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 軽音部顧問の仁科と睦は仲が良くて、睦はいろいろと雑用を引き受けている。今日は仁科が趣味で演奏活動をしているハンドベルの布巾がけを頼まれていた。当然、無報酬だ。


 音楽準備室に二人でこもって、床にバスタオルを広げ、大小さまざまに光を放つベルを磨く。冷房を使いつつもワックスの匂いがきついので音楽室へのドアを少しだけ開けた。

 興味半分に鳴らしてみると小さなベルはカランカランと可愛らしい音をたて、片手で持つのも困難なくらい重くて大きいものは、除夜の鐘みたいな荘厳な音を出す。


「コレ、全部で二百万円以上するんだってさ」


 睦の呟きに、嬉々としてやっていた俺は慌てて試し弾きをやめた。

 睦はワックスを付け足すと、一番大きなベルを胡坐した膝の前に置き、力いっぱいにゴシゴシと擦り始める。指紋とも違う、金属の変質みたいな汚れがある。擦って落ちるのだろうかとしばらく観察していたが、諦めたほうが早そうだった。


 夏休みに入っていて、校内はしんとしている。いくつかの夏期講習も行われていて、なんとなく学校全体が静謐としていた。

 音楽室と音楽準備室は西棟四階の端にあるが、防音のために壁が厚くて外の音が聞こえにくい。校庭で練習している運動部の掛け声も遠いこだまのようだ。

 窓も二重ガラスになっていて、こんなに静かならば音楽室で勉強してみようかと思ったこともあったが、斜めのオルガンの蓋を机代わりにしているので勉強に向いていなかった。


 睦は相変わらず真面目にハンドベルを磨き続けている。

 彼はいま、二つの進路の間で揺れている。一つは大学に進学せずにギターに専念すること。もう一つは中学か高校の音楽教師になることだった。

 四歳からピアノを習っている睦は去年の文化祭でショパンの幻想即興曲を難なく披露した腕前だから、教育学部の受験は問題なくパスするだろう。でもそれが睦の本意ではないことを俺は知っている。

 一番の障壁は睦の両親だった。

 医者になって欲しいと事あるごとに言われている睦は、せめて大学に進学して安定した職に就き、それで許しを請おうと思っているのではないか。そして、少なくとも音楽は続けられるという妥協点が、音楽教師なのだろう。


「やっぱり無理だな」


 残念そうに呟く。金属変質はいくらこすろうとも変わりようがなかった。しかたない、と睦が箱にしまう。

 その様子を目にしながら、「それ、錆じゃないかな」と言おうとして、最後まで言えなかった。突然、睦の手が俺の口を塞いだからだ。

 何事だと訊く間もなく、音楽室から人の声がしてくる。


「ほら。やっぱここなら誰もいない」


 低い、静かな声が響いた。


「ああ、ほんとだ。いいな」


 咄嗟に、「え?」と睦に目配せした。

 この声には心当たりがある。睦とは同じ軽音部に所属している熊谷くまがい。中肉中背、端正な顔立ちの真面目そうな男だ。


「でも少し暑い? 窓でも開けようか? 風が入ったら、多少ましかも」 


 足音が近づいてくる。俺たちとドアをはさんだ数メートル先で足音が止まった。窓を開けるのかと思ったけれど、その気配はない。人がいない場所を探していたらしいので、声をかける機会を逸した。なんとなく隠れるように息をひそめてしまう。


「どうせ外の風だって熱波ですよ」

「でも、このままじゃ汗だくになっちゃうだろ? さすがに僕たちのためだけに冷房をかけるのも、ね」

「俺、先輩の汗、好きだから」


 汗。好き。なんの話だ。


「僕もお前のが好きだ。――あ」


 唾液の弾ける音が響き始める。はたと息を飲んだ。…これは。

 困惑して睦へと目を走らせると、悪戯な顔で人差し指を口元にかざしている。このまま盗み聞きするつもりなのだな。

 唾液音にまざって熊谷の濡れたような喘ぎが聞こえてくる。秒刻みに二人の呼吸が乱れるのが伝わってきて、こっちは耳の端まで焼けつくようだ。


「したい――」 

「うん。いいよ。して」


 衣のすれあう音がする。


「あ……いい。そこ、いい…」


 何やってんだろう…。

 だが角度からして、このままだと向こうから俺たちが見えてしまう恐れがあった。何しろドアが少し開いているのだ。睦と目くばせして、音をたてないように気をつけながらドアの裏側に移動した。睦はさっきからニヤつきを隠そうともしない。完全に面白がっている。


「あ、んあ――んんっ」


 同級生のこんな声を聞くのは初めてだ。かなり心臓に悪い。


「なあ、お前のもしゃぶっていいよな?」


 ええ? しゃぶるって何をだよ、もう。


「ああ、先輩、いい。すごく、気持ちいい―――あぁ…」


 参った。参りながらも、体が火照ってくる。なんだこれ。どんな反応だよ。


「んっ…――入れて、早く…」


 もどかしげな声。


「はやく! はやく、入れろって!」


 熊谷が叫んだ。びっくりして声が出そうになる。慌てて掌で口を押さえた。

 心臓がものすごい音を立てていて、どっかの血管が破けそうだ。


「あ! ――うあっ!」


 大きな叫び声があがる。


(そうか。ここ防音なんだ)


 沸騰しそうな頭の中で、こいつら頭いいなと感心した。


「痛い? 先輩、痛い?」

「だ――大丈夫…。もっと、入れて」

「でも、先輩の中、すごくきつくて…」


 じゃあどうしたらいいんだよと泣きたい気持ちになる。


「あ、――…ああ、――んあ、――…あっ、――んん、ん…っ」


 耳を塞ぎたくても、あまりのショックに腕すら動かない。


(ヤってるんだ。すぐそこで。二人が繋がって)


 皮膚の下一枚で、体の内側が火照ってくる。一方で、隣に並ぶ睦の呼吸は安定したものだ。胸が静かに上下している。


「可愛い。先輩、可愛い」


 熊谷は甘い喘ぎでそれに答える。


「気持ちいい? 先輩、少しは気持ちよくなってくれてる?」

「気持ち、いい…。お――奥にあたってる…。すごく、気持ちいい…」


 無理に作ったような声に俺が反応した。


(くそ。なんなんだこれ…!)


 熊谷の声に、なんで俺が反応しなくちゃならないんだ。

 忌々しく思っていると突然、睦が手を添えてきた。睦が俺のチャックを開き、膨らみを取り出す。ぎょっとした。

 耳に唇を押し付けて、からかうように囁く。


「声、出すなよ」


 そしてゆっくりと扱き始める。ピンポイントで気持ちよく責めてくる。

 呻きそうになるのをこらえながら、真似して睦にも同じようにした。睦も硬くなっていた。初めて触れる彼の興起は、熱くて大きかった。

 ドアのこちら側。

 呼吸だけが高まっていく。息遣いを隠すようにキスを交わした。

 深く口を割られる。睦のキスは少し強引だ。奪うみたいに激しく唇を貪られる。


「ア! ンっ! ああ! んぁあ!…」


 ドアの向こうの熊谷の声は鋭さと音量を増しながら速度をあげる。

 体の奥深くを責められていま、彼はどんな気持ちなんだろう。少なくとも俺が感じている種類の快感とは全く違うに違いない。

 獣の唸り声みたいのが聞こえた。俺たちも最後の昂ぶりに体を震わせながら、それぞれに吐精する。向こうの荒い息遣いがドアを隔てて伝わってきた。

 二人の労わりあう声を聞きながら俺たちは舌を絡めあっていた。



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