03「シスターの正体」

「シスター。えらいことになりやしたね」

「あ……!」


 ローグの顔を見たフランセットは安堵の表情を見せた。だが、ローグが駆けつけたとことろで危機が過ぎ去ったわけではない。ローグひとりならばこの場から逃げることはそれほど難しくはないが、いまは、フランセットがいるのだ。彼女はローグにとって命の恩人である。逃げるならば端から飛び出したりなどしない。


 と、なればこの状況を打開しなければならない。まず、ローグよりもカース・ヘリアンタスが動いた。この獅子の面を持つ魔獣は巨大な咢をカッと開くと、火炎を激しく放出した。オレンジ色の炎が凄まじい勢いでローグに迫る。


 だが、ローグは素早く外套を翻すと身体を覆った。

 ローグの外套は火炎鼠の革で作った抗魔法防御に特化した逸品だ。


 特に、火山のマグマを泳ぐとされる火炎鼠の革による炎の抵抗性は際立って優れている。


 ローグはフランセットをかばいながら、カース・ヘリアンタスが炎を吐き終えるのを待つと、すかさず反撃に出た。


 飛び上がって長剣を使った。刃が半円を描く。カース・ヘリアンタスは眉間から鼻までを断ち割られて絶叫した。大量の血が噴出してあたりに異様な臭気が立ち込めた。


 痛みに耐えきれず、魔獣が前足の爪を縦に振るった。

 しかし、ローグはフランセットを抱きかかえたまま右に跳躍してひらりとかわした。


 瞬間、抱えていたフランセットの握った杖が激しく輝いた。

 杖の先に嵌められた宝玉から真っ白な氷柱が現れて、カース・ヘリアンタスの顔面に細かく刺さった。水系統の魔法であるアクア・ショットだ。神官騎士であるフランセットが咄嗟に援護射撃を行った。


 ローグは素早く身を低くすると、カース・ヘリアンタスの足元を駆け抜けていた。長剣は獅子の右足と左足を切断した。バランスが崩れて、カース・ヘリアンタスの上体がよろめく。


 ローグはカース・ヘリアンタスの真横に出ると無防備な脇腹に向かって長剣を突き入れた。


 狙い違わず百五十センチ近い刀身のほとんどがカース・ヘリアンタスの脇腹に埋没する。ローグが身体をよじって刃を回転させた。長剣はカース・ヘリアンタスの心臓を撹拌して、致命傷を与えたのだ。


 ぐらり、と魔獣の身体が左によろめく。そのまま長剣を突き刺しておいては折れてしまう。ローグはカース・ヘリアンタスを蹴りつけて長剣を素早く引き抜くと、後方に大きく跳んだ。ずううん、と地響きを残してカース・ヘリアンタスの巨体が沈む。


「シスター、お怪我はござんせんか」


 一気に力を使ったのでローグの身体は疲労でずっしりと重みを感じていた。口を利くのも億劫であるが、座り込んだフランセットを見たところ、どこか負傷しているというわけではなさそうだった。


「あ、ありがとうございます。わたし、あ、痛っ!」


 フランセットは顔をしかめると、その場にしゃがみ込んだ。どうやら、いまのゴタゴタで右足を捻ったようである。ローグはフランセットの前にしゃがみ込むと、そっと手を伸ばした。


 非常時とはいえ高貴な身分のシスターの脚に触れることは禁忌である。フランセットが治癒魔法を使えるのは承知済みの行動だ。魔法は強い痛みがあると集中を欠いて上手く作用しないのをローグは経験から知っていた。 


「ご無礼いたしやす」

「んっ……」


 ローグは緊急時であると告げた上でフランセットの足首に軽く触れた。熱を持っている。折れてはいなさそうであるが、とても歩けそうにはなかった。


 立ち上がったローグは無表情のまま、横転した馬車を見た。乗合馬車の同行者であろう男たちが四人ほど骸となって転がっていた。魔獣を見て逃げ出した者も多いのだろう。命はひとつしかないので当然と言えば当然である。


「シスター、こうなってしまっては旅を続けることはできやせん。あっしがシスターを近くの街まで送りやすんで、あとは待場の人間に頼んで教会の人間に迎えにきてもらうほか手はねえと思いやす」


「ローグさま。ありがたいのですが、わたしには課せられた使命があります。わたしは、どうしてもウォルズの街にゆかねばならないのですよ」


 フランセットが精神を集中させて足首に手を当てるのをジッと見守った。彼女は聖句を口にすると治癒の魔法を行使して、たちどころに打ち身を治してしまう。


 が、それでも違和感が残るのか立ち上がった途端に、バランスを崩して背後によろけ倒れそうになる。ローグはそっと後ろに立つとフランセットの身体を支えた。


「あっしがいうのも口幅ったいことでござんすが、こういう時に無理をしても治るものも治らねえんで」


「いまは無理をしなければならないのですよ。ええ、そうなのです。たとえば、ずっと探していたものが見つかりそうであるとわかれば、無理をするのが当然ではありませんか。剣聖さま」


 ローグはギクッと反射的に身構えたが剣はそのまま抜かなかった。フランセットはくすくす笑いながら、どこか辛そうな表情を浮かべている。


「シスター。端からあっしのことを知っていなすって近づいたんで」


「違います。最初にお会いしたギルドでは、たまたま同名であるだけだと思っていました。この国でローグという名はそれほど珍しいわけでもありませんからね。けれど、いましがた、あなたが魔獣を討った手並みを目にして確信しました。あなたこそが、わたしが捜していた剣聖ローグさまに違いありません。わたしは教会の神官騎士にして王命を受けた執行者です。是非とも国宝を奪った盗賊チャズの討伐をお手伝いさせてください」


「これで合点がゆきました。あっしのことを思いやってというのであれば、ひとつお願いがありやす」

「なんでもっ!」


 フランセットは瞳を輝かせると前のめりになって言った。ローグはどこか憂鬱な気分になりながら、感情を交えず伝えた。


「これ以上つきまとわれるのは御免こうむりやす」

「なんでですか!」


 フランセットが叫んだ。それは幾分怒りのようなものが籠っていた。だが、フランセットは次の瞬間ローグを直視してハッとなった。それくらいにローグの瞳は感情がまるで読めぬ凍りついたものに変化していた。



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