p6
***
ダンス部の入部歓迎会は一年と二年とでおこなう。一クラスを借り、机をロの字にした立食式パーティーだ。
ドリンクや菓子、大量のピザの準備もオーケー。音楽はばっちり、ノリのいいヒップポップを大音量でかけてある。
一年がぞろぞろと入ってくる。
心地好い風が開け放たれた窓から吹き抜けていた。
非常に背の高い…というか、お前、ぜったいにラグビー向きだろ、としか思えないような巨体の一年が俺のそばに来た。きっと睦よりも背が高い。肌は浅黒く、顔にはエキゾチックな陰影がある。ちょっと見、セクシーな魅力のあるやつだった。
「お前、庄田な」
「はい」
バリトン級の低い声で答える。きつい目で俺を見下ろす。別に悪意があるわけじゃなくて、これがどうも、彼の素の表情らしいということを入部以降の二週間で知った。
「ダンスの経験は?」
「中一でやっただけです」
「体育の授業な」
「はぁ」
まぁ、なんともブアイソな返事だ。これもきっと悪気はない。庄田の性格なんだろう。
「おい! 何やってんだよ!」
突然、部長の中村の怒声が教室に響く。
穏和な中村がこんな声を出すなんて珍しい。
後方のテーブルの一角で、中村は一年の森に片手を差し出していた。さらに詰め寄りながら、スマホを渡すよう要求する。
森が気まずそうにスマホを渡す。中村が画面を覗き、呆れ顔になって俺の名前を呼んだ。
何事かと二人に近付いた。
「なんだよ」
中村が森のスマホを差し出す。手に取るとすぐ暗くなったので、画面を擦った。明るくなった画面が映し出したものを見て、俺は納得した。
俺が写っていた。しかも何枚か。さっきから写していたものだ。
「これ、どうするつもりだったんだ」
中村が厳しく詰問する。森は黙り込んだまま俯いた。
「返事しろ。肖像権ってあるの、知ってんだろ」
中村が森の肩を小突く。
「すみません」
「謝る相手が違うだろうが」
「すみません、桜井先輩」
責任感の強い中村が問い重ねる。
「何に使おうと思ったんだよ。答えろよ」
「まあまあ…」
俺は中村の腕に手を添えた。
「もういいって、中村。なあ、森」
呼びかけると、森が上目遣いで俺を見る。
「SNSにあげんなよ」
去年の文化祭で経験があるだけに一応。ツイッターあたりに載せられてはたまらないから、一応。
むろん、内心では面白くなかった。でも、とりあえず今日は彼らの歓迎会なのだ。こんなことで嫌な思い出にしたくない。
「はい…」
「ほら。もういいよ」
中村を納得させてから庄田のところに戻った。
「俺、気付いてましたよ」
しばらくして頭上から声がして、庄田を見上げた。あまり見たことのない、奇妙な微笑を浮かべて俺を見つめている。
「何が?」
「あいつが、桜井先輩をスマホで写してンの、俺、気付いてました」
「へえ」
目尻が異様に光る微笑に、なんともいえない不穏な予感がして、曖昧に返事をした。
「俺も、写真にとりましたよ。部活紹介のときの桜井先輩」
庄田が前かがみになって俺の耳元に口を寄せる。それが何やら馴れ馴れしいから、ぎょっとした。
「しょうがないっすよ。先輩、美人だから。誰だって写真に納めて自分のものにしたくなります。俺がここに入ったのだって、先輩がいたからですよ」
生々しい息遣いが耳に触れる。頬がサっと熱を帯びた。
「何…、」
とんでもないことを言うやつだ。
「ほんと、桜井先輩、キレイだから」
また耳元で囁かれて、さらに顔が熱くなる。
それってどういう意味だ。
『キレイ』
あ、そ。
そう言われて嬉しくないはずはない。それを分かってて言ってるんだ、こいつらは。そういうのってズルい。
睦も言っていた。
『キレイ』
なんだ、それ。どういう意味だよ。
それで?
だからって俺を、どう思っているんだ。
「庄田。お前、ちゃんとダンスやれよ」
どうも不純な動機で入部を決めたようにしか思えず、努めて平静を保ちながら
「でも、振り覚えんの、たいへんっす。手取り足取りで個人教授、お願いします」
こんなことを言いながら悪びれる様子もない。どういう神経をしているのだ。
どこまで本気なのか。ただふざけているだけなのか。それとも人をおちょくっているのか。
それを確かめたくて顔を見た。
「桜井先輩って、ほんと色白っすね。顔が赤くなるの、よく分かる」
頬を責めている熱が耳まで広がった。
(こいつ…!)
唇をかみながら睨みつけた。どうも、ナメられているようだ。
「そんな顔しても無駄っすよ。色っぽくて食いつきたくなります」
眉と口角をひらりと上げる。不意に手をとってきた。テーブルの下の隠れた場所で、指と指を絡ませる。
「放せ」
「なんでですか?」
天然ボケみたいな声を出す。
「なんでですか、じゃねえ。殴られたいか」
めいっぱい力を込めて手を振り払い、ズボンのポケットにしまった。苛立ち紛れに背を向ける。
怒りが収まらず、近くの窓に寄った。
とっぷりと日が暮れた濃紺の空は、絵の具の水をぶちまけたみたいに雲一つ浮かんでいなくて、明るい教室へと迫ってくる。南西には微笑みかけているような眉月。すぐそばには美しい宵の明星が金色のピアスみたいに付き従う。
風が俺の熱くなった頬を涼しげになぞった。
「すいません」
すぐ後ろに立って、庄田が謝った。
それから俺の隣のスペースに来て窓に凭れかかる。そのまま顔だけをこちらに向けたのが分かったが、さっきまでの馴れ馴れしさにまだ腹が立っていた俺は、あえて見ようとはしなかった。
「ムリヤリ手ぇ繋いだの、そんなに不快でしたか」
「そりゃ、いい気分じゃねえだろ。まあ、お前が初めてじゃないけど」
「ああ。そうでしょうね」
本当にいま、俺が気にいらないのは、そんなことじゃなかった。それをきちんと伝えておかなければならなかった。
「庄田。お前、本気でやる気がないならダンス部やめろ。例えば俺が目当てとか、そういうの、よくない」
庄田がもう一度俺を見る。ふうっと、長く静かな溜め息をついた。
「俺、やめません」
張りついたような無表情からはどんな気持ちも読み取れない。
言葉が見つからないまま、ちょっとの間、二人で窓の外を眺めていた。
やがて庄田が体の向きを変えて室内の方へと目線をあげ、「あ」と声を出す。その調子がまた突拍子もないから、不思議に思って庄田を見た。視線をきつくして教室後方のドアを見つめている。
目で追えば、睦が立っていた。俺と目があうと、指で「こっちへ来い」というジェスチャーをする。
「大盛況で」
近づくと、くだけた調子で言う。
「なんか用?」
「いや。なんか、すげえ楽しそうだから、寄ってみただけ」
「そんな用件で人を手招きするなよ」
「悪ぃ。でもあいつ、誰。すげえ、ガンたれてくるんだけど」
教室内に目を向ける。目線の先は、窓に凭れてこっちを見ている庄田だった。
「一年の庄田だよ」
確かに睨んでるな。どういうつもりだ。
「ほう…。フ、フン」
庄田を見ながら、睦が眉をつり上げて笑う。俺は顔をしかめた。
「なんだよ。不気味な笑い方するなよ」
「可愛い先輩を押し倒しそうな奴だ」
皮肉な笑みを浮かべ、冷やかすみたいな口調で言う。切れ長の目から放たれるまなざしで、俺は意味するところを覚った。
「あ…」
言葉を呑んだ。
ホント、やな奴、お前って。
心で毒づいた。
つまり、俺らが手を繋いでいたのを、どこからか見ていたのだ。
「ああいう後輩に目をかけるのも、程々にしろな、拓くん」
からかいの口調で言って、悠然と去っていく。
――人の気も知らないで。
憎たらしいほど存在感のある背中を見送りながら、奥歯を噛みしめた。
そして、深く深く、誓う。
今度、お前が藤原莉紗と二人でいるところを見たら、同じ事を言ってやる。ニヤつきながら冷やかしてやる。絶対、笑ってやるからな。
テーブルに戻り、緑茶を注いでごくりごくりと喉に流し込んでいると、庄田が隣にやってくる。
「いまの、軽音の富谷っすよね」
うんざりした気持ちで、飲む手を止めた。
「先輩だろ。呼び方に気をつけろ」
「そうですか? 付きあってるオンナを正門で待たせるようなヤツ、単なるアホにしか思えなくて」
返す言葉がなくて、黙って残りを飲み干した。
(――ほらな。彼女さんは気をつけないと、こういうことになるんだよ)
手の甲で口を拭った。庄田が続ける。
「富谷と桜井さん、付きあってるって、ほんとすか」
途端にぶっと噴き出した。いや、お茶、飲み終わっててよかった。
「んなわけねえだろ」
「そう聞いたんで」
すっとぼけヅラで言う。
「だれ情報だよ、誰の。お前、いま自分で言ったばかりだろ。あいつには彼女がいるよ」
しかも、売り出し中アイドルという上等のが。
「だから、富谷が二股かけてるって話ですよ。俺、そんなの許せねえなって」
もう、誰だよ。一年にまでくだらない噂を流してるのは。まさかQじゃないだろうな。
この場合、一番格好悪いのは俺だ。ホモっ気で二股かけられてるなんて惨めすぎるだろ。
「俺だったら桜井先輩をそんな目にあわせません」
急に庄田が宣言する。はあっ?と出そうになった。
「桜井先輩を悲しませるようなこと、絶対にしない」
強い口調で言葉を重ねる。
「俺なら、桜井先輩だけをずっと大事にする」
…こいつ、本物のバカか。
付きあいきれない。
勝手に言ってろ。
いや待て。
なんかおかしいぞ。
これじゃまるで、俺が睦を好きで、二股掛けられてるまんまの理解じゃないか。こんな誤解をされるのは、さすがに不本意だ。
「ふざけるな。俺は睦なんてなんとも思っちゃいねえし、悲しくもなんともねえんだよ。勘違いすんな」
思わず早口になった。人間、真実でないことを話すときは早口になる。
「そうなんですか? だとしたら俺、先輩を堂々と口説けますね」
こめかみがぴりりと疼いた。
「悪いけど、俺にはそういう趣味ない」
「そうですか。でも諦めません、俺」
チーズおかきを頬張りながら庄田が宣言する。なんか、無駄にエネルギーを使って生きているやつだな。
「今年中にモノにできます」
実にふてぶてしい態度で予言しながら、ばりばりと噛み砕く。
どういう根拠でだ、その自信はと、むしょうに腹が立って、同時にまた顔が熱くなる。
すぐに顔が赤くなるこの癖、どうにかしたい。恥ずかしくても嬉しくても、怒っていても悲しくても、同じ反応をする。そのせいでかなりな誤解を受ける。
まったく、くそ面倒くさいのが入って来たものだ。これから毎日のように部活で顔をあわすのに、どうしてこう、ややこしいことにしてしまうのだ。
「お前、くだらねえコトくっちゃべってないで、このピザ片付けろ」
捨て置かれたピザを紙皿に載せ、庄田の胸元にグイッと押し付けた。
「え? はあ。えっとぉ、桜井先輩は?」
「俺はいらない。命令だ。食いもんが残ったら後始末が面倒だからな」
「――俺、こういう強権的なの、すげえ苦手なんすけど…」
情けない感じで眉を八の字にするから、「先輩の言うこと聞け!」と怒鳴った。
(そらみたことか。俺は年上だ。お前より立場が上なんだぞ)
小学生が幼稚園児に威張って言うみたいなことを、心で呟いてみる。
なにが「モノにできる」だ。バカにするな。
さびしくても。片思いでも。誰でもいいってわけじゃない。
それくらいのプライドはある。こんな俺にも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます