03「チャズの告白」

 チャズの隠れ家に着いたのは昼過ぎだった。チャズが囮を引き受けてくれたが、ローグたちの前には計八人ほどの近くが現れ、撃破するのに多少の時間がかかった。


 隠れ家には、食料と水、衛生材料が保管されていた。思いのほか獣人のレオが有能だったこともあり、アリスの止血は間に合い、無事一命は取り止めた。


 ローグは窓際に立ったままチャズがやってくるのを待ち続けた。ことり、と音がしてレオが戻ってきた。両手の笊一杯に野原で摘んだ薬草が持ってある。


「あっしは少しばかり出てきやす。アリスのことをよろしくお頼み申しやす」


 レオは打ち解けた様子こそ見せないが、道中、ローグがいつもたやすく強敵を斬り伏せたことに感じ入ったのか、目には敬意が強く宿っていた。


 ローグはベッドで寝入っているアリスに視線をわずかな間だけ向けると戸外に出た。別段、チャズとアリスのふたりと和解したわけではない。チャズとアリスがアルフレドや王国の命で動いていたことは確かである。ふたりの行動がたまたまローグたちの命を救うことに繋がったとはいえ、それらですべてのことがらが氷解したわけではない。


 チャズに斬られてもいいと思った自分は確かに本当であったが、現実は、いま無傷なままここにいる。


 アリスが術を使って顔を変え、フランセットと名乗ってローグを騙していたことも、また事実なのだ。


 この先、どういう行動を取るかというのはふたりの話次第になるだろう。チャズの隠れ家は小高い山の中腹にあり、場所を知らなければ、まず見つけるのは難しいだろう。ローグは下から見えない位置であたりを見張った。





 

 それほど時間が経たぬうちに、眼下の森の中で蠢く人影をローグは見つけた。右手が長剣の柄にかかる。が、ゆっくりと跛行する人物が近づくにつれてチャズに間違いないとわかった時点でローグは山を駆け下りた。


「兄貴、すまねえ」


 チャズはローグを見ると安堵したかのように微笑みドッと倒れ込んできた。ローグはチャズを抱き止めると、血で濡れそぼったチャズの身体が氷のように冷たいことに気づき顔を歪めた。頭部、両肩、右脇腹、胸、腹、左脚の各所に数十カ所の手傷を負っている。


 特に酷いのは腹である。自分で止血をしたのだろうが上手く止まっていない。身体も傷口も冷たいのは、もうチャズ自身で熱を出す力が残っていない証拠だった。


 アリスの状態が万全ならば、治癒魔法で命を繋ぎ止めることは可能であるが、いまはそれも望めない。かといって、このあたりに人家はなく、ローグが医者や治癒士を捜し出して連れてくるのには、丸々一日かかってしまうのは目に見えていた。


「兄貴、気にしねえでくれ。オレが望んでやったことなんだ」


 弱々しい声をチャズが出した。ローグは黙ったままチャズを横抱きにして静かにその顔を見つめた。チャズの肌はもはや生きている人間のそれではない。ローグがこれまで嫌というほど戦場で見てきた、死が間近に迫った者の色である。


「そんな顔しねえでくれよ。言っとくが、いますぐどうこうってわけじゃねえ。陽が落ちるまでは、まだ、生きていられるさ。繰り言を述べる暇くらいはあるんだぜ」


 チャズの顔色は死人のように青白かったが、声は途切れることなく出ていた。文字通りの最後の力を振り絞っている。ローグはチャズに好きに喋らせようと決めた。


「これが本当の最後なんだと思うよ。だから、オレの話を最後まで聞いて、それからどうとでもしてくれ」


 ローグは静かにうなずいた。


「もう、話した通りにオレが紫紺の欠片を盗んで逃げた筋書きを書いたのはアルフレドの指示なんだよ」

「そうか」


「すまねえ。オレは弱みを握られていた。あの糞野郎によ。けど、その前に兄貴に詫びなきゃなんねえことがあるんだ。あの、魔王討伐後、王都に戻って大祝宴が行われた夜に、オレはシャナイアから兄貴に言伝を伝えるよう頼まれたんだ。


 けど、オレは、嘘をついちまったんだ。兄貴にゃ西の庭園で待つように言っただろう。けど、違うんだ。オレがシャナイアに伝えるよう頼まれた本当の待ち合わせ場所は東の庭園なんだ!」


「東の庭園……?」


 ローグの瞳にわずかな輝きが灯った。


「兄貴にゃなんでかわからねえよな。そりゃ、そうだよ。オレもシャナイアに惚れてたからなんだっ。最初は、兄貴にシャナイアから頼まれた場所を素直に伝えるつもりだったんだが、気づきゃあ、嘘を伝えてたんだよ。ふたりが結ばれんのは、我慢ならなかったんだ。けど、そのあとすぐに後悔して、シャナイアを探していたアルフレドにどうしていいか相談したんだ。テメェの胸の内を素直に伝えてよ。


 そうしたら、アルフレドの野郎はおれにまかせておけなんて言いやがって……! アイツは兄貴やオレを出し抜いて、シャナイアを手籠めにしたんだ! シャナイアは敬虔なシーカース教徒だ。無理やりだろうが処女を奪われちまえば、アルフレドの言いなりになるしか手はなかっただろうな。シャナイアはアルフレドに連れ去られ離宮で一週間後、凌辱の限りを尽くされて抗う気力を失ったのさ。


 それに、王宮の人間も元辺境伯で大貴族だった兄貴をシャナイアの婿に据えて王位に就かせるよりも、国内に出自のないアルフレドを据えて傀儡にするほうが都合が良かったんだろうな。オレは、何度も兄貴に本当のことを伝えて、ふたりを逃がそうとしたんだが、もう、そのころはシャナイアも逃げるつもりが毛頭なくなっていたんだ。


もう、遅かったんだ。なにもかもが。オレはアルフレドにこのことをずっと兄貴にばらすぞと脅されて、なにも言えなくなっちまったんだ。情けねえ。なにが弟分だよ。兄貴を裏切っておいて、なんだ! オレは、オレは虫けらだあっ!」


 ローグは空を見上げながら樹々の梢を渡る悲し気な風の音を聞いていた。ならば、合点がいった。旅の間も性的には極度に厳しかったシャナイアはアルフレドを王に迎えてから、装いも態度も百八十度違った方向性を見せていたからだ。それまでの清楚な装いとは一変して、派手過ぎる化粧と豊かな胸を強調する衣服はアルフレドとの異様な性体験が根底にあったものと思われた。


「オレはアルフレドの言いなりになって紫紺の欠片を盗んだことにして王都を出るように命令されたが、断る気力すらなかったよ。本来警備を司るオレが国宝を盗む。とばっちりは当然ながら、オレの上司である兄貴に降りかかるんだ。アルフレドの野郎は心底兄貴を恐れてたんだ。けど、けどよう、あのことをばらすぞと言われりゃオレはたちまち腰砕けになっちまう。オレは、なにより兄貴に軽蔑されるのが怖かったんだ。


 だから、逃げたんだ。いくら酒を飲んでみても、大貴族のお姫さまを嫁に貰ってみても、苦しみは消えなかった。王都は、ひどく、息苦しい。あの冷たい城ン中よりかはマシかと思って外に出ても、オレにできるのはこすっからい野盗くらいが関の山だったんだ。許せとは言わねえ、ぜんぶ、ぜんぶ、オレの嘘から始まったんだ。オレがオレがみんなを不幸にしちまったんだ」


「もういい、喋るな」


「兄貴、すまねえ。それがぜんぶだ。煮るなり焼くなり好きにしてくれや。もう、話すことはねえんだ。これがぜんぶだ。ぜんぶ、ぜんぶ……」


「チャズ。すべて忘れちまえ。なにもかも終わったことだ。俺がおまえを追っていたのは惰性さ。生きる意味をおまえに求めてたんだ。だから俺はおまえを責めたりはしねえし、その権利も俺にはねえんだ」


「兄貴……! けど、それじゃあオレの気がすまねぇんだよ!」


 チャズはカッと両眼を見開くと、ローグを両手で突き放して立ち上がった。いましがた、虫の息であった男は思えないほどの気迫と力である。チャズは両足を踏ん張って腰を落としたまま歯を食いしばっている。かみ切られた唇から真っ赤な血がしたたり落ちていた。


「なにを――」


 チャズは腰の剣を引き抜いた。が、本来は全長九十センチを超える魔王の剣は最後の戦いでアレフレドに半ばからへし折られ、半分になっていた。チャズはニッと真っ白な歯を見せると、なんら迷うことなく魔剣を自分の腹に突き刺した。


「くるなっ!」


 チャズはローグが飛び出そうとした瞬間、左手を前に突き出して制止した。チャズはそのまま苦悶の表情で魔剣の刀身を鍔元まで埋没させた。あれでは背中まで刃が突き抜けているだろう。


 しかし、不思議なことに腹の傷口からあふれ出た鮮血は魔剣の刀身に残らず吸収されて、地面に一滴足りとも流れ落ちることはなかった。


「へ、へへ、これからが本番よ……」


 チャズ自分の腹から魔剣を引き抜く。それは不思議なことに、チャズの血を呑みくだしたことによって、半ばから欠けてしまった刃を徐々に再生させつつあった。ずるりと血がぬめりながら吹き出すが、それらは魔剣の刃に巻き取られて吸収される。


 チャズが手品のように魔剣を引き抜き終えた時には、落日に照らされた薄い赤に染まった美しい刃が完全に修復されていた。


 チャズが力尽きたようにうつぶせに倒れる。ローグが駆け寄ると、チャズは魔剣を抱きかかえたま最後の力を使ってごろりと仰向けになった。


「兄貴、これが盗賊チャズの最期の詫び料さ。受け取ってくんな。アルフレドは必ず兄貴を消そうとしやがるに違いない。魔剣を奪うためにもな。そん時、アイツの聖剣と五分にやり合える相棒が絶対に必要になるだろ」


「相棒、か」


「……それと兄貴。オレが死んだら必ず首を落として持っていくのを忘れないでくれよ。長いつき合いだ。兄貴の気性はオレが一番わかってんだ。オレの首、持っていけば疑り深えアルフレドだって兄貴に会わざるを得ないからな。これ、忘れねえでくれよな」


 そう言うとチャズは両手を小刻み震わせながら魔剣を差し出した。もう、剣の重みに両腕が耐えきれないほど弱っているのだ。


 ローグは黙ったままチャズの手から魔剣を受け取った。ずしりとした重みとかつてない力を秘めた凄みを魔剣から感じ取れた。


「ありがたく、使わせてもらうぜ」


 錆びた声でローグが言った。しかしチャズはもう動かなかった。その顔には苦悶の表情など微塵もなく、ただ気持ちよさそうに寝入っているようにしか見えない。初めて会った日の少年の面影が残っていた。


 ガサリと近くの茂みが動いた。ローグが目を向けると、そこには真っ青な顔色をしたレオが立っていた。ローグが立ち上がって長剣を抜く。レオは転がるように茂みを駆け出すと、ローグの前に立ちはだかって長剣を受け取るような仕草をした。


「つれぇ仕事だぞ。やれるか」


 こく、とレオが力強くうなずいた。

 奴隷であるレオの主人であったチャズにできる最後の奉孝だった。


 ローグは黙ったまま長剣を差し出した。レオは両手で受け取って、チャズの胸に跨った。ウェアウルフは戦闘部族であるとローグは聞いている。倒した敵の首の取り方は、一族から伝え聞いていたのだろう。


 レオは長剣の刃をチャズの喉に当てるとぐいと力を込めてみごとに掻き切った。その動作を見てローグはレオが人間の首を落とすのは初めてではないと悟った。


「チャズの首を桶に入れて塩漬けにするんだ。俺はアリスの様子を見てくる」


 ローグはぺこぺことその場で首を下げるレオに振り向くことなく、隠れ家に向かった。



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