04「王女シャナイア」

 ――また、あの季節がやって来たのだ。


 人生になんら意味を見出さないローグであったが春になると、密かに、幼き日に王宮の庭で親しくしていたシャナイアのことを思い出していた。


 ローグが十歳になると、故郷の領地は魔王軍の攻撃によって壊滅した。

 矢も楯もたまらず、王都を飛び出し、故郷に戻り、散り散りになった家臣を率いて、領地を転戦すること十年。


 やがて、ローグは予言によって勇者パーティーの一員になると長く苦しい旅の果てに、ようやく父母と一族の仇である魔王を討つことに成功した。


 ウトウトと居眠りをしながらも、常に右手は剣の柄にかかっている。

 いつでも鞘を払って剣を抜けるようにできるローグの習慣だった。


 夢の中でローグはシャナイアに手を引かれて春の花が咲く野原をゆっくり歩いていた。


 幼いころの記憶だ。

 十歳になるまでの、おままごとのようなシャナイアとの記憶。

 ここには彼の眠りを脅かす魔物は存在しなかった。空腹になればシャナイアが用意した弁当を食べ、木陰の下で心ゆくまで安心して眠れた。


 一時期は、シャナイアと心が通じ合った気がした。

 だが、魔王討伐後の祝宴の宴の一週間後に、シャナイアは勇者アルフを婿にすると宣言して、わずかにあった絆のようなものは完全に断たれた。


 しかしローグはそれで構わなかった。

 自分が一国の王女と結ばれるなどという現実は想像しにくかった。


 アルフはわかりやすいくらいに、シャナイアに好意を示していたが、ローグはなにもしなかったのだ。その差が明暗を分けたのだろう。


 もし、シャナイアと結ばれる未来があれば、このようにかつての仲間を殺すために追って、諸国をさすらうことがない平和な日々を送れていたのだろうか。


 コトリ、という廊下の足音で目を覚ました。

 目の前に広がるのはあかりひとつない安宿の汚れきった壁と饐えた空気だけだ。

 余計に陰鬱な気分になってローグはベッドから身を起こした。

 この世界にローグを必要とする存在はいない。


 ローグはいてもいなくてもよい、どうでもいい存在なのだ。冒険者として捨て鉢に生きる過程で無理な依頼を幾つも達成して名が売れたがそれらもすべてどうでもいいことだった。竜を討ったこともあったが、名声を得たのちに起きたのは誰もがローグを利用しようと近づいただけだった。そのために、何度も命を落としかけ、ローグの人間不信は深くなるばかりだった。


 が、そうであっても日々を生きるためには全力で抗わなければならないし、現実は常に過酷な決断をローグに要求する。


 あれから十年近く各地を回ったが、チャズはどこにもおらず、もしかしたら死んでいる可能性もあるのだ。


 王宮も、いまさらローグが戻ったとしても困るだけであろう。かつて、父が領有していた辺境の領地も国王であるアルフに取り入った王族が所有していると聞く。かつては、貴族であったローグはそれを証明する後ろ盾も、気力も、理由さえ存在しえなかった。


 やたらにささくれだった気分でベッドに再び身を横たえたが、熟睡はできなかった。


 喉が渇く。

 枕元にあった水差しからぬるまった水を飲んだ。


 ――酷く、苦かった。






 夜明け前に宿を出るとぺギルの街を出て西に向かった。

 目標はウォルズの街である。


 なにがあるというわけでもない。ただ、チャズらしき男がいたというかすかな情報を得てしまえば、そこに向かわずにいられないのがローグと言う男であった。

 しばらく歩くと世界がうっすらと水色に染まりつつあった。


 空を見上げる。

 快晴だ。


 不意に、坂の向こう側に影が差した。ローグが億劫げに顔を上げると、そこには、先日、冒険者ギルドで叩きのめした三人の若者たちが目を血走らせていた。槍や剣を手に持ち、革鎧を着込んだ彼らは完全武装をしている。とてもではないが、話し合いをするという体ではない。


「やい、ローグ! 竜殺しだかなんだか知らねえが、この間は世話になったな!」

「ここで会ったが百年目よ。俺たちがてテメェを墓場に送ってやるのさ!」

「ここならギルドの横槍も入らねえ!」


「テメェが死んだら、あの糞小生意気なシスターも捜し出して八つ裂きにしてやるから、あの世で待ってろよ!」


 男たちは口々にローグを罵ると、遮二無二斬りかかってきた。


「降りかかる火の粉は払わにゃならねえ。おめえさんたち。今度は本身を使わせていただきやすぜ」

「るせえ!」


 赤毛の男が槍を構えて突っ込んできた。やたらにフランセットに絡んでいた男だ。ローグは、後方に跳んで槍の穂先をひらりとかわすと、そのまま止まれずに突っ込んでくる男の顔面に抜き払った剣を叩きつけた。


「うおう!」


 刃は赤毛の顔面を真正面から叩き割ると、ドッと紅の血を振り撒かせた。

 赤毛が前のめりに倒れ込む。


 ローグは剣を手にしたまま、突っ込んだ。剣を手にした男はほとんど条件反射に上段に構えた。が、ローグは素早く男の脇を駆け抜けた。ローグが手にした長剣は駆け違いざまに男の脇腹を革鎧ごと断ち割っていた。


 残ったひとりは、手斧を放り投げて逃げ出した。だが、ローグは男との距離を一瞬でゼロにすると、飛びかかって左腕を首に絡ませた。


「た、助け――」


 言い終わる前に右手の剣を男の喉笛に当てた。刃のひやりとした感触に恐怖が頂点に達したのだろうか、男が激しく失禁した。強いアンモニアの臭気が鼻を打つ。ローグは有無を言わさず刃をすべらせた。シャッと長剣が動き、喉笛を掻き切られた男の筋肉が痛みで痙攣した。


 ローグは男から身を離した。地面に転がった男は仰向けのまま噴き出る自分の喉元を両手で強く押さえながら目を白黒させた。瞳には激しい恐怖が生じていたが、ローグは男が絶命するまで見守ると、静かにその場を離れた。






 歩き続けて日が高くなったころ、急に腹が痛み出した。

 痛みは治まるどころか、ドンドンと強くなってゆく。

 宿で飲んだ水に当たったのだ。


 ――俺らしくもねえ。


 宿の水だ。

 ほかに考えられない。


 水はおそらくずっと放置され悪くなっていたのだろう。

 いつもであるならば、用心して決して手をつけない出どころのわからないものを口にしたのだ。


 シャナイアの夢を見たからと言って、それは言い訳にはならない。

 ならば結果は甘んじて受け入れねばならない。ローグは苦痛に呻きながら街道を歩いたが、やがて我慢できずに叢へと倒れ込んだ。


 ほとんど通りのない寂れた道である。おまけに空には妙に薄気味の悪い黒雲がかぶさりつつあった。雨が来れば身体が濡れて余計に体調は悪化するだろう。だとしても、誰にも頼れない。誰を恨むこともできずに、すべては自分の責任なのだ。先ほど、ローグに斬られた男たちも直前まで死を意識することはなかっただろう。死は、普遍でどこにでも転がっている。


「自業自得ってことか」


 腹痛だけではなく、頭の芯がジンジンと痛んだ。

 自分がこのように路傍で死のうが、誰も困るわけではない。

 ローグは疲れ切っていた。


 身体の疲労よりも心のほうが限界だった。なんの生き甲斐も持たず、死ぬ日を待ちながらただ今日まで永らえてきたのだ。


 ウォルズに向かうのもチャズを捜すのも、王命というお題目が、まだ生きているにほかならなかった。


 本来ならば果たす必要はない。しかし、足はいつしかウォルズに向かっていた。ローグにとってはそうでもしなければこの世に生きて、すべきことなど本当にひとつもなくなってしまう。


 王命があるという事実は、ローグにとって正気を保つただひとつの方法であった。

 このまま叢で誰に看取られることなく死んでゆく。


 野良犬のような自分には似合いの死にざまだと思い、薄笑いが浮かんだ。


 意識が遠のく中――。


 車輪が止まる音と、やさしげな女の声がわずかに聞こえた気がした。


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