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 夕暮れの残り香のような暗がりの中で、国道にオレンジ色の街灯が点々と続いている。

 部活の帰り、部長の中村と駅への一本道を歩いていると、コンビニの前に睦がいた。教科書の詰まったデカいサブバッグを脇に抱え、ギターも背負っているから一見、弁慶みたいなごついシルエットだ。髪の長い女子と一緒だった。


「あいつ、軽音の富谷だろ。背ぇ高いから目立つな」


 中村の言葉に俺はこくりと頷いた。

 目立っているのは睦だけじゃない。相手の女の子も相当に目を引くタイプだ。ストレートの艶やかな黒髪は肘まであり、すらりとした体格の美少女。明るい笑顔を湛えて親しげに睦と話している。


 数歩の距離にきたとき、睦が俺に気付いた。笑いかけようとしてくるのを俺は咄嗟に視線を外し、足早に中村と通り過ぎた。なんでそんなことをしたのか、自分でも分からない。


「お似合いのカップルだったな」


 中村が吐息まじりに言う。


「そうだな」


 嫉妬が顔に出ないよう、平然を装った。


「あの女の子、どこかで見たような気がするんだけど、どこでだったかなぁ」


 中村が首をひねる。


「俺たちの高校は恋愛禁止じゃないけど。でも、あんな目立つ場所にいたら、すぐ噂になるな」

「ああ」


 そうだよな。いま、すでに俺たちがしているみたいにな。

 中村とは改札で別れた。電車を使う中村は改札の中へ。俺は改札の前を通って逆方向の出口に向かう。

 さっき見た光景を思い浮かべた。

 睦を見あげる女の子の目には、睦を好きだという気持ちがありありと見てとれた。あの子は誰なのだろう。なんだか、まるきり住む世界が違うように思えるほど、恐ろしいくらいの美人だった。


 その答えは意外なことに、その夜、クラスラインを覗いていたら呆気なく分かった。


『軽音の富谷、藤原莉紗と付き合ってる』


 八時ごろ、この書き込みでその話題は始まった。


『すげえ』

『コンビニの前でいちゃついてた。やっぱ藤原はかわいい』

『先週は図書館で一緒だった』

『テレビで見るより断然可愛い』

『実物のほうが細い』

『藤原って誰?』

『知らないのか、藤原莉紗を』

『知らない』

『アイドル』

『最近売り出し中のJJPっていうグループのアイドル』


 気付けば俺は、バカみたいにポカっと口を半開きにして、思いきり目を開いて、チャットに見入っていた。

 ――アイドル。あの子が。


『中二で藤原莉紗と同じクラスだった。めちゃかわいかった』

『サインもらった?』

『かわいすぎて近寄れなかった。ほとんどの男はそうだった』

『絶対デキてる』

『富谷と?』

『そう』


 そうか。そうなのか。

 いつになく素直に影響を受けて、頭が真っ白になる。


『どっちが先に告白したんかな』

『富谷はしそうにない』

『アイドルからだろ。絶対に断られない』

『羨ましすぎ』

『二人はデキてる。そんな顔してた』

『どんな顔だ』


 藤原莉紗。

 俺も知らない。女性アイドルには興味がないから。

 まあ、しょうがない。さもありなん、だ。睦が相手だったら、アイドルでも恋をする。

 そんなふうに俺が空しい諦めを深めようとした、そのときだった。


『富谷は女に興味ない』


 ――ああ。

 まただ。

 新しく書き込まれたその文字にじっと目を留めた。…出たな。Q。


『またお前か』


 寺戸が、俺の思考と同じことを書き込む。


『消えたと思ったのに』

『分かった、キミは睦君が好きなのね、分かったから』

『ヤバイやつ』

『ちょっとした名誉毀損だろ』

『富谷もいい迷惑だ』

『コイツは絶対に3組でもないし、富谷ともヤっていない』


 その書き込みで、チャットがしばらく止まる。誰もが同意したのだ。


『バレた?』


 Qの書き込みに、俺は呆れかえった。

 なんだよ。

 いきなり開き直りかよ。

 どっと脱力する。まったく、全部嘘か。あんなにいろいろ考えて、すごい損した気分だった。


『アホじゃね? こいつ』

『おれをグループから外す前に、いいことを教えてやる』


 Qが書き込む。


『嘘つきの言うことなんか信じられるか』

『まあ、聞いてやろう』


 安田が仲裁に入っている。

 それぞれが思案に暮れているみたいに、またチャットが止まった。

 やがてQが書き込んだ。


『富谷の相手は桜井』

「…は?」


 リアルに声が洩れた。

 チャットにまた間があく。

 突然のことに、俺は呼吸を忘れた。――おい。ふざけるのもいい加減にしろ、Q。 


『まじですか』

『ヤってるぜ。そりゃもう、毎晩毎晩』


 とんでもない捨て台詞を最後に投下した直後、Qがチャットから退出した。あっというまの出来事だった。

 俺はスマホの画面を前に握りこぶしを作り、唖然としながら体を震わせていた。

 心臓が病的にバクンバクンと暴れている。


 ほんとに。

 気持ち悪い。このQって奴、どこのどいつだ、嘘つき。

 なんで、得体の知れない奴から、こんな嘘を聞かされなくちゃならないんだ。そうだろう、当の俺が睦とヤってなんかいないんだから。ほんと、このQって奴、とんだ大嘘つきだ。

 Qが前のチャットから俺の名前を引っ張り出してからかったのは、間違いない。チャットなんてそんなものだ。真に受けていたら損をする。それは、分かっている。分かっているけれど、でもいくらなんでも、こんなふうなからかい方って酷くないか。


 ふつふつと怒りが沸いてきた。

 チャットはしんと静まりかえっている。もしかしたら俺の書き込みを待っているのかもしれないけれど、この状態で何を書けというのだ。

 しばらくたって場をとりなすように安田が書き込んだ。


『わけの分からん奴がいなくなってよかった』

『富谷と桜井は本当のところ』

『富谷、二股かけてる?』

『とりあえずオレは桜井を抱きたい。抱かれる方でもいい』

『やめとけ、本気にする奴もいるから』


 捨て鉢になってラインを閉じた。

 どうでもいい。

 どう見られてもいいや。

 やけくそだ。

 二股とかってのも、ほんとにばかばかしい。

 それよりも、睦がアイドルと付きあい始めたことの方が何倍もショックだった。ほんとに遠くへ行っちゃった。そんな気がして、いっそう惨めになった。


 ふと、睦のくれたキーホルダーに目がいく。

 睦の一部がそこにあるような気がして、俺は事あるごとに、縋るみたいに視線を送っていた。なのにいまは、その銀色の光がひどくよそよそしくて。

 俺のあずかり知らない睦がどんどん膨らんでいって、風船みたいにフワリと遠くへ飛んでいってしまう、そんな心許なさ。

 俺はまたひとり、後に取り残される。ひとりぼっちに、身を焦がして。






 それ以降も、何度か睦と藤原理沙が二人でいるところを目撃した。

 部活の帰りに睦の家の前で。

 放課後の正門の前でも、何度か。

 彼女が正門の前で睦の帰りをひたすら待っていることが多かった。

他にも、道端で話し込んでいるときもあったし、一緒に駅に向かって歩いていることもあった。


 正直に言ってしまうと、こうも度々、男子校の正門まで迎えに来る彼女って一体どんな神経してるんだろうなあと、申し訳ないけど、非常に否定的に、冷ややかに、俺は考えてしまう。それを許容している睦もどうかしているぜ、と思ってしまう。いやコレって、別にやきもちとかじゃない。断じてそうじゃない。

 例えば、俺の彼女が毎日のように学校の正門まで迎えにくるなんてことをするなら、俺はとても困る。そういう無神経さって、ほんとに困る。やめてって頭を抱えてしまう。


 男子校には独特の世界がある。

 それは、バカで、エロくて、くだらない。

 だけど同時に俺たちは、勉強でも部活でも、文化祭とかのイベントでも、なんであれ愚直に熱くのめりこむ。そんな校風にどっぷりと浸りたくてこの高校を目指してきた生徒が多い。

 そういう俺たちの世界のセンターに、毎日のように女の子がこれ見よがしに立っているというのは、正直、愉快なことではなかった。それがいくら美少女だとしても関係ない。これは本当に、睦を取られた嫉妬から感じていることじゃない。

 あれから二人の露出は増えているのに、クラスラインにその話題がまったくのぼらなくなったのも、当初はあった冷やかしの言葉がすっかり語られなくなったのも、俺たちの中に藤原莉紗と睦へのそんな反感があるからではないか。実際、藤原莉紗は目障りだと憚らず口にするやつも出てきた。そして、そんなことくらい分からない睦ではないはずだった。



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