02「魔獣の襲撃」
次の瞬間、すべてが途絶してローグは別である世界に立ち戻っていた。
弾かれたように上半身を持ち上げながら、右手には知らず、剣の柄をギュウギュウと強く握っていた。
「夢、か」
フーッと長く息を吐き出してローグは目覚めた。目を見開いてあたりを見回すと、そこは昨晩、仮寝の宿と勝手に決めて潜り込んだ廃屋だった。
静かである背筋が汗で水を被ったように濡れていた。
若き日、王女シャナイアと王宮の庭で戯れている夢を見ていたのだ。凄まじい冷や汗の量だった。髪も首筋も水を打ったように濡れそぼっている。
ローグは手拭いを取り出すと、額から首筋までを丹念にぬぐった。もう、ずいぶんと湯を使っていないので、垢と塵埃で手拭いは真っ黒になった。
人前に出る時は気を使うが、街から街を繋ぐ道をゆく冒険者は常時そのようなことは気になどしてはいられない。
ローグの精神的疲労は極度に高まっていた。
夜半であるが日付は変わっているだろう。どうせ、歩ているうちに朝になるのだ。
――また、今日が始まるのか。
ローグは途中の街で受けた依頼を達成して、報告の途中であったことを思い出した。
数日前、手配書の賞金首をみごとに討ち取り、地元の領主に首を渡して確認証書を受け取っている。あとは、これを冒険者ギルドに提出すれば幾ばくかの金子と引き換えにするだけだ。
中空に視線を向ける。小窓から差す月光がやけにまぶしかった。呼気が吐き出すたびに煙になる。息が白くなるということは、外気は低いのだ。
戸外に出ると、月の光を浴びながらローグは歩き出した。汗が冷えれば寒いのでとてもではないが寝てなどいられない。歩いて身体を動かしていたほうがまだマシなのだ。
ゆくあてのない旅だというのに、急ぐ癖がローグにはあった。チャズらしき男を見たという情報も信憑性は皆無だ。
――おそらく今度も無駄足になるだろう。
ウォルズに向かっているが、旅程は三日ほどだ。予定も、待っている人もいないのに足だけは早くなるのは、一カ所に留まることに意味を見出せないローグの習性だった。どの街を巡っても、ロクな知り合いも親族もいない。
唯一、思い出すのは、つい先日、顔を合わせたフランセットという女のことだった。
フランセットは頑なにローグの金子を受け取ることを拒んだ。
結果として、金子を置いて逃げ出したのはやはり後味は悪かった。
幾分気が咎めたが、やはりひとりは気楽なのだ。
月を道連れに街道を歩く。
夜間の道は盗賊やモンスターの跳梁跋扈する酷く危険な道のりになるが、ローグほどの実力があればかえってほかの旅人に出くわさないだけ快適であると言えた。盗賊ならば斬り伏せ、このあたりに出るモンスター程度ならばローグが殺気を放出すれば襲う前に逃げ出してしまうのだ。
なにも考えずに歩き続けると、やがては朝がきて、街道も旅人と馬車の往来でやかましくなった。
峠の途中でひと休みして、携帯食料を掻き込み、沢に下りて清流を革袋に詰めて再び歩き出す。
ローグが数刻ほど街道をゆくと、坂の向こう側で激しい喚き声と怒声が響いてきた。
街道では、時を選ばず人が行きかうので、トラブルも起こりやすい。ローグは一瞬、脇道に入って厄介ごとをやりすごそうとしたが、聞き覚えのある甲高い声を聞いて胸の内が激しくざわついた。
道を引き返すかどうか、瞬間、迷った。
もめごとに巻き込まれれば、死ぬ可能性が増すだけである。
旅の途中で傷を負うことも論外だ。
危険からは最大限遠ざかるのがローグの生き延びる処世術であった。
「逃げて! 早く!」
その声を聞いた途端、ローグのなかで記憶の中の少女の顔が鮮明に浮かび上がった。
気づけば、ローグは疾風のような動きで坂を登り切っていた。
そこには、フランセットを守ってモンスターと戦うひとりの若い男の姿があった。
馬車は乗合だ。
フランセットを守ろうとしているのは、同行者の誰かだろう。
魔獣。
ローグのなかで危険度が跳ね上がった。
転がった馬車さえ小さく見えるのその魔獣は、通常のモンスターとは違い、知性があり、人間の言語と魔法すら操る凶悪なものだ。
カース・ヘリアンタス。
この魔獣は、獅子の頭部と強靭な四肢。それに首周りにある巨大な花弁が特徴だ。身体は漆黒で爬虫類のような鱗にびっしりと覆われている。
体高は少なく見積もっても四メートル。ローグが知る限り、このあたりで出現したことはない。このカース・ヘリアンタスが出現すれば首都から軍隊が出動するレベルの魔獣である。
「糞ッ! シスター、こいつは俺がひきつけます!」
恐怖に駆られて男が怒鳴っている。カース・ヘリアンタスが素早く動いて陰になり、ローグの位置から両者の姿が見えなくなった。
ローグが到着するよりも、カース・ヘリアンタスは巨大な前爪を振り上げるが早いか、男に叩き込んだ。
ガッ、と凄まじい音がして重たげな音が鳴った。ローグが駆け寄ると、路上には男が仰向けになったまま倒れていた。首がない。大の字になった死体の前でフランセットが呆然としていた。無理もない。自分を守ろうとしていた男は、いましがた、カース・ヘリアンタスの一撃で吹っ飛ばされたのだ。
フランセットは男の死によってカース・ヘリアンタスが大口を開いているのに気づいていない。
ローグはカース・ヘリアンタスからフランセットを遮るように立つと、長剣を抜き放っていた。よく磨かれた刃に警戒したのか、カース・ヘリアンタスは容易に襲わず、身体を震わせて強烈な威嚇の声を上げている。
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