04「不自然な恋情」

「ローグさま、もう休んでいらっしゃるでしょうか」


 そこには小さなランプに火を灯したフランセットがこちら窺うように立っていた。

 昼間のカッチリした修道服ではなく、ナイトウェアに着替えている。それは娼婦でも着ないような、鮮やか過ぎるベビードールであった。


 身体の線がくっきり浮き出る透け感のある深紅のキャミは淡い光に照らし出されて、淫猥であった。ローグは片目だけでフランセットを眺めると、施錠していた扉をあっさり開けたことを特に気にもせず再び目蓋を閉じた。鍵を開ける方法などいくらでもある。


 フランセットは身体に香を焚き込めているのだろうか、室内になんともいえない匂いが漂った。


 女日照りの冒険者ならば、一も二もなく飛びかかっているだろうが、ローグは体勢を崩さすにベッドの上で座ったまま片脚だけを伸ばしてみじろぎもしない。


 ぎし、とわずかにベッドが沈んだ。フランセットが腰かけたのだ。ローグは女を知らないわけではない。だが、眉ひとつ動かさず沈黙を守っていた。


「剣聖ローグさまというものが、あろうことか女ひとりを怖がっているのですか」

「シスター。おやめなせえ。明日は、早立ちと決めたのはあなたじゃあござんせんか。戯言なら、ほかの男衆を誘ってくだせえ」


「ローグさま! わたしは、わたしはあなたさまをお慕い申しております。どうか、どうかこの出会いに縁があったと思って、わたしを、わたしを抱いて……!」

「茶番につき合う趣味はねえんで」


「そんなひどいことを! 女がここまで誘っているっていうのに、ローグさま。それじゃあ、あんまりじゃないですか!」


 フランセットがにじり寄ってくる。ローグは薄目を開けて同じベッドの上にフランセットを凝視した。窓から差し込んでくる強い月光に照らし出されたフランセットの瞳は情欲に燃えたぎっていた。ローグは目の前の小娘ひとりを御せない自分を冷たく笑った。


 それを受け入れられたのかと勘違いしたのかフランセットが四つん這いになりながら抱きつこうとさらに前進する。ローグは鞘に納めた剣の鐺をフランセットの鼻先に突きつけると、醒め切った声で拒否した。


「それ以上近づかれると、あっしも身を守らにゃあならねえんで」


 自分でも驚くべきほど冷徹な声だった。紅潮していたフランセットは一瞬で蒼ざめるとぼろぼろと瞳に大粒の涙を盛り上げ、やがてその場に伏せるとワッと泣き出した。


「どうしてっ……なんでっ……?」

「あっしはこの世で誰ひとり信じちゃいねえんで」


 それはフランセットも例外ではない、ということだ。

 声を殺して泣き伏していたフランセットは化粧が崩れた顔を上げるとキャミソールを自分で持ち上げて、真っ白な腹を見せた。鮮やかな深紅のショーツとの対比が凄まじい淫猥さを醸し出している。


「ね? ほら、ね? いいんだよ。ここ、あなたの好きにしても……」


 が、ローグは長剣を抱きかかえると、目をつむり、一切の対話を拒否するようにぴくりとも動かなくなった。


「じゃああ、じゃあ、せめてここで寝てもいい?」

「勝手になせえ」


 ローグの言葉を耳にすると、フランセットは救われたという表情になって、その場で膝小僧を抱えて丸くなった。時折、ぐすっぐすっ、と涙を啜る声が聞こえるが、もはやローグはその声になんら反応を見せることはなかった。






 翌朝、まだ日が上らないうちにローグは宿を出た。街の外に出ると、すでにフランセットが装備が整った状態で、馬に荷物を載せて待っていた。


「ゆきましょう、ローグさま。昨晩、うち合わせた通りに、チャズはここから離れて十里ほどの岩穴にねぐらを構えています」


 そこには数時間前まで男の情けをねだってあさましいまでに雌の振る舞いを見せた女はおらず、激しい修行と鍛錬で自制を身に付けた神官騎士の姿があった。


 ローグの行動は素早かった。自慢の脚でまだ夜が明けきらぬうちに、チャズがいると思われる洞穴に到着すると、フランセットの命じて馬に運ばせていた荷物である薪と柴草を入り口に積み上げさせて火を着けた。


 着火した柴草は生木が混じっており、強烈な煙を発して洞穴の中に吸い込まれてゆく。


 ほどなくして、目を真っ赤にして激しく蒸せた十人ほどの男が飛び出してきた。

 男たちは激しくむせながら、ローグたちを見るとギョッとし、それから烈火の如く怒りを露にして剣を抜き放った。


「テメェらなにを考えてやがる!」

「ここを俺らのアジトと知ってのことだろうな!」

「膾に刻んでやるから覚悟しろい!」


 三人の男が激高しながら打ちかかってきた。だが、ローグは静かに長剣を鞘ごと抜くとほとんどその場から動かずに男たちを打ち据えた。自然な動きだった。三人の男たちは声も上げずに、その場に倒れると白目を剥いて泡を口から蟹のように吐き出している。


「なにをジャレてやがるんだ」


 うっそりと小柄な男が鷹揚とした動きで煙の中から姿を現した。男はどこを見ているかわからない視線をさ迷わせていたが、ピントがローグに合った瞬間、激しい動揺を見せた。


「久しぶりでござんす」

「ローグの兄貴ッ……!」


 十年ぶりに目にするチャズは思い出の中よりもずっと老けていた。ずいぶんと苦労をしたのだろう。まだ、二十代半ばのはずなのに、四十に手が届くと思われてもいたし方のない劣化具合である。


 百六十強と小柄な身体は背が曲がったのか、さらに小さく見える。十年前にはなかった口髭はお世辞にも似合っているとは思えず、ローグはどこか自分とは関係のない物語を見せられているようで、夢うつつだった。キーンと甲高い音が頭のどこかで鳴る。感動的な再会の気配はない。あたりまえだ。現実など、人間の思うような形で進行するわけがない。チャズは激しく蒼ざめながら、背負っていた剣の柄に手をかけていた。


「……兄貴。オレを殺りにきたのか」


 チャズも剣の腕前ならば相当なものだった。一流の騎士ですら相手にならぬほど抜群の技量を誇っていたが、ローグの足元には自分が及ばないことを知っており、表情は絶望に彩られていた。


 ついに出会ってしまった。ローグはもともと国王から命を受けて旅に出た時、チャズを探しだすつもりは毛頭なかった。


 が、運命の巡り合わせか、フランセットと合流して、なけなしの情報を集めてウォルズまで赴いた結果が目の前にあった。


「仕方ねえ。そういうことならオレも性根を据えるかしかねえ。おい、テメェら、このお方がいつもオレが話をしている剣聖ローグさまよ。テメェらが束になったってかなわねえに決まっているさ。命が惜しければ回れ右して失せるんだな。でなきゃ、たったひとつっきゃねえ命を失うことになるぞ」


 チャズの言葉を聞いた手下たちは青白い顔をすると、ワッと両手をあげて一目散に逃げ散っていった。ローグはなんら感情の浮かばない目つきで盗賊たちを見やったあと、チャズに向き直った。


「ワリィな兄貴。かなわぬまでも手向かわせてもらうぜ」


 チャズはわずかにかがんで背負った大剣を抜いた。腰にある長剣を使う気はない様子である。フランセットが無言のままジッとローグたちのやり取りを見ている。


 昨晩、ローグが言っておいたことを守り、この戦いに手出しをするつもりはなさそうだった。


 しかし、ローグの気持ちは酷く冷え切っていた。心の中に燃えるものがないのだ。

 いま、チャズを斬って国宝である紫紺の欠片を取り戻したとしても、その先は見えている。こうして長剣を抜いても闘志が湧かないのは、仲間で弟分だったチャズに強い憐憫の情があったことが理由であろう。まだ、そんな人間らしい心があることに自分でも驚いていたのだ。


 長剣を正眼に構えたまま左に移動する。チャズも剣を構えたまま横に移動した。

 こうして向き合っているだけでも相当に消耗しているのだろうか、チャズの呼吸が激しく乱れていた。


 ――ああ、そんなこっちゃあ俺を斬ることはできねえぜ。


 斬られても良い。そんな気分がどこかにあった。ローグほどの剣の達人ならば、ごく自然な形でチャズに斬らることが可能だった。ローグを斬ってしまえば、王国内でもはやチャズを追おうとする考えを起こす者はないだろう。アルフレドにそんな根性はないし、そもそもローグが生存していること自体が余計なのだ。


 視界が水色に染まる。夜明けだ。


 チャズがイチかバチかで前進し、それから斬り込んできた。さすがに盗賊チャズだ。ローグ以外であるならば充分斃せる綺麗な一撃だった。刃が胸元にすべり込んでくる。そういった軌道が読み取れた。ローグは剣を振りかぶりながら、どこか吹っ切れた気持ちだった。次の瞬間、ドンと横から強い衝撃を受けて吹っ飛んだ。


「だめえっ!」


 転がりながらローグの目に映ったのは横合いから飛び出してチャズに斬られたフランセットの姿だった。


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