第25話

「覚馬君。アマリリさん。よく来ましたね」

 何の連絡もなしに訪問したにも関わらず、チョウは快く迎え入れてくれた。直ちに応接間の暖炉に火が入る。

 空気が温まるのも待たず、カクマは早々に切り出した。

「いきなりで申し訳ないんだけど、張さんに頼みがあるんだ」

「ほう。なんですか?」

「さっき家に帰ったら、こんな荷物が届いててさ」

 小包の中から銃弾を取り上げ、チョウは暖炉の炎にかざした。

「これは懐かしい。徹甲焼夷弾ですか。同封の手紙を見ると、ヴィンセント君から贈られたもののようですね。彼にしては実に味な脅しだ」

 チョウは口許を引きつらせる。

「彼が天幕闘技場を掌握したことは聞いています。北方マフィアからの独立を機としていることもね。ヴィンセント君は独立抗争に備えて戦力増強に躍起になっているそうですね。察するに、覚馬君にも声がかかったわけですか」

「張さんはなんでもお見通しだな」

「そして、あなたはその申し出を突っぱねたと」

「そうなんだ」

「なるほど、随分熱烈なラブコールですね。ヴィンセント君はどうしても君を仲間に入れたいらしい」

 チョウが卓上の菓子をつまむ。

「で、何ですか? 覚馬君の頼みというのは」

「ヴィンセントが脅しをかけてきた以上、今の家には戻れない。張さんの屋敷で、しばらく匿ってもらえないかな。この子だけでも構わないから」

「もちろん、あなたはそう言うでしょうね。わたしとしてもやぶさかではありません。お二人ともに匿って差し上げましょう」

「本当ですか」

「わたしは友人に嘘は吐きません。すぐに部屋を用意させましょう。できる限りの警備を提供することをお約束します」

「ありがとう、張さん」

「ありがとうございます」

 アマリリはカクマに倣って頭を下げる。

「とは言え、相手がヴィンセント君です。彼がその気になれば、ここの警備などはないも同然でしょう。あまり当てにしすぎてはいけませんよ」

「大丈夫だよ。それでいいんだ」

 落ち着いた様子でカクマはチョウに微笑んだ。

「脅しが伝わってることが向こうにわかればいい。ヴィンセントが出張ってくるなら、僕が相手をするしかないんだから」

「……あの人もカクマさんと同じなんですか」

 アマリリは低い声で訊ねる。カクマはあっさりとうなずいた。

「見た限りではそうだった。張さん、何か聞いてる?」

「覚馬君の言う通りです」

 苦々しく肯定し、チョウはまた一つ菓子を頬張った。

「私の知る限り、ヴィンセント君は現在も摂食制限を続けています。異界兵としての性能は、ほとんど損なわれていないと考えていいでしょう」

「全く、気の小さいヤツだ」

 他人事のようにカクマが言った。

「抗争なんぞは一人で十分だろうに。よっぽど心配らしいな、あいつは」


「それで、出張授業のご用命か〜……」

 幾何学の答案を採点しながらミツフジがぼやいた。

「私もそこまで暇じゃないんだけどな。最初に言ったじゃないか、授業の予定が詰まってるって。それに、ヴィンセントとコトを構えてるなんて聞いてないよ」

「すいません、ミツフジ先生」

「すいませんって言われてもね。最初から君にどうこうできるとは思ってないけどさ」

「いえ。張さんにお話しして、授業は中止ということにします」

「ちょっと待て待て、待ってくれ」

 立ち上がりかけたアマリリを、ミツフジが引き止める。

「それじゃあ私が張さんに不満があるみたいになるじゃないか! 気にしなくていいんだよ、試験直前の対策は重要だからね。私と一緒に、最後まで対策を進めていこう!」

「そう言っていただけると助かります」

 ミツフジは唇を噛んだ。

「君、嫌な生徒になったねえ……」

「ミツフジ先生のご指導がよかったんでしょう」

 アマリリは澄まして答えると、採点結果を覗き込んだ。

「それで、どんな塩梅でしょうか」

「うーん、うん。幾何学ね。まだ採点中だけどね」

 ミツフジは最後までざっと目を通した。

「まあ、そう悪くはないんじゃないの? とにかく基礎を落とさなくなったし」

「まだ不正解が目立つようですが」

「幾何学だけみればね。実技と論述でしくじらなければ、ちゃんと及第点に届くと思うよ。もちろん油断は禁物だけど……まあ、この時期になったらじたばたしても仕方ないから。とにかく本番では、できる問題を落とさないようにすることだね」

「……頑張ります」

「うん。まあ、どう頑張るかが大切なんだけどね」

 しばらくチクチクとした指導を続けた後、ミツフジは不意に授業を中断し、部屋の扉を一瞥した。

「そういえば、覚馬はどうしたの? 屋敷には来てないのかい?」

「いえ。その辺にいると思いますけど。何かご用ですか」

「用なんかないけど……でも、ヴィンセントとやり合うんでしょ? 心配にはなるよね。少しだけだけど」

「やり合うかどうかはわかりませんよ」

 ぎゅっと縮んだ喉の中から絞るようにして、アマリリは伝えた。

「どうするかは屋敷で考える。カクマさんはそう言ってました」

「アマリリくん、本当にそれを信じてるの? わかってないな〜、あいつの中ではとっくに答えが出てるに決まってるよ。本人がなんと言ったか知らないけど、覚馬がヴィンセントの言うことなんか聞くわけないんだからさ」

「そうなんですか?」

「うん、私はそう思うよ。あいつは説得しがいのあるヤツだけど、一度『違う』と思ったら梃子でも動かない。どうにかしようと思ったら、上官の命令を持ってこないと……ヴィンセントもなんで脅迫なんかしたのかなあ?」

 心底不思議がっているらしい。ミツフジは首を傾げて目を閉じた。

「覚馬が頑なになるだけなのに。よっぽど自信があるのかもしれないけど……」

「先生はカクマさんが負けると思うんですか」

 アマリリは低い声を出す。ミツフジはまた首をひねった。

「うーん。正面から殴り合うなら覚馬の方に分がありそうだけどね。ヴィンセントは火炎放射器を持ってたし、散々撃たれてるはずだから。あいつが飯を抜いてたとしても、覚馬よりかはこっちの世界に馴染んでると思うよ。でも……」

「でも?」

「二人がやり合うなら、正面からヨーイドンなんてことにはならないだろうし。私にはなんとも言えないなあ。アマリリくんは覚馬に勝って欲しいの?」

「そもそも勝負をしてほしくありません」

「あ〜、そうなるか。まあ、それが一般的な反応だよねえ」

 他人事のようにミツフジは言う。流石にアマリリも眉をひそめた。

「ミツフジ先生はなんとも思わないんですか? 覚馬さんもヴィンセントさんも、お友達なんですよね。どちらか死ぬかもしれないんですよ」

「言われてみればそうなんだけどね。私には今ひとつ、リアルに想像できないんだよ。考えてみればどちらが死んでも、今の私にはあまり関係ないんだ。一度は悲しくなるだろうけれど、すぐに乗り越えてしまうだろうと思う。冷たいようだけどね」

「……そうですね。冷たすぎますよ」

「ハハ、手厳しいな。私が熱くなれるのは、もうギャンブルだけなんだよ。……そうだ!」

 ミツフジは離人症じみた笑顔を浮かべた。

「こういうのはどうかな? 覚馬とヴィンセント、どちらが勝つかを賭けるのは。それなら、私ももっと真剣になれる気がするよ」


    ◆


 それから試験までの数日間、アマリリはほとんどカクマの姿を見かけなかった。光藤との授業にも食卓にも顔を出さなかったし、チョウに与えられた個室に戻っている節もない。

 ただ、夜中になると時々廊下から足音が聞こえた。鋲の打たれたカクマのブーツ。少なくとも屋敷には戻ってきているらしい。

「もう決めたんですか。ヴィンセントさんとのことは」

 一度だけ、夜更けの廊下でカクマを捕まえられたことがある。底冷えする雨の夜で、外に出ていたらしいカクマの外套には雫がいくつも付いていた。

「僕のことは気にしなくていい」

 その時も、カクマは肩をすくめただけだった。

「ヴィンセントとは話をつけてきた。君は試験対策に集中してくれ」

「話をつけた。本当ですか?」

 アマリリは詰め寄った。

「ヴィンセントさんと戦うつもりなんじゃないですか」

「誰がそんなことを言った」

「ミツフジ先生の見立てです。カクマさんがヴィンセントさんの言うことを聞くはずがない、と……」

「あいつ」

 家庭教師の名前を出した途端に、カクマは舌打ちした。

「適当なこと言いやがって。……なあ、ちょっと考えてみてくれ。僕とヴィンセントは戦友なんだ。五年も戦場で過ごして、ようやく帰ってきたんだよ。それが今更、どうして敵味方に分かれて戦う必要がある?」

「それは。そう言われれば、そうなんですが」

「ましてやあいつは異界兵だよ。まともにやったら泥沼じゃないか。この際、手を貸してやることに決めたよ」

「……なら、マフィアの人たちと戦うんですか」

 アマリリは低い声で訊ねる。

「ヴィンセントはね」

 カクマは軍帽をはたいて雨粒を落とした。

「僕はちょっと手伝うだけさ。前線には立たない。それで手を打ったよ」

「本当に? なら、どうして家に戻らないんですか」

「試験まであと三日しかない。今更戻ってバタバタするより、ここで調整を進めた方がいいかと思ったんだが……アパートの方が集中できそうかい?」

「いえ、それは」

 アマリリは言い淀んだ。チョウの屋敷には、確かに文句はなかった。カクマが帽子を深々と被り直す。その表情はほとんど読み取れなくなった。

「試験まであと二、三日しかない。今更戻ってバタバタするより、ここで調整を進めるのがいいさ。張さんも良くしてくれるだろう?」

「はい。でも……」

 尚も反駁しかけたアマリリの肩を、カクマはぽんと叩いた。

「こっちのことは心配ない。大丈夫だ。土壇場にいるのは君の方なんだぜ。忘れるなよ、ここで落ちたら次は一年待つことになるんだ」

 それ以上の会話はできなかった。アマリリが言葉に詰まった隙をつくようにして、カクマは自室へ引き上げて行く。

 三日前の出来事だった。


 もちろん、それでアマリリが納得したわけではなかった。

 カクマが楽観的な言葉を吐くのは、決まってそうではない時だ。物事が上手くいっている時の彼は、最後まで疑い深そうに状況を注視している。

 ヴィンセントとの折衝は難航しているのだろう。あるいは、そもそも殺生する気などないのか。いずれにせよ、カクマは問題を抱えているに違いない。

「……」

 だが、アマリリに何ができるのか?

 既に試験は明日だ。ヴィンセントが伝えてきたXデーは同日。どちらを優先すべきかは言うまでもない。どう考えてもアマリリが優先すべきは前者だった。

 しかし--。

 アマリリはまんじりともせずに天井を見上げた。頭の中が散らかっているような感じだった。寝付ける気配はない。と言って何か思考がまとまりそうにもなかった。

 何度か寝返りを打って、アマリリは睡眠を諦めた。ベッドを起き出し、床に寝かせたケースを開く。父からもらった猟銃が顔を出した。暗闇の中で工具を摘むと、アマリリは無言で猟銃を分解し始めた。

 寝付けぬ夜のルーティン。銃の分解清掃は、その内の一つだった。

 バラした部品を床へ並べ、順番に汚れを拭う。銃身に付いた火薬のかすを落とし、銃床をぼろ布で磨く。最後に手探りでパーツを拾い、再び猟銃を組み立てる。村にいた頃から、何度となく繰り返した手順だった。

 明日の選抜試験へ向け、メンテナンスはすませてある。銃のことだけを考えれば、改めて整備する意味はほとんどなかった。

「よし」

 だが、ともかくアマリリは安心した。猟銃をケースに納め、幾分落ち着いた気持ちでベッドへ戻る。……と、シーツに点々とした手形が付いた。

「……」

 見下ろした手のひらは機械油に汚れている。村の自室で眠るのであれば、気にも留めないような汚れだった。だがここは首都で、アマリリはチョウの屋敷に居候する身である。

 アマリリは尚もほんの少しだけ迷い……結局、ベッドを降りて洗面所へ立った。

 手を洗わなければならない。

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