02「ならず者とシスター」

「うるせえっ。なにを見てやがんだっ。テメーらは散れっ」


 群衆の声に我慢ならなくなったのか、男のひとりは入り口の脇に積んであった樽を持ち上げると放り投げた。


 ただの見物で怪我までしては割に合わないと、野次馬は蜘蛛の子を散らしたようにパッとその場を遠ざかった。


 しかし、野次馬もさるもの。

 距離を置いただけで完全に逃げ去ろうとしはしなかった。


「よう、兄さんよ。竜殺しだかなんだか知らねぇが、よっくも俺らに恥をかかせてくれたなぁ、おい?」


 男たちの悲劇は彼らが隣国からやってきた他国者であったこと。それと冒険者ギルドで名の通っていたローグを知らない点に集約されていた。


「俺たちゃこれでも隣のエトリアじゃちったあ名の知れた冒険者なんだぜ?」

「カッ。大物ぶりやがってよう。こっちは四人、そっちはひとり。いくら腕が立ったって四対一じゃどうにもならねーだろうが」


「女を前にいいカッコしようとしてんだろうが、テメーはここでボコにされる運命だ」


「け。腸が煮えくり返ってたまんねぇーぜ。こりゃシスターの姉ちゃんによっぽど追加サービスしてもらわにゃならねぇな」


「あの、逃げてください。あなたは関係ありませんから」


 シスターがローグに向かって言った。

 それにむかっ腹が立ったのか、男のひとりが顔を朱に染めて前に出た。


「黙れよっ」


 男は平手打ちを浴びせようと腕を振り上げるが、シスターは素早くよけて後方に移動する。ローグの片眉がわずかに上がった。シスターに平手をよけられたことで余計に頭に血が上ったのか、男のひとりは歯を剥いて逆上した。


「てめーら、組んでやがんな? タダじゃあすまさねーぜ!」

「俺たちは時と場合なんぞは考えねえんだ。気の短い若造だからな」


 が、ローグは無表情のまま男たちを一瞥すると、我関せずといった様子でその場を去ろうと長い脚を前に出す。


「てんめ……おれたちゃ眼中にねぇってか!」


 男は腰のナイフを取り出し斬りつけようと近寄るが、ローグは目に見えないかのごとく脇を抜けてゆく。


 カッとなった男がナイフを振り上げて斬りかかる。ほとんど同時にローグは振り返りもせずに鞘ごと長剣を背後に繰り出した。


 鞘の鐺が男の胃袋に突き立ったのだろう。

 鞘は深く下腹を抉って男は横倒しに転がった。


「む、ん……がふっ」


 よほど痛烈な一撃だったのだろうか。

 男は目の前の宙を掻くように両手をジタバタさせて、口元から胃液をドッと吐き出した。吐き出された吐瀉物が地面に広がり、ムッとした臭気を立てた。男たちは、全員ほぼ同時に抗議の声を上げた。


「な、なんてことをしやがるっ」

「ちょっと絡んだだけじゃねぇか」

「絡んできたのはそっちからじゃござんせんか」


 いい加減鬱陶しく感じたのか、ローグが低い声で喋った。ローグは物憂い視線で男たちと祈るような表情で自分を見る少女を見た。自分はたまたまギルドに達成した依頼の報奨金を受け取りに来ただけなのだ。もっともこのような理不尽な目に遭うのは日常茶飯事であり、慣れっこであった。


 冒険者とは男伊達を売る稼業である。こうなっては男たちも強力な仲裁がない限り自ら引くことはほぼないだろう。


 予想通り、男たちは人目を憚ることなく、それぞれ武器を抜いて打ちかかってきた。


 ローグは外套の前を合わせたまま長剣を腰から鞘ごと引き抜くと、間を置かず、右に左に素早く払った。


 鉄拵えの鞘はそれだけで充分な凶器だ。

 ぶおんと激しく唸りながらローグは鞘で男たちを打ち据えた。


「ぎっ」

「があっ」

「ぐおえっ」


 肘、腕、脚を打たれた男たちは、その場に転がって泣き喚いていた。


「手加減はしやした。さっさと医者に診てもらうこって」


 充分に手心を加えておいた。

 二、三日は痛むがその後の生活には支障はないだろう。


「ひっ、た、助けて……」


 ローグと目が合うと、男のひとりは下ばきを濡らしながら身をよじって命乞いをした。


 敵が打ちかかって来る。

 仕方なしに打ち据える。

 いつものことだった。


 ――また、河岸を変えることになる。


 どちらにしろ報奨金を手にしたのちぺギルの街から離れる予定だったのだ。

 冒険者など野良犬と変わりはない。特に身分証のないローグなど、地元の人間から危険人物扱いされるのが常だ。


 ローグは素早く身を翻すと、なにごともなかったように歩き出した。


「あ、あの、待ってください」


 不意に背後から声が上がった。

 振り返らず、足を止めずに歩いていると、今度は外套をしっかり掴まれた。

 面倒なことだ。


 振り返るとそこには花の妖精のように美しい少女が頬を染めて立っていた。


「あの、先ほどはお助けいただきありがとうございました。わたし、ロムレス教の神官騎士見習いでフランセットと申します。是非、是非お礼を――」


「先を急いでおりやす。あっしのことは放っておいておくんなさい」


 礼の言葉を遮るようにピシャリとかぶせた。

 シスターの年齢はおおざっぱに十代の後半かそこら。


 礼装から漂うほのかな香の匂いは野卑な冒険者とはまるで別次元のものであった。


「む。命の恩人を放っておくなどと、そんなことできっこありませんっ。助けていただいてなんら礼を行わないなどロムレス教の教えに反します。それでは、わたし、この先、各地の人々に教えを説いて歩くことなどできないではありませんか」


 フランセットは身振り手振りで高い声を上げて、ローグのゆくてに立ちはだかった。かなり興奮しているのか、右脚をわずかに上げ、左脚でぴょんぴょん小刻みに跳ねている。その動作がローグの気を引いたのか、わずかに表情が変わった。


 が、しばらしくして自分の行動に気づいたのか、フランセットは頬を朱に染めて、うつむいた。


「す、すみません。わたしったら、なんてはしたない……」


 無茶苦茶な論理だ。

 そもそもがローグはそのような教えにも彼女の意見にも賛同する気はなかった。

 耳を傾ける気配も見せず、外套を翻しながら立ち去った。


「あ、待ってくださいっ!」


 フランセットは幼いころからそのすぐれた容姿でほとんどの男を意のままに操ったのであろうが、ローグにとってはなんら気を引くものではなかった。


 住む世界が違い過ぎるのだ。

 世間の苦労を舐めつくしたローグからすれば、このような女が自分に気をかける様子を見せるのは、なんらかの理由で利用してやろうとする時だけであるとわかりきっている。


 懐にはモンスター討伐によって得た報奨金がわずかにあった。

 これだけあれば、当分は食うに困らない。

 わざわざ危険な橋を渡る必要はないのだ。

 ローグの思考はすでに少女にはなく、明日以降の暮らしにあった。



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