03「古ぼけた記憶」
「もう、待ってくださいといっているではありませんか。失礼な人ですね」
ふと気づけば隣には並ぶようにさきほどの少女が立っていた。
「そういえばまだ正式にお名前を聞いてはいませんでしたね。お名前をお聞かせ願えませんでしょうか」
フランセットはにっこりと花のように微笑む。若い男ならば、誰でも警戒を解き、渋面の中年も口をすべらせそうなかわいらしさであるが、ローグの表情にはさざ波ひとつ立たなかった。一度もフランセットのほうを向かずに歩きながら、物憂げに口を開いた。
「堅気の衆に名乗る名前は持ち合わせておりやせん」
「むっ」
この木で鼻を括った物言いに、さすがのシスターもカチンと来たのだろうか、形の良い小鼻にシワを寄せた。そしてフランセットはローグの進行方向を塞ぐと両手を左右に開いて通せんぼをした。
「わたしは名乗りましたよ。無視は神の教えと礼儀に反するのでは?」
今度は恥も外聞もないのだろう。フランセットは周囲の突き刺さる視線に汗をぷつぷつ額に浮かべながら、それでも不退転の決意を見せた。
フランセットの目には名を聞かなければ絶対に気が済まないという意思が宿っていた。幼児のように頬を膨らませている。整った淑女の容貌であるが、行動は見た目よりもずっと幼かった。
――面倒な。
ローグは心の中でため息を吐いた。
ある意味、先ほど絡んできた男たちよりも面倒である。
強情を張っても時間の無駄だ。
こちらから折れた。
「ローグと申しやす」
「ローグさんですか。では改めまして。わたしはロムレス神官騎士見習いのフランセットと申します。このたびは、知識と見聞を広めるために冒険者としてギルドに登録するためこの街にやって来ました。本当に先ほどはありがとうございました」
杖を持ったままペコリと頭を下げる。
ようやく口上が終わったのを確認すると、ローグは無言で再び歩き出す。
今度はフランセットも咎めることはなく、当然といった感じで隣について歩き出した。
「ローグさま、足がお速いですね。わたし、ついてくだけで精一杯ですよ」
歩き出したローグの中にフランセットの言葉は聞こえていなかった。
いや、音としては届いているのであるが、ローグにとっては彼女の言葉も行動もなんら意味を持たないのである。
ローグは長期間の定住とは無縁の生活であった。独り立ちしてからというもの、屋根のある場所よりも野宿のほうが多いくらいだ。
まもなくローグは街の安宿に辿り着くと、宿のオヤジに銅貨を無言で渡した。
「お客さん。お連れの方がいる場合は割り増しだよ」
「え、違います。わたし、そういうつもりじゃ――」
振り返るとフランセットが背後で顔を真っ赤にして手を振っていた。
「シーツを汚した場合も割り増し」
「なっ――!」
オヤジの下卑た言葉にフランセットはさらに頬を染めて困ったようにローグを見る。
けれどローグは無視する格好で二階へと上がってゆく。
さすがに少女もこのような怪しげな宿の部屋まではついて来る勇気はなかったらしい。
しばらくすると、ドアがノックされ不機嫌そうなオヤジがメモ書きを渡して来た。
そこにはフランセットが明日、街の広場の泉の前で待つと伝言が書かれていたが、ローグはすべて読み終わることもなく、途中で破り捨てベッドと壁の隙間に捨てた。
ようやくひとりになれたことに安堵すると、ローグは外套を着たままベッドへと横になった。
長剣はすぐそばに置いて、帽子も脱がず顔の上に載せたままだ。
このような安宿の施錠などなんら期待できるものではない。
いつ、なにが起きるかわからないのはローグにとってモンスターの跋扈する野山も街中も変わりはなかった。
息を長く吸って大きく吐き出す。
昼食は黒パンを食べているので夜は食べなくてもなんら問題はない。
むしろ食い過ぎると満腹になって勘が鈍る。
餓えているのがローグにとっての日常だった
「また無駄足か」
ローグはかつて魔王討伐の勇者パーティーのひとりであった。剣聖の称号まで得たローグは王命を果たす旅に、倦み、疲れていた。
仲間のひとりに盗賊のチャズという男がいた。チャズは指先と勘働きが抜群に優れていた男だった。パーティー内では一番の年下であったが、明るく、快活でムードーメーカーだった。チャズは、その天才的な偸盗術で魔王軍の罠を数えきれないほど見抜き、パーティーに貢献していた。
そのチャズが国宝を盗んだと聞いた時は、ローグは自分の耳を疑った。
国宝――紫紺の欠片。
人間の頭ほどの大きさを持つ比類なき美しさの宝石である。
それがチャズの盗んだものであると、のちになって聞かされた。
チャズは英雄に違いなかったが、許せることではない。国家の威信にかけて紫紺の欠片を取り戻し、チャズは裁かれねばならない。
チャズの討伐をローグに命じた国王もかつての魔王討伐で名を馳せた勇者アルフその人だった。
十年前、ローグは城の治安維持を統括する職位に在り、チャズはその副官であった。
ローグは国宝を守れなかった罰という名目で剣聖の称号を剥奪された。半ば追いやられる形でどこにいるかわからないチャズ討伐の旅に出なければならなかった。
もっともローグは仲間であったチャズを本気で捕えて斬るつもりはなかった。チャズは職業が盗賊であり、身分がひとりだけ平民出身であったことにより、あからさまに冷遇されていた。
それは、ある意味、剣聖にまつりあげられたローグにもいえることであった。強すぎるローグは平和に世界においては邪魔以外のなにものでもない。鬱屈は常にローグのなかにあり、それらは、勇者であったアルフと結ばれた、第一王女であるシャナイアにも向けられていたと言えば嘘になるだろう。チャズの気持ちは理解できる。
が、表立って反目もできず、ローグは日々王宮で飼い殺しにされる自分の不甲斐なさに、諦めと怒りを感じていた。しかし、討伐の命を受ければ逆らうわけにはいかなかった。
フリであっても追う形を取らねばならず、また、そうなると王宮の帰還も絶望的だ。
どっちつかずのローグはいつしか真面目にチャズを追うこともせずに、冒険者としてあちこちをさ迷う野良犬のような存在になり果てていた。
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