第23話

 鋸歯のついた銃剣。同じものを戦場で見たことがある。隣の塹壕にいた少年が、自慢げに見せびらかしていたものだ。

 彼が敵に捉えられた時のことを、覚馬は今でも思い出す。

 同じものを見たことは、もう一度だけあった。敵軍の若い兵士が手にしていたものだ。彼を捕えたのは、他でもない覚馬だった。

 それを見つけた時に感じた激情を、覚馬はもうほとんど思い出せない。

 的に支給された銃剣は、覚馬たち持つものとほとんど変わらない、まっすぐなナイフだった。その場にいた異界兵たち全員がその事実を知っていた。

「……」

 だから銃剣の鋸歯は、兵士自身が削ったものに違いない。覚馬たちをより痛めつけて殺すために、そうした加工を行ったのだ。

 塹壕の異界兵たちは皆、その事実に我を忘れた。彼らは敵軍に倣い、自軍の少年に対して行われたことを、その青年に施した。


「うッ」

 車を乗り越えてきた男を、覚馬は下から突き上げた。

「アアーッ!」

 絶叫が響く。頭から返り血を浴びながら、覚馬は敵を押し返した。

 苦しむ男から銃剣を引き抜き、手近の相手を銃床で殴る。再び銃剣を突き出して、拳銃を抜いた敵の脾腹をえぐった。

 間近に漂う血の匂いに身がすくむようだった。異界兵の持つ防御は、水に浮かんだ紙のようなものだ。一分一秒ごとに脆くなり、いつまで信用が置けるかは全くわからない。

 結果的に言えば、戦場での覚馬は全くの無敵だった。だが、今は? あるいは次の戦いではどうだろう。次の次は。次の次の次は?

「ふぐっ」「待っ……」「降参するっ」

 同時期に召喚された異界兵が私刑に処されるのを、覚馬は何度となく目にした。

 異界兵はそれだけで鋸歯の銃剣と同じ、アンフェアな存在だ。ヤツらは命を張らず、一方的に俺たちを殺しにくる……。

 敵兵に向けられた憎悪から自分の命を守るために、覚馬は防御の術を身につけなければならなかった。

 異界兵として彼に与えられた狙撃の才能。それだけでは全く不足だ。突撃時のルート選択、束ねた手榴弾で塹壕を壊す方法、飛来する砲弾の聞き分け……。塹壕戦で生き残るためには、かなりの知識と経験が必要になる。

 敵に容赦しないことも、その中で身につけたスキルだった。

「ギャッ」「いやだっ」「助けてくれ、あっ」

 銃剣を取り付けるだけで、小銃は二メートル長の槍へと変ずる。弾が出なくてもそれは同じだ。突く、斬る、叩く。

 覚馬はヴィンセントと背中を合わせ、目の前の敵から身を守り続けた。生き残るためにはどんな手でも使う。どんな手でも¬¬--。

 バギン。ヴィンセントの銃剣がへし折れる。覚馬は倒れた敵に銃床を振り下ろした。

「カクマ……」

 敵はまだ拳銃を手にしている。覚馬は敵の顔面を何度も殴った。

「カクマ。カクマ・カタヒラ!」

 ヴィンセントが彼を制止した。

「もういい。敵は退く気だ。俺たちも退こうぜ」

「なんでだよ。敵が交代するなら、こっちは追撃がセオリーだろ? 中隊長殿は戦果の拡大をお望みだろうが」

「カクマ。中隊長はもう死んだ。ここは首都の路上だ」

 覚馬は肩で息をしながらヴィンセントを見上げた。徐々に現実感覚が戻ってくる。

「……わかってる。わかってるさ。ちょっと言ってみただけだ」

 わずかな生存者が、オムニバスに乗って逃げていく。覚馬は小銃から銃剣を外し、顔の判別できなくなった死体を見下ろした。

「ヴィンセント。こいつら、本当に御者の組合か?」

「そう思うぜ」

「本当に? 僕には信じられないな。こいつら、とんでもなく手強かったぞ。相当抗争慣れしてないとああはならない」

 覚馬はヴィンセントを振り向いた。大男は何食わぬ顔で蒸気自動車を確かめている。

「ひでえな、こりゃ……」

「おい。とぼけるなよ、ヴィンセント。気づかないとでも思ってるのか? 死体の中にも北方系の連中が混じってるじゃないか。こいつら、北方マフィアの一派だろう!」

「そうだな。そうかもしれねえ」

「お前、一体何をやらかしたんだ」

「大したことじゃねえよ。前のボスと、ちょっとした行き違いがあってな。遺恨が残っちまってる。早晩片付ける予定だ、心配いらねえ」

 ヴィンセントは舌打ちした。

「それより、今は車の方が問題だぜ。燃料がねえとどこにも行けねえよ」

「本当にガス欠だけなのか。弾が当たったとかじゃなく?」

 覚馬は蒸気自動車を覗き込む。ガス燈にぶつかったせいで前部が少しひしゃげていたが、それ以外に大きな損傷は見受けられない。

「石炭ならすぐに調達できるんだけどな」

「要るのは灯油だ」

「そうか……」

 覚馬とヴィンセントはどちらからともなく、置いてけぼりの馬車を見た。敵を満載してきたオムニバスは、馬が繋がれたまま残されている。

 ほどなくして、馬に引かれた蒸気自動車がその場を出発した。


    ◆


 天幕の賭場。そのバックヤードには、選手が使うためのシャワー室が用意されている。返り血塗れの覚馬には固形石鹸と真新しいシャツが支給され、真っ当な人間に戻るための十分な時間が与えられた。

 冷水で血を洗い流し、シャツに腕を通す。立てかけた小銃を肩にかけると、命すら洗濯された気分になる。覚馬はバックヤードを出ると、賭場でヴィンセントと落ち合った。

「おう、カクマ。長風呂だったな」

 ヴィンセントがいたのは、特等席の片隅である。

「ま、座れよ。車を出してやりてえんだが、結局壊れちまっててな。今、馬車を手配させてるところだ。悪いが、もうちょっと待っててくれ。何か飲むか?」

「牛乳をくれ。冷えたヤツ」

 覚馬はどかりと腰を下ろす。眼下のリングでは今日も拳闘の試合が行われていた。

「注目の試合だな。バックリー対セイヤーズ。チャンプキラーと新チャンプのマッチアップだ。……ま、結果は見えてるんだがよ」

 試合開始のゴングは鳴ったばかりだ。バックリーは既にコーナーへ追い込まれて、一方的な打撃を受けている。

「思うにバックリーは防御の名手ではあるんだが、どうも攻撃がお粗末なんだよな。守ったところで反撃が入らねえ。だからずるずる負けていく」

「二ヶ月間、ずっとあの調子かい?」

「ああ。ベンティゴに勝ったのはまぐれじゃねえが、何度も同じ勝ち方はできねえ。並以上のボクサーは、みんな守ることを知ってるからな。あいつのパンチじゃ通らねえよ」

「彼ももういい歳だろう。引退する気はないのかな」

「ないらしいぜ。チャンプを負かして引退するかと思ってたんだが……他に生き方も思いつかねえんだろうな。栄光が終わった後も人生は続く。人間、金を稼いで飯を食わなきゃ仕方ねえ。リングに立ち続ける限りは、ファイトマネーが出るからな」

 ヴィンセントは手のひらを上向けた。

「それは異界兵も同じだぜ。生きてる限りは金が要る」

「……この先の話。さっきの続きか?」

「そうだ。お嬢ちゃんが学園に入れば、お前もヒマになるだろう? 俺と組んでひと暴れしようぜ。二人ならこんな賭場だけじゃない。もっとデカいことができる」

「本当に先の話だな」

 受け取った牛乳をぐっと煽って、覚馬はかぶりを振った。

「僕はまだ当分忙しい。お前の仕事には付き合えないよ」

「当分ってことはねえだろう。来月中にはカタがつく。お嬢ちゃんは寮に入って、お前の仕事はおしまいだ。もちろんトントン拍子に行けばだがよ、その可能性は低くねえんだろう?」

「百パーセントじゃない」

「だが、光藤とお前の弟子だぜ。お前も先々考えだしていい頃だ。学費も稼ぎきっちまって、他にやることもねえんだろう?」

「一旦はそうだ」

「一旦な」

 ヴィンセントは口元を歪める。鋭い犬歯が覗いた。

「カクマ、お前は全く正しいヤツだ。未来は何が起こるかわからねえ。お嬢ちゃんが試験に落ちるかもしれねえし、帝国貨幣が暴落して稼いだ金が紙屑になるかもしれねえよな。その時は、確かにお前の力が必要だ。だが、何もかも上手く行った時のことは考えたことがあるか? お嬢ちゃんは学園に一発合格。存分に勉強して、何事もなく司書になる。衣食住も心配いらねえ、イーストエンドに転落する気配もねえ……ある種のアガリだ。その時、お前はどうするつもりだ?」

「それは……」

「一生そうやって気を揉んでるのか。そいつはある意味、お嬢ちゃんの不幸を願ってるのと同じじゃねえのかな」

 ヴィンセントは指を組んだ。

「お嬢ちゃんが不安定なほど、お前にはやるべきことがある。遂行すべき任務があるんだ。だが、それを望むのは健全じゃねえ。お前にとってもお嬢ちゃんにとってもな。もちろん、本当に落ちた時には面倒を見てやりゃいい。だが、無事に学園へ合格したら……ニコラスの遺言は十分果たしたと言っていいんじゃねえのか」

「まあ……そうだと思うよ」

「役割が終わって苦しいなら、次の役割を探せばいい。お前の満足行くヤツをな」

「なるほどね」

 覚馬は頭の後ろで腕を組んだ。

「でも、そんなに感動的な話じゃなかったな。結局は、僕にも北方マフィアと喧嘩しろって言うんだろう」

「……抗争はそう長く続かねえよ。向こうの戦力に異界兵はいねえ。デカい打撃を与えた時点で手打ちにして、こっちの独立を飲ませりゃいい。その後は適当に仲良くするさ」

「そんなに都合よく行くかな」

「行くさ。近々デカい衝突がある。お前が手を貸してくれりゃ、間違いねえよ」

 覚馬は空のグラスを置いた。

「人殺しだろう。僕はやらない」

「なんでだよ。さっきは楽しそうにしてたじゃねえか。お前、この世界向いてるぜ。ガキの面倒を見てるよりよっぽどだ」

「だからだよ! 人を殺してる時の自分は嫌いなんだ。僕はもっと真っ当にやりたい」

「できると思うか?」

「わからない。たった今も失敗してきたところだし」

 覚馬は顎に手を当てた。

「でも、未来のことはわからないだろう。次は成功するかもしれない」

「……そうか。残念だ」

 自身のグラスを煽り、ヴィンセントは席を立つ。

「もう馬車も着いた頃だろう。行こうぜ。出口まで送って行ってやる」

「悪いな、手を貸せなくて」

「いいってことよ。北の連中なんざ、俺一人で十分だ」

 ヴィンセントの配下が周囲に潜んでいるらしい。いくつかの敵意を受け流しながら、覚馬は歩みを進めた。

「そういや、大きな衝突があるって言ってたよな。実際、いつ頃になりそうなんだ」

「来週の頭までにここを明け渡せって話だからよ。無視してりゃ、その内攻めてくるだろうな。なんだ、やっぱり手を貸す気になったのか?」

「いや。みんなに注意しておこうと思って。流れ弾にでも当たったら大変だからね」

「そいつはいい考えだ。お前も気をつけとくといい」

 周囲の敵意が殺意に変わり始めている。

「……ヴィンセント。本気で戦争する気なのか」

「やむを得ねえよ。向こうが攻めてくるんだからな」

「ついさっき、ここは首都だと僕に言ったな。お前こそ忘れてるんじゃないのか? ここは東部戦線じゃないんだぜ」

「百も承知さ。俺はお前とは違うんだ」

「どう違う」

「違うさ。俺は人殺しが嫌いじゃねえんだよ」

 どろりと空気が濁ったようだった。覚馬は斜めにヴィンセントを見上げる。次の瞬間、彼らは同時に一瞬後の未来を幻視した。覚馬はヴィンセントが拳銃を抜く姿を、ヴィンセントは覚馬が銃剣を抜く姿を。

 ¬¬それが現実にならなかったのは、一発の射撃音のせいだ。

 --ズドン!

 彼らの小銃と同じだが、どことなく金属質な射撃音。聞き慣れていた覚馬にはすぐにわかった。アマリリの猟銃だ。この会場でアマリリが発砲したのである。

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