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   ***


 繰り返される爆音が腹の底に轟く。

 色とりどりのスターマイン。

 見事な大輪の花が何層にも開き、チリチリと音を立てて大気へと吸い込まれていく。瞳孔の開いた俺の目は、澄み渡るそんな夜空にとどまったままだ。


「な? 来てよかったろ?」


 隣では睦がご満悦だ。

 電車に乗って花火大会会場の河川敷まで来た。誘われた当初、俺は渋った。花火になんて、さして興味がなかったのだ。


「近所の陸橋からでも見られるだろ」

「いやいや。ライブの臨場感は違うんだ」


 いかにも音楽系な意見で説得され、仕方なく了承した。 

 睦は浴衣と草履まで用意した。

 自分には苔色の、俺には濃紺のだ。睦なりのそれぞれのイメージカラーらしい。

 均整のとれた長身の睦が着るとまるでどこかの若旦那のようで、「様になっているな」と褒めたらえらく喜んだ。こういうときにそれらしい格好で行きたがるところが、やっぱりお坊ちゃん育ちだなと思う。


 今度は金糸の菊玉が咲く。巨大に広がった無数の糸が枝垂れながら散ってゆくさまは、息を呑むほど美しい。

 睦が手を取ってくる。うろたえてほどこうとすると、もっと強く握られた。


「人に見られるだろ」

「気付かれないよ。みんな空を見てる。うわ。すげえな」


 連発される仕掛け花火に睦が感嘆を漏らす。カラフルで様々な形状をした連発花火が次々と夜空を彩っていった。

 どこでどうバレたっていいと断言する睦は、いまに限らず明るい日差しの下でも、俺と手を繋ぎたがる。とられた手を放すのは、いつも俺の方だ。変にからかわれて、睦との大事な付きあいを穢されたくなかった。


(早く部屋に戻りたい)


 花火は魅力的だけれど、安心して睦と二人きりになれる、誰の目も気兼ねせずにいられる場所に逃げ込みたい。そんな内へ内へと引きずり込まれそうになる心を奮い立たせて、花咲く夜空を見た。


「ほんとに綺麗だな」


 呟いた言葉に、再度かたく手を握られる。その手の熱さにすら、俺は恋をしていた。






  あと一ヶ月とちょっとで文化祭だから、ダンス部の練習も急ピッチで進めていた。

 一年生の発表は派手なステップも多用されているから、上手くいけば大好評なはずなんだけど、いかんせん息があっていない。振りもバラバラだ。一人一人がきちんと音楽を聴けていない証拠だった。

 動きにはキレがないし、その上、ちらほらと振りの間違いもある。


「おいそこ! こんな簡単なところで間違えるなよ!」

「覚えてないなら覚えるまで練習してこい!」


 二年の怒声が体育館に響く。

 部長の中村も必死だ。休憩に入るなり、居残り練習をさせたいと声をかけてきた。


「酒井と高田、居残りで教えたい。コーチからもそろそろ振りくらいは完璧にしとけって、昨日、叱られたんだ。一緒にやってくれるか?」

「うん。分かった。いいよ」


 今日は睦と一緒に帰ろうと待ちあわせをしているんだけれど、しかたがない。

 一年が休憩を取っている間に、二、三年の選抜組みがコンテストで踊った曲をさらった。文化祭でもこれを披露する。

 最後に一年の仕上がりをもう一度見て、全体練習を終えた。中村が一年の二人に居残りを申し付ける。 

 彼らが残るのを見て、庄田を含めた他の一年もやってくる。一緒に練習したいと言うからオーケーした。

 夜の八時を回っていた。体育館はまもなく閉じられるので、部室へと移動する。

 少し休憩時間をとって、居残り組でピザを食べることにした。テイクアウトだと一枚おまけがつくという店だ。


 一年が買い出しに行っている間に、俺は一人抜け出して軽音の部室へと急いだ。

 今日の睦は部活のない日だけど、このあと八時半から一時間、真美たちと貸スタジオでバンド練習の予定が入っている。俺はそれに付き添うつもりで、一緒に夕食をとろうと約束していたのだ。それができなくなったことを伝えにいかなくてはならなかった。

 日一日と熱気の増す夜を、文化棟へと急ぐ。

 軽音の部室の前に着くと、中からギターの音が聞こえた。アンプを通していないエレキギターの生音。睦が弾いているのだ。詫びる気持ちで控えめにドアをノックするとその音が止む。睦が不機嫌な顔をにょきりと出した。


「遅い」

「ごめん」


 分かってる。もう約束の時間から三十分以上も過ぎている。しかも約束をドタキャンだ。


「部活が長引いちゃって…。これから居残り練習で。一緒に帰れなくなった」


 睦が舌打ちしする。


「なんだよ。やたら忙しそうだな」

「部室で一年に教えるんだ。まだ振りを覚えてない奴らがいてさ。その前に、みんなで飯を食うことになって……あっ?」


 乱暴に唇を重ねられた。急いで体を退こうとしたけれど、両腕を捕られて動けない。まったく、どうしてこいつはやたらと腕力があるのだろう。


「妬ける」


 睦が顔をしかめて呟いた。


「ダンス部のやつらに、拓との時間を奪われてる」

「睦」


 やっと自由になった唇を、こぶしで押さえた。顔が焼けるように熱い。

 こんなところでキスするなんて。誰かに見られたらどうするんだ。


「無茶言うな。こんなのは文化祭までなんだから」

 やきもちはどんなものでも嬉しいけれど、こういうのはいただけない。

 腰に腕を回される。そのまま部室の中に引きずり込まれ、後ろでドアの鍵が閉まった。これで二人きりだ。

 馴染みのない軽音部の部室は、それでも睦の第二の部屋みたいで、急速に親しみが湧く。密やかな短い逢瀬を惜しむ気持ちで額と額をくっつけると、唇がはしゃぐように触れあった。


「そんな先まで待てないって言ってんの」


 甘えた声で言う。

 大人びているかと思うと、急にこんなふうにわがままで子供じみたことを言い出す。そのどちらの睦も俺は好きだけれど、いまはそんな蕩けた気分に酔っている場合ではなかった。


「俺だってお前と一緒にいたいよ。けどしかたないだろ」


 さらに体を寄せられ、腰に掌が置かれた。


「体、細いな。あんなに激しく体を動かすのに、ちゃんと食事とってるのか?」

「だから、そのメシをいまからみんなで食べるんだよ。お前はこれから真美たちと練習だろ」


 つまり、時間はあまりない。


「そうだな」


 ふうっと諦めの溜め息を吐くと、睦は大きな背中に重そうなギターと鞄とを背負った。

 無駄に待ちぼうけを食らわせてしまったから、せめて門まで送ろうと俺も並んで歩き始めた。

 その時、大きな人影が前方に現れた。

 ぎくりとして立ち止まる。どことなく見覚えのあるシルエット。その人物が数歩近づき、文化棟の電灯の下に立った。


「し…庄田――?」


 なんで庄田がここに。


「桜井先輩。何してるんすか。こんなとこで」


 鋭い声を出す。

 それはこっちのセリフだぞ。ピザの買い出しはどうした。そう言いかけた。


「なんで桜井先輩がコイツといんの?」


 刺すようなきつい目つきで俺たちを交互に見る。まるで喧嘩腰だった。


「軽音の部室に、何か用だったんすか?」

「お前には関係ない」


 睦が答えた。庄田は怯む様子もなく言い返す。


「それが関係あるんすよ。桜井先輩が心配で追いかけて来たから、俺」


 …心配?

 呆気にとられた。校内での移動に心配も何もない。


「そうか。じゃ無駄足だったな。さっさと消えろ」

「でも、現にアンタがいるじゃないですか」


 空気が不穏に淀み始める。庄田は威嚇的な態度を崩さない。

 …まずい。

 俺の中で警鐘が鳴り始めた。


「なんだと?」


 睦が声を低くして答えた。

 庄田のふてぶてしい態度が癪に障ったのだろう。どうもこの二人は根っからそりがあわないらしい。


「あれ? そういえばあんた、藤原とかいうアイドルはどうしたんですかね。で? さっきのアレはなんすか。桜井先輩とも付きあってんの? て、やっぱ二股かけてんすか。それとも女とは別れちゃったんで、早々に乗り換えたとか? 噂どおりの腰の軽さっすね」

「やめろ、庄田!」


 俺は声を荒げた。誤解にもほどがある。それに、さっきのキスを見られてしまったのも猛烈に恥ずかしい。


「富谷さん。どんだけたくさんの奴が桜井先輩を狙ってるか、分かってます? あんたみたいなろくでもない男に遊ばれる必要はないんですよ、この人」

「庄田…」


 くらくらして倒れそうだ。

 こういうの、ありがた迷惑?

 いやありがたくもねえな。気が遠くなるほど迷惑だ。


「あんたにこの人は似合いませんから。こんなに清らかで、純真な人はさ。あんたにはあの軽薄そうなアイドルが似合いですよ、富谷さん」


 もう。やめてくれ、庄田。あまりにつっこみ所が満載すぎて参ってしまう。


「それで? 俺にどうしろと?」


 …この口調。めっちゃ怒ってる。

 ますます背筋が凍った。これはいつ喧嘩が始まってもおかしくないぞ、と。


「桜井先輩を弄ぶのも、いい加減にしろってことだよ」

「お前、何様のつもりだ?」


 睦が冷笑する。不気味なくらいに落ち着いているのが逆に怖い。


「何様のつもりで口を利いてんだって訊いてんだよ、庄田」


 繰り返すと俺の肩に手をかけ、ものすごい勢いで引き寄せられる。


「え? …何?」


 思いがけないことに間抜けな声が出た。

 睦が俺を抱きかかえると、庄田の目つきがさらに険しくなる。それを無視して睦は平然と続ける。


「似合うだの弄ぶだの、馬鹿か。俺らの付きあいが何年になるか分かってんのかよ。なあ、拓」


 いつになく甘ったるい声で付け足して、俺の髪に強く唇を押し付ける。

 …いや、何年って。ついこの間だろ、付きあい始めたのは。

 それよりも、これで俺たちが本当に付きあっていることを庄田に知られちゃったわけだ。そらちの方が少なからず俺を焦らせた。

 不用意に唇を撫でられる。


「ちょ…っ」


 何すんだ、と背けようとした顎を強く掴まれ、すっかり羽交い絞めにされた形になって、指で口元を嬲られ続けた。


「ん、っふ…」


 変な声が出て、恥ずかしさに頬がかっかと燃えた。


「覚えとけよ、庄田。俺は桜井のほくろの数まで知っているんだぜ。何しろ、こいつでイかされてばかりいるからさ。そりゃもう、毎晩毎晩」

「あつし! 何、」


 大嘘こいてやがるんだ、という激怒の言葉を唇で塞がれる。

 束縛を受けて身動きがとれない。これは、さすがに、許せないぞ、睦。

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