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睦のお父さんが医学の研究のためにアメリカに家族を連れて行っていたのは、結局三年にも満たなかったけれど、俺はその期間を知らされていなかった。睦自身も渡米する時点で分かっていなかったから、俺に教えてくれなかったのだろう。
だから睦からアメリカ行きを聞いたときは、もう二度と会えないのではないかと思って寂しかった。そのうち互いに友達という感覚もなくなって、手紙のやりとりもしなくなってしまうんじゃないかと不安だった。
けれど睦との再会は、意外なほどあっけらかんとやってきた。
中一のちょうど今頃だ。
冷え冷えとした夜で、一人で留守番をしているとインターフォンが鳴って、画面を見ると睦がいた。俺は文字通り言葉をなくし、立ちすくんでしまった。
それまでにも一か月に一度くらいは手紙のやりとりをしていたけれど、帰国の話など少しもなかったのだ。
「ただいま。これ、おみやげ」
まるで数日の旅行帰りみたいな口調で睦はそれを差し出した。
三年ぶりに訊いた彼の声は前よりもかなり低くなっていた。背丈も伸びて顔つきも男らしくなって、日にも焼けていた。昔の面影はあるものの、別人のように逞しくなっていた。見慣れない黄土色の革ジャンだの、穴の開いたGパンだのが、いやにスレた印象を与えてきて、俺を微妙にうろたえさせた。
「ありがとう」
それでも、また会えたのが奇跡みたいで俺は嬉しかった。
睦が掌に乗せてくれたおみやげは袋に入っていなくて、ハードロックカフェのロゴが入った、Ⅴ字型のエレキギターを模したシルバーのキーホルダーだった。
ずっしりと重い感触の珍しいキーホルダーをしばらく眺めたあとで睦を見あげたとき、やけに穏やかな優しい視線にぶつかって、心臓が強く鼓動したのを憶えている。
睦も俺との再会を喜んでくれている。その微笑を見て確信できた。そう感じて、胸がじんと熱くなった。
幼稚園の頃から睦のことは友達として好きだったけれど、たぶん、このときに俺は、特別な意味で睦を好きになったのだと思う。
それが恋と呼べる感情なのだと気付くのにもそう長い時間はかからなかったけれど、同性を好きになってしまったのだというショックは大きくて、それは実のところ、いまでも変わらない。近所の幼馴染みに恋をするなんていくらなんでも手近すぎると、自己嫌悪もした。
なのに、どうしてもやめられない。
好きという気持ちを捨てることができない。
この気持ちを胸にしまい込んで睦の前に出る。そうでもしなければ、俺は睦の顔をまともに見られないから。
部活の後、同学年の桐谷と部誌を書きながら振り付けの話なんかをしているうちに、帰りが遅くなった。
時計は八時を回り、そろそろ帰るかと制服に着替えていると、部室のドアが開いて睦が顔を覗かせる。
「やっぱお前らか。下から見たら、明かりがついていたから」
だいたい俺と桐谷がいつまでも部室でダラダラ居残っていることが多いから、そんなことを口にする。聞けばカラオケの誘いだった。
睦にはバンドメンバーの工藤と、新入生の一年が二人いた。
「ついでに飯食わね?」
カラオケ店の食事は高くつくから普段はほとんどしないけれど、まあこんな機会は稀だし、どうせ今夜もコンビニ弁当か何かで済ませようと思っていたところだから、俺は了承した。それに、睦に声をかけてもらえたのも単純に嬉しかったのだ。
髪を優しく撫でる気持ちのいい夜風が吹く中で、学校近くのカラオケ店に向かった。
「あれぇ。お前ら、ほんとに仲いいんだなぁ」
ところが、いきなり桐谷が大きな声をあげたから、何事かと振り向いた。
睦が肩に背負っているギターケースのキーホルダーを手にしている。
「これ、桜井のカバンのと一緒じゃん。なに、お揃つけちゃってんの、君たち?」
ニヤけた顔で言う。え~どれどれ、なんて、工藤までが俺のを確かめにきた。
「いや~なんなんだよ、お前らコレ。そっくりじゃん。怪しいなぁ~~、まさか付きあってんのぉ?」
工藤がいやらしい声で冷やかす。
「そういう言い方やめろ。アメリカ土産にもらっただけだよ」
俺は恥ずかしさを隠して声をあげた。本当は嬉々としてぶらさげている自分がいるんだけど、そんなことはもちろん、露ほども覚られてはならない。
「だからってお揃いをつけるか? 女子みたいだな、お前ら」
桐谷は呆れたようだ。
「俺がつけろって言ったんだ」
睦がのんびりと口を開いた。相変わらず、このくらいの冷やかしじゃ動じない奴だ。
「俺にとっては高い買い物だったからさ。机の引き出しの奥にしまわれちゃかなわないと思って、拓もつけろよって言ったんだよ。なあ、拓?」
しぶしぶ頷いた。
「…へええええ~? それでおとなしく拓君はつけてあげているんだぁ。優しい~~。友達の鏡だなぁ」
また、工藤がからかいたっぷりに食い下がってくる。しつこい奴め。
「でも、お二人、お似合いな感じします」
ぶっ飛ぶようなセリフを口にしたのは、軽音の新入部員だ。長い前髪を頭の上でちょんまげに結っている、ひょろりとしたオタクっぽい雰囲気の一年だった。
いい加減にしろと、そいつを睨んだ。俺はいま、必死こいて自分の気持ちを睦にひた隠しにしているのだから、そういう刺激的なセリフはわずかばかりも歓迎しない。
俺が一人むっとしている間にカラオケ店に着いた。あんまりしつこくからかわれたから、もうカラオケなんかやめて帰ろうかとも思ったけれど、こんなことで本気になって怒るのもまた変に疑われそうなのでぐっとこらえる。
カラオケは久しぶりだ。
音楽は嫌というほど聞くけれど、歌わない。ダンス部の俺らは踊ってなんぼなんだよな、などと桐谷としゃべっていると、
「じゃあ俺が歌ってやるから、お前ら踊ってみせろよ」
工藤が悪戯っぽい笑いを浮かべながら提案する。
さっきのことでちょっとばかりムカついて俺は、「いいけど」なんて受けて立ってみせた。
当然、踊る目的になっていないカラオケの室内は狭かったけれど、ま、なんとかなる。
「僕、去年の文化祭で先輩達のダンス、見ましたよ」
例のオタク系一年が言う。確かに去年の文化祭で俺と桐谷は、部活とは別に有志でダンスを披露したのだった。
「よく憶えているな」
思わず感心してしまった。
「印象的だったので。あれ、もう一度見たいです」
「先輩にリクエストするなんていい度胸だ」
睦は呆れた様子だったが、工藤と桐谷は気に入ったようで、曲はそのときのものに決まった。
工藤が歌って、俺と桐谷がドアの前の空いているスペースで踊る。
工藤はバンドではベース担当なのに歌うのも巧かった。確かに彼のバックコーラスは秀逸だ。
狭い場所でもそれなりに夢中で踊ったから、終わった時には息が上がっていたほどだった。「お~~~!」という一年二人の声と、拍手が響く。
「すごい、かっこいい! ダンス部に入部したくなりました!」
もう一人の一年が叫ぶ。お世辞でも嬉しかった。
「なんかさ。やっぱエロいよ、お前らのダンスって」
工藤がいつになく真顔で言う。エロいなんて恥ずかしいけれど、最高の誉め言葉かもしれない。
「ほらな。だからこいつらのダンスを見せるの嫌なんだよ。魅力的なのは分かるけどさ、もう軽音に入ったんだから、いまさらやめるなよ」
睦はちょっと不機嫌だった。せっかく入った後輩が浮わついた言葉を口にしたのが、気に入らなかったのだろうか。俺はここぞとばかりに甘いマスクを装った。
「ダンス部は、いつでも君たちを歓迎する」
贔屓目でなく、一年二人の頬が朱に染まった。
「やめろ、拓」
すぐに睦が低く唸って、俺の腕を引っ張る。尻もちをつくように睦の隣に座らされてしまう。
「桜井のは悪魔のホホエミだからな。このツラで騙されるなよ。実はすげえ怖い先輩だから」
桐谷までがそんなことを言い出す。
「このツラってどんなだ」
俺は怒った。
「さっきの営業スマイルだ。滅多にそんな笑い方しねえくせに」
桐谷に鋭く指摘され、図星なので返す言葉がない。睦が口を開く。
「もう拓は踊るな。まるでオディールだ。軽音の大事な新入部員を誑(たぶら)かすんじゃねえよ」
「オディールって、もしかして白鳥の湖の?」オタク少年が目を丸くする。「すげえマニアックな譬えですね」
「一般教養だろ、そんなの」
睦が平然と言い返す。
「いやいや、それが般教って。どんだけおぼっちゃんなんですか、先輩」
「こいつ、こう見えて本当におぼっちゃんだから」
言葉尻を取って俺がからかうと、
「誰がだって?」
と、今度は睦が両手で思いきりくすぐってくるから、思わず腰を折ってぎゃははと笑ってしまう。
つられてみんなも爆笑している。まるで、ちょっとしたパーティー。
(楽しいじゃないか?)
…ほら。
――な?
他愛無いことでじゃれあいながら、頭の冷めた部分で考える。
仲間なら。友達なら。こんなに気楽で愉快だ。このままでいいじゃないか…と。
愉しい仲間で。仲のいい友達でさ。
だから、好きだという気持ちを圧し隠す。バレて嫌われるより、どれだけマシかと思いながら。
焦げるような胸の痛みを誤魔化して、笑顔のままで睦の顔をふと見上げる。
綺麗な、俺の大好きな顔を――――。
思いがけず、どきっとするほど真剣な光を湛えている眼差しが、まっすぐに注がれていた。
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