4 真実の章

01「魔道士アリス」

 残り数十秒、いや数秒ですべてが終わると思った瞬間である。さすがのローグも反射能力は衰えていた。チャズの剣技は相当なもので、割って入ったフランセットの左脇腹をかなりざっくり斬りつけていた。前のめりに倒れたフランセットの顔に陽炎のようなものが静かに立った。数瞬後、魔法による変化が解ける。特徴的なエルフ耳と銀色の髪。そこに伏せている人物は、ローグもチャズもよく知るかつての仲間で魔道士アリス・ディ・ミーズだった。


「アリス! なんでおめえが? それに、兄貴ッ! どうして、どうしてオレなんぞ斬られようとしたんでえ!」


 チャズは手にした大剣をぼとりと地面に下ろすと、いましがた自分が斬ったアリスの顔をまじまじと見やった。チャズは年下であるアリスを妹分としてことのほかかわいがっていた。


 アルフレドとシャナイアの心はとうに離れていたが、ローグを含めたほかの三者は明確な決裂が訪れるまで、仲は悪くなかったのだ。


 ローグはフランセットの正体がかつての仲間であるアリスであると気づいていた。チャズはかがみ込んだまま、放心状態であった。戦意は消え失せている。このまま無謀な背後から斬られてもチャズは気づかないであろう。同時に、ローグも心を覆う強烈な虚無感に苛まれていた。なぜだ、という気持ちが強かった。アリスならば魔法を使いふたりの戦闘をどうとでも止めることができたはずだ。それをしなかったのは、ギリギリまで彼女の中にためらうものがあったのだろう。それはローグも同じであり、斬りかかる瞬間、ふと斬られてもよいという思いがよぎったのだ。アリスが魔法を使って止められなかった理由であった。


「よ、良かった。ローグもチャズもダメだよ。あんな……女のために、殺し合いなんかするなんて……」


 チャズに抱き起されたアリスが血塗れのまま凄絶な笑みを浮かべていた。笑った唇から深紅の血に塗れた真っ白な歯がチラリと光った。チャズは助けを請うような目でローグを見た。ローグはすでに剣を鞘に納めると懐手をして佇立していた。


「チャズ。おまえは本当に紫紺の欠片を盗んだのか」

「兄貴はお見通しか。国宝なんぞは盗んじゃいねえよ。すべては、国王の差し金さ。兄貴と邪魔なオレを王都から出すためのな」


 チャズは疲れ切った表情で薄ら笑いを浮かべた。さもありなんとローグは思った。国王であるアルフレドが本当に排除したかったのは、チャズではなく実力のある自分だ。


 だが、やはりそこで疑問が生じた。すべてが芝居であるならば、ローグが王都を出た時点でアルフレドはなんらかの罪をでっちあげてふたりを消すなど造作もないことだったに違いない。


 しかし、現実は十年間もなんら手を打たずローグとチャズを野放しにした。そこになんらかの意図が隠されているはずだ。


「アイツは、アルフレドの野郎はオレの弱みを握って有無を言わさず本物の盗人としてオレを生贄にしたのさ。けど、それじゃあこの盗賊チャズさまの名が廃るってもんよ。紫紺の欠片なんぞは盗んじゃいねえが代わりに、こいつをいただいたのさ」


「それは――!」


 チャズが腰から剣を半ばまで抜いた。すぐさま異様な魔力があたりに満ちた。ローグはその魔剣に心当たりがあった。


「そうさ、魔王の持っていた剣。コイツは聖剣と同等以上の力を持っている。アルフレドさえ扱いかねて宝物庫に仕舞ってあったのをオレが頂戴したのさ。ざまあみろってんだ。テメェひとりだけ枕を高くしようなんて問屋が卸さねえっての」


「ねえ……ちょっと、アタシのこと……忘れてない……?」


 ゴブゴブと血を吐き出しながらアリスがどこか嬉しそうな眼をしていた。ローグはこのような危機的状況であるにもかかわらず、昔と同じようにふたりと話ができていることに衝撃を受けていた。


「ああ、ワリィ。アリスよ! すぐになんとかしてやっからな!」


 ローグはかがみ込んでアリスの傷を見た。どうやら先ほどの立ち合いで、チャズ自身も斬撃の瞬間手を抜いていたらしいことがわかった。


 でなければ、とうにアリスの臓腑は壊滅的なダメージを受けて手の施しのない状態になってはずだ。しかし、重傷には違いない。


 いますぐに、血止めをして根本的に治療を行わねばならないことに違いはなかった。手先の器用なチャズがアリスの傷口に軟膏を塗って、ぐるぐると包帯で縛った。


「大丈夫だ。内臓は傷ついてねえ。……なあ、どうして兄貴はオレに斬られようとしたんだ。オレを斬るために、ずっと旅をしていたんだろう」


「どうかな。そいつは俺にもわからねえのさ。チャズ、それよりもだ。アリスの手当てをしなきゃあなんねえ。どこか、こいつを運べる場所はあるか」


「それなら、心当たりがある」


 チャズはピーッと指笛を吹き鳴らした。すると、近くの下草がガサゴソと動いてたちまちにひとりの獣人が姿を現した。年齢は十歳かそこらだろう。頭部に目立つ犬耳と尻にはふさふさとした特徴的な尾が生えていた。


 少年はチャズが元気な姿を見ると、パッと表情を明るくしてしっぽを左右に振りながら素早く駆け寄ってきた。


「兄貴。こいつはウェアウルフの奴隷でオレが下働きに使っていたレオだ。ガキだが目端が利いて腕力がある。レオ、いまからオレらは怪我人を隠れ家に運ぶから手当の準備をしておくんだ。いいな?」


 レオはチャズに命じられると大きくうなずいて飛ぶように叢に走り去った。ローグはすぐさまチャズに目線を向けた。当然とばかりにチャズはアリスを背負うと懐かしさをいとおしむように言った。


「アリス。勘弁してくれな。オレも見境がつかなくなってたんだ。おまえの傷が治ったら煮るなり焼くなりどうとでもしてくれ。言い訳かもしれねえが、こんなことになるとは思っちゃあいなかったんだ」


 チャズに背負われながらアリスはわずかに顔を傾けるとローグを見た。ローグはなんら感情を浮かべずに、レオが走り去った方向に歩き出す。アリスが唇を震わせながら消え入るような声で言った。


「相変わらず、ローグはなにも聞かないのね……」

「繰り言はおめえさんの命が助かったらたっぷり聞かせてもらいやすよ」


 その時、ローグの口調はかつての仲間同士の気安いものからよそ行きに変わっていた。


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