい風が吹いて、俺は首をすくめて学ランの襟を引っぱった。
それを見た睦が、慌てるように携帯トレーで火をもみ消す。早く帰してやらなくては、などと思ったのかもしれない。
「ごめんな」
乾いた声が続く。一瞬、何を謝られたのか分からなかった。
「ここずっと、自分がしでかしてしまったことを考えてた。それで分かったんだよ。この状況から逃げることはできないって。俺には真美への責任がある。それを受け入れなければならないって」
言葉にすることで自分を納得させているみたいだった。
でも、どうしても釈然としない。
よくよく考えて出した結論に違いないけれど、抵抗しないわけにはいかなかった。
「そんなに自分を責めるなよ。真美がああなったのは、お前のせいじゃないだろ」
長いこと言いたいのを我慢していた台詞だった。睦が首を振って否む。
「それは違う、拓。どう考えても俺のせいなんだよ。俺が夢うつつでぼんやりと歩いていたからだ。真美が俺を止めなかったら、俺がバイクに轢かれていた。死んでいたかもしれない。真美は俺の身代わりになってくれたんだ。あいつのおかげで俺は助かった。俺には、その恩を返す義理がある」
続けざまに言いたてる。まるで自分自身に言い含めているようでもあった。
俺はなすすべなく俯いた。
――イヤだ。
そんなふうに言ったら、嫌だ。
心が地団駄を踏む。風に弄ばれ、かさかさと音を立てて足元を流れる落ち葉のように、最後の悪足掻きをする。
膝の上で拳を握った。睦がそっと包む。その重なりを確かめるように目に映した。
大きくてあたたかな手。この手は俺のものだった。
「ごめん、拓。俺は真美と一緒にいないといけない。頑張って、医者になって、真美の人生を肩代わりしないといけないんだ」
すべてを受け入れ、諦めた口調だった。
考えに考え抜いて、睦はこの結論に至ってしまったのだろう。
(それでも嫌なんだ、睦)
鋭いものでえぐられたように胸が痛む。
事故の酷さを知って以来、こうなることを俺は恐れていた。心のどこかで諦めていたような気もする。それを認めたくなくて目をそらしていた。
「分かった」
求められているであろう台詞を口にし、その手を外して立ちあがる。心が無くなってしまったみたいにぽっかりと胸に穴が開いた。この冷たく残酷な風みたいに、運命は俺から睦を奪い去ろうとしている。
それでも俺のことでこれ以上、気を煩わせたくないと思い、無理に笑顔を作って睦を見おろした。
「仕方ないもんな。別れよう」
睦が俺を見あげる。泣き出しそうな、苦痛を帯びたまなざしだった。それを認めた途端、微笑する力が失せた。
こんな潔さは嘘だ。俺はこんなこと受け入れられない。
(すがりついてでも、嫌だと言いたいのに)
いまなら遅くないのか。だったら嫌だと言う。それが許されるのならば、泣いてでも引き止める。
けれど許されてはいないのだろう。ならばせめて睦がつらくならないように別れようと思った。
「帰る。お前は?」
「もう少しここにいるよ」
「タバコ吸うなよ。警察が見回ってるぜ」
「そうだな」
その寂しげな顔を見て、目の奥が熱くなる。
(好きだ、睦)
いま、このときも。
狂おしいほど。
声にならない言葉を飲み込み、睦に背を向けて歩き出す。途中から早足になる。木陰に入ると、思い切り駆け出した。
人の波をすり抜けて全力で走った。力を振り絞って、足を前に振り出す。大地からの反動を感じながら、何も感じなくなるくらいに体をぶち壊したくなった。走って、走って、このまま大気にのまれて消えてしまいたい。生きているのがつらい。
ようやく部屋にたどりつくと、ドアを閉めてしゃがみこんだ。
愕然とする。
こんなふうに終わってしまえるなんて。こんなふうに呆気なく別れることもあるのか。
ごくっと唾を飲みこむと、渇いた喉が痛んだ。
孤独な部屋に、祝福からひとり取り残された、俺。
自分の拳を見た。さっきはこの上に睦の手があった。けれどいまはもうない。あの手が乗る日は二度と来ない。その寂しさに狂いそうになる。
「嫌だ――! 睦…!」
体が震え出し、耐え切れなくて立ちあがった。
冷えたベッドにもぐりこみ、胎児のようにうずくまる。
布団に染み付いた睦の残り香が鼻孔を掠め、恋しさに胸がちぎれそうになった。思い出すのは、懐かしい声と、体の芯までとける甘いぬくもり。心ゆくまで密着させた、互いの肌と肌。
たくさん抱きあった。数えきれないほどのキスを交わした。
なのにもう、ここに睦が来て寝ることはない。
そう思った途端、涙が迸り出た。睦との思い出が次々と湧いてきて胸を締めつけた。
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