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 ダンス部の入部歓迎会は一年と二年とでおこなう。一クラスを借り、机をロの字にした立食式パーティーだ。

 ドリンクや菓子、大量のピザの準備もオーケー。音楽はばっちり、ノリのいいヒップポップを大音量でかけてある。


 一年がぞろぞろと入ってくる。

 心地好い風が開け放たれた窓から吹き抜けていた。

 非常に背の高い…というか、お前、ぜったいにラグビー向きだろ、としか思えないような巨体の一年が俺のそばに来た。きっと睦よりも背が高い。肌は浅黒く、顔にはエキゾチックな陰影がある。ちょっと見、セクシーな魅力のあるやつだった。


「お前、庄田な」

「はい」


 バリトン級の低い声で答える。きつい目で俺を見下ろす。別に悪意があるわけじゃなくて、これがどうも、彼の素の表情らしいということを入部以降の二週間で知った。


「ダンスの経験は?」

「中一でやっただけです」

「体育の授業な」

「はぁ」


 まぁ、なんともブアイソな返事だ。これもきっと悪気はない。庄田の性格なんだろう。


「おい! 何やってんだよ!」


 突然、部長の中村の怒声が教室に響く。

 穏和な中村がこんな声を出すなんて珍しい。

 後方のテーブルの一角で、中村は一年の森に片手を差し出していた。さらに詰め寄りながら、スマホを渡すよう要求する。

 森が気まずそうにスマホを渡す。中村が画面を覗き、呆れ顔になって俺の名前を呼んだ。

 何事かと二人に近付いた。


「なんだよ」

  中村が森のスマホを差し出す。手に取るとすぐ暗くなったので、画面を擦った。明るくなった画面が映し出したものを見て、俺は納得した。

 俺が写っていた。しかも何枚か。さっきから写していたものだ。


「これ、どうするつもりだったんだ」


 中村が厳しく詰問する。森は黙り込んだまま俯いた。


「返事しろ。肖像権ってあるの、知ってんだろ」


 中村が森の肩を小突く。


「すみません」

「謝る相手が違うだろうが」

「すみません、桜井先輩」


 責任感の強い中村が問い重ねる。


「何に使おうと思ったんだよ。答えろよ」

「まあまあ…」


 俺は中村の腕に手を添えた。


 「もういいって、中村。なあ、森」


 呼びかけると、森が上目遣いで俺を見る。


「SNSにあげんなよ」


 去年の文化祭で経験があるだけに一応。ツイッターあたりに載せられてはたまらないから、一応。

 むろん、内心では面白くなかった。でも、とりあえず今日は彼らの歓迎会なのだ。こんなことで嫌な思い出にしたくない。


「はい…」

「ほら。もういいよ」


 中村を納得させてから庄田のところに戻った。


「俺、気付いてましたよ」


 しばらくして頭上から声がして、庄田を見上げた。あまり見たことのない、奇妙な微笑を浮かべて俺を見つめている。


「何が?」

「あいつが、桜井先輩をスマホで写してンの、俺、気付いてました」

「へえ」


 目尻が異様に光る微笑に、なんともいえない不穏な予感がして、曖昧に返事をした。


「俺も、写真にとりましたよ。部活紹介のときの桜井先輩」


 庄田が前かがみになって俺の耳元に口を寄せる。それが何やら馴れ馴れしいから、ぎょっとした。


「しょうがないっすよ。先輩、美人だから。誰だって写真に納めて自分のものにしたくなります。俺がここに入ったのだって、先輩がいたからですよ」


 生々しい息遣いが耳に触れる。頬がサっと熱を帯びた。


「何…、」


 とんでもないことを言うやつだ。


「ほんと、桜井先輩、キレイだから」


 また耳元で囁かれて、さらに顔が熱くなる。

 それってどういう意味だ。


『キレイ』


 あ、そ。

 そう言われて嬉しくないはずはない。それを分かってて言ってるんだ、こいつらは。そういうのってズルい。

 睦も言っていた。


『キレイ』


 なんだ、それ。どういう意味だよ。

 それで?

 だからって俺を、どう思っているんだ。


「庄田。お前、ちゃんとダンスやれよ」


 どうも不純な動機で入部を決めたようにしか思えず、努めて平静を保ちながらいさめた。


「でも、振り覚えんの、たいへんっす。手取り足取りで個人教授、お願いします」


 こんなことを言いながら悪びれる様子もない。どういう神経をしているのだ。

 どこまで本気なのか。ただふざけているだけなのか。それとも人をおちょくっているのか。

 それを確かめたくて顔を見た。


「桜井先輩って、ほんと色白っすね。顔が赤くなるの、よく分かる」


 頬を責めている熱が耳まで広がった。


(こいつ…!)


 唇をかみながら睨みつけた。どうも、ナメられているようだ。


「そんな顔しても無駄っすよ。色っぽくて食いつきたくなります」


 眉と口角をひらりと上げる。不意に手をとってきた。テーブルの下の隠れた場所で、指と指を絡ませる。


「放せ」

「なんでですか?」


 天然ボケみたいな声を出す。


「なんでですか、じゃねえ。殴られたいか」


 めいっぱい力を込めて手を振り払い、ズボンのポケットにしまった。苛立ち紛れに背を向ける。

 怒りが収まらず、近くの窓に寄った。

 とっぷりと日が暮れた濃紺の空は、絵の具の水をぶちまけたみたいに雲一つ浮かんでいなくて、明るい教室へと迫ってくる。南西には微笑みかけているような眉月。すぐそばには美しい宵の明星が金色のピアスみたいに付き従う。

 風が俺の熱くなった頬を涼しげになぞった。


「すいません」


 すぐ後ろに立って、庄田が謝った。

 それから俺の隣のスペースに来て窓に凭れかかる。そのまま顔だけをこちらに向けたのが分かったが、さっきまでの馴れ馴れしさにまだ腹が立っていた俺は、あえて見ようとはしなかった。


「ムリヤリ手ぇ繋いだの、そんなに不快でしたか」

「そりゃ、いい気分じゃねえだろ。まあ、お前が初めてじゃないけど」

「ああ。そうでしょうね」


 本当にいま、俺が気にいらないのは、そんなことじゃなかった。それをきちんと伝えておかなければならなかった。


「庄田。お前、本気でやる気がないならダンス部やめろ。例えば俺が目当てとか、そういうの、よくない」


 庄田がもう一度俺を見る。ふうっと、長く静かな溜め息をついた。


「俺、やめません」


 張りついたような無表情からはどんな気持ちも読み取れない。

 言葉が見つからないまま、ちょっとの間、二人で窓の外を眺めていた。


 やがて庄田が体の向きを変えて室内の方へと目線をあげ、「あ」と声を出す。その調子がまた突拍子もないから、不思議に思って庄田を見た。視線をきつくして教室後方のドアを見つめている。

 目で追えば、睦が立っていた。俺と目があうと、指で「こっちへ来い」というジェスチャーをする。


「大盛況で」


 近づくと、くだけた調子で言う。


「なんか用?」

「いや。なんか、すげえ楽しそうだから、寄ってみただけ」

「そんな用件で人を手招きするなよ」

「悪ぃ。でもあいつ、誰。すげえ、ガンたれてくるんだけど」


 教室内に目を向ける。目線の先は、窓に凭れてこっちを見ている庄田だった。


「一年の庄田だよ」


 確かに睨んでるな。どういうつもりだ。


「ほう…。フ、フン」


 庄田を見ながら、睦が眉をつり上げて笑う。俺は顔をしかめた。


「なんだよ。不気味な笑い方するなよ」

「可愛い先輩を押し倒しそうな奴だ」


 皮肉な笑みを浮かべ、冷やかすみたいな口調で言う。切れ長の目から放たれるまなざしで、俺は意味するところを覚った。


「あ…」


 言葉を呑んだ。

 ホント、やな奴、お前って。

 心で毒づいた。

 つまり、俺らが手を繋いでいたのを、どこからか見ていたのだ。


「ああいう後輩に目をかけるのも、程々にしろな、拓くん」


 からかいの口調で言って、悠然と去っていく。

 ――人の気も知らないで。

 憎たらしいほど存在感のある背中を見送りながら、奥歯を噛みしめた。

 そして、深く深く、誓う。

 今度、お前が藤原莉紗と二人でいるところを見たら、同じ事を言ってやる。ニヤつきながら冷やかしてやる。絶対、笑ってやるからな。


 テーブルに戻り、緑茶を注いでごくりごくりと喉に流し込んでいると、庄田が隣にやってくる。


「いまの、軽音の富谷っすよね」


 うんざりした気持ちで、飲む手を止めた。


「先輩だろ。呼び方に気をつけろ」

「そうですか? 付きあってるオンナを正門で待たせるようなヤツ、単なるアホにしか思えなくて」


 返す言葉がなくて、黙って残りを飲み干した。


(――ほらな。彼女さんは気をつけないと、こういうことになるんだよ)


 手の甲で口を拭った。庄田が続ける。


「富谷と桜井さん、付きあってるって、ほんとすか」


 途端にぶっと噴き出した。いや、お茶、飲み終わっててよかった。


「んなわけねえだろ」

「そう聞いたんで」


 すっとぼけヅラで言う。


「だれ情報だよ、誰の。お前、いま自分で言ったばかりだろ。あいつには彼女がいるよ」


 しかも、売り出し中アイドルという上等のが。


「だから、富谷が二股かけてるって話ですよ。俺、そんなの許せねえなって」


 もう、誰だよ。一年にまでくだらない噂を流してるのは。まさかQじゃないだろうな。

 この場合、一番格好悪いのは俺だ。ホモっ気で二股かけられてるなんて惨めすぎるだろ。


「俺だったら桜井先輩をそんな目にあわせません」


 急に庄田が宣言する。はあっ?と出そうになった。


「桜井先輩を悲しませるようなこと、絶対にしない」


 強い口調で言葉を重ねる。


「俺なら、桜井先輩だけをずっと大事にする」


 …こいつ、本物のバカか。

 付きあいきれない。

 勝手に言ってろ。

 いや待て。

 なんかおかしいぞ。

 これじゃまるで、俺が睦を好きで、二股掛けられてるまんまの理解じゃないか。こんな誤解をされるのは、さすがに不本意だ。


「ふざけるな。俺は睦なんてなんとも思っちゃいねえし、悲しくもなんともねえんだよ。勘違いすんな」


 思わず早口になった。人間、真実でないことを話すときは早口になる。


「そうなんですか? だとしたら俺、先輩を堂々と口説けますね」


 こめかみがぴりりと疼いた。


「悪いけど、俺にはそういう趣味ない」

「そうですか。でも諦めません、俺」


 チーズおかきを頬張りながら庄田が宣言する。なんか、無駄にエネルギーを使って生きているやつだな。


「今年中にモノにできます」


 実にふてぶてしい態度で予言しながら、ばりばりと噛み砕く。

 どういう根拠でだ、その自信はと、むしょうに腹が立って、同時にまた顔が熱くなる。

 すぐに顔が赤くなるこの癖、どうにかしたい。恥ずかしくても嬉しくても、怒っていても悲しくても、同じ反応をする。そのせいでかなりな誤解を受ける。


 まったく、くそ面倒くさいのが入って来たものだ。これから毎日のように部活で顔をあわすのに、どうしてこう、ややこしいことにしてしまうのだ。


「お前、くだらねえコトくっちゃべってないで、このピザ片付けろ」


 捨て置かれたピザを紙皿に載せ、庄田の胸元にグイッと押し付けた。


「え? はあ。えっとぉ、桜井先輩は?」

「俺はいらない。命令だ。食いもんが残ったら後始末が面倒だからな」

「――俺、こういう強権的なの、すげえ苦手なんすけど…」


 情けない感じで眉を八の字にするから、「先輩の言うこと聞け!」と怒鳴った。


(そらみたことか。俺は年上だ。お前より立場が上なんだぞ)


 小学生が幼稚園児に威張って言うみたいなことを、心で呟いてみる。

 なにが「モノにできる」だ。バカにするな。

 さびしくても。片思いでも。誰でもいいってわけじゃない。

 それくらいのプライドはある。こんな俺にも。



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