04「真実の重み」

「ローグ、よかったよ。アタシ、てっきりもうどこかに行っちゃったかと思った」


 隠れ家ではベッドの上でアリスが身を起こしていた。致命傷ではないにせよ、手当てが充分であったのか口を利ける程度には回復していた。ローグは戸口に立ったまま、アリスの様子を冷ややかに見守っていた。沈黙を恐れるかのようにアリスが喋り出した。


「どうして、アタシのことがわかったのかしら。擬態の魔法は完璧だったはずなのに」


「確かに、会うのは十年ぶりでやしたが人間の癖ってのはそう簡単に変わったりはしねえもんで。興奮した時に右脚を上げて跳ねる癖、機嫌がいい時には左の手の小指を髪に巻きつけて動かす癖、そして、あっしが実は左利きであると知っているに違いない行動。あっしは王宮では常に剣を握るのも食事をするのも右手を使っていました。一度目は、たまたまであっても、次の日の朝、皿の左にスプーンが置かれていれば偶然ではないことがわかりやした。それに――」


「それに?」


「決定的なのは臍のすぐ左にあった特徴的な黒子なんで。沼地でノッケンと戦った時と、ウォルズの晩、都合二度ほど拝見いたしやした。シャナイアがおまえさんと湯あみをした時に、奇妙に五つ並んだ黒子の話をしていたんで、すぐにそれとわかったんで」


「そっかあ。ローグにはすぐわかっちゃたんだあ。アタシのことなんか、これっぽっちも気にしてないと思ってたのに、嬉しいな」


 アリスは上気した顔で熱っぽい目をローグに向けた。


「思い出に浸っているところ悪いと思いやすが、チャズは死にやした」


 冷や水を浴びせられたようにアリスがベッドの上で硬直した。


「う、嘘……!」


「真実で。チャズは王都の追手を引き受けてあっしたちを守って戦い抜き、それが致命傷でくたばりやした。今度は、あっしがどうでも問い質さねばなりやせん。いってえ、おめえさんはどういうつもりで、顔かたちまで変えてあっしに近づいたんで」


「聞いて! アタシはずっと辺境の防備に駆り出されて十年も王都の外に出されてたの! だから、アタシが戻ってきてチャズが国宝を盗んで、ローグがいまだに討伐から戻って来ないって聞いて。半信半疑だったけど、アレフレドが任を受けないのならアタシから王宮魔道士の地位を剥奪するって……! アタシは、みんなと違って孤児だったから、昔みたいな生活に戻るのは嫌だったの! 魔法しか取り柄はないし、アタシの話を聞いてくれる人なんてローグくらいしかいなかったから、でも、王都には誰もいなし。もう、どうしていいかわからなかった。姿を隠して、同行して隙があればローグを殺れだなんて……アタシ、本当にどうかしてたよ。許して、なんで、なんでこんなことになっちゃったのかなあ……」


「アルフレドがあっしを殺すように言ったんで」

「違う、アンタを殺すように頼んできたのはシャナイアよ」


 アリスの絞り出す言葉に、さすがのローグも衝撃を受けた。

 が、表情には出さず、アリスの言葉の真意を探るようにジッと見つめた。


「どうしてシャナイアが……?」


「やっぱり知らなかったのね。ローグが旅に出ている間、アレフレドは側室を迎えたのよ。で、よりにもよって王子が生まれた。その子は今年でようやく一歳になったばかりだけど、アルフレドはシャナイアが生んだジーク王子ではなくて、そのまだ立つことすらできないリック王子を王位に就けるような素振りを見せ出したの」


 アリスの言うとおりならば、シャナイアは自分が産んだ子が王位継承者から蹴落とされる格好となり、まずい立場であるのはわかったが、ローグが命を狙われる理由がわからない。


「それは理解できやしたが。どうして、あっしがシャナイアから命を狙われなければならねえんで……?」


「アルフレドが新しく迎えた側室の名前、知ってる? ジュディスっていうのよ」


 今度こそ、ローグは驚愕した。その側室の名前は、ローグが故郷奪還作戦時に生き別れとなった妹の名前と同一であった。


「もしや、その側室はあっしの……」

「そう。アルフレドの好色はローグも知っているでしょう。隣国のエトリアに亡命していたジュディスは、二年前、エトリアの下級貴族として国王に拝謁を願ったの。彼女はエトリアでもずっと辺境に平民として隠れ住んでいたから、二十歳過ぎまで自分が貴族であったことなど知らなかったらしかったわ。けど、ようやく自分の兄が生きていると知って、わずかな伝手を辿ってロムレスにきた。けど、拝謁したその晩に、アルフレドによって手籠めにされたの。ジュディスにはもう長く親しくしていた幼馴染みの婚約者がいたのにね」


 ローグの頬が奇妙に引き攣れた。

 感情の処理に戸惑っている証拠である。


「婚約者の名はホレス。アルフレドの暴虐を知っても、属国のしかも下級貴族であるホレスには成す術がなかったわ。結局、ジュディスの婚約者であるホレス卿は悲観して命を絶ったの。けど、アルフレドは意にも解さなかった」


 ローグは苦しげに呻くと自分の胸のあたりをつかんだ。


「あとで調べてアルフレドもシャナイアも驚いたでしょうね。ジュディスがローグの実の妹であった事実だって知って。それでもアルフレドの寵愛はジュディスからゆるがなかった。もし、ジュディスが産んだ子が王位に就けば、剣聖の地位を剥奪されて追放されたローグは次期国王の叔父ってことになるの。アルフレドはジュディスにベタ惚れだったけど、同時にローグの復讐を恐れた。だって、あなたは恋人とたったひとりの妹をアルフレドに慰み者にされたようなものだから。そして、シャナイアはローグが王都に無事戻ってきてしまえば、十年前の裏切りを、あなたが妹であるジュディスに肩入れすることで復讐を果たすだろうと決めつけて、恐れたのよ。リック王子が後継者になれば、きっとあなたがジュディスと共にシャナイアに対して復讐を果たすって決めつけて。ねえ、なんて身勝手な連中なのかしら?」


 ローグは表情のない顔でアリスの語りを聞いていた。要するに、消極的であるがアリスはアルフレドの主導するローグの抹殺計画に加担していたのだ。そして、一番の衝撃は精神的には味方であったはずのシャナイアまでもがローグに生きていては困ると思い、命を狙ったことにあった。


 懸命に自己保身とも取れる話を続けるアリスにかつての仲間としての情を見出すことはできなかった。


 著しく身体が弱ってロクな魔法が使えないアリスはもはやなんら脅威ではない。ローグはアリスの言葉を聞いてもなんら反応を示さず、戸口より進み出た。手に持っていた魔剣を鞘ごと机に置くと、言った。


「ここにチャズが奪った魔王の剣がありやす。アルフレドの目的はこれが大きかったんで。怪我が治ったら、コイツを持って王都に出頭すれば、おまえさんの地位がゆらぐことはきっとありやせんぜ」


 それだけ言うとローグはもはやここにいる意味はないといった体で戸口に向かった。


「ちょ、ちょっと待ってよ! アタシは怪我人なんだよ。アンタをチャズからかばって大怪我をしたんだ。そんなアタシを置いていくつもりなのっ!?」


「心配しねえでも、おめえさんの面倒はあのウェアウルフの坊主に頼んでおきやすよ。あのレオって子は歳は若ェが芯が強くてなまじなおとなよりもよっぽど頼りになるってもんで」


「待って、待ってよ! ローグ、アンタは王都に行くつもりなのっ。だめだよ、それは絶対だめ。殺されちゃうよ、いくら強くても王都には十万の近衛軍と手練れがそろってる。いくらローグでもかないっこないよ! ねえ、もしかして、まだ、あの女、シャナイアに未練があるっていうの!? 嘘でしょう!」


 背を向けたままローグは黙ってアリスの言葉を聞いていた。ローグの脳裏に浮かぶのは、いま、目の前にいる成熟し切った美貌の女ではなく、かつて共に旅をしていた、ただ世界を救うために純粋な理想に燃えていたひとりの少女の姿だった。


 眼を開ける。

 現実がある。

 純真無垢な少女はもういないのだ。


「もともとあんなケダモノの皮をかぶった女なんかローグには似合ってなかったんだ! アタシが、アタシがいるじゃないか? ずっと、ずっとローグのそばにいて仕えるから! ああ、そうだよ! アタシがアレフレドの命令を聞いたのは、アンタを殺しちまえば、もう、ローグは誰のものにならない、アタシだけのものになるって思ったからなんだよ! アタシのほうがシャナイアなんかよりずっとローグのことを喜ばせることができるよ? ねえ、見てよ。アタシは顔も身体も悪くないでしょ? ずっとおもちゃにしてもいいんだ、好きにしてもいいからっ。だから、見てよ。シャナイアじゃなくて、アタシのことだけずっと見てよ……アタシは、ただ、ずっとローグと一緒にいられれば、それで良かったんだ」


 すべてが虚しい。ローグはすでにアリスの言葉を聞いていなかった。扉を強く閉める。ローグの名を呼ぶアリスの叫びは分厚い戸によって遮断された。


 ローグは冷たくなった野外の空気を力いっぱい胸に吸い込んだ。そうでもなければ臓腑が腐れきってしまいそうなほど、胸が悪かった。外には木の桶を持ったレオが静かに立ってローグをジッと見つめていた。


「ありがとうござんす。チャズには最後にもう一度ひと働きしていただくんで」


 首桶を受け取るとローグは頭陀袋から大きな布切れを出してしっかり包むと、胸の前に下げた。それから金貨のずっしりと詰まった革袋を取り出してレオに手渡した。


「おめえさんは歳に似合わずしっかりしていなさる。この金子を持ってずっと北にあるシルバーヴィラゴっていう街の冒険者ギルドにいるジェラールって男を訪ねなせえ。かつてのあっしの家の執事だった男なんで。革袋の中のメダルを見せてローグの名前を出せば、きっと身の立つように計らってくれやすぜ」


 レオは涙を見せずに、静かにうなずくと、その場に立ったままジッとローグの去り行く方向を見やっていた。


「ずいぶんとお達者で」


 ローグは振り返らずにその場を走り去った。


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