第21話

「……やっと入って来たと思ったら、課題をちょっと見て授業終了なんですよ。ちょっと酷くありませんか? シャーロットの家も、少なくないお金を払ってるはずなのに」

「君を信頼して任せてたんじゃないか。課題は捗ったんだろう?」

「結果的にはそうですけど」

「ほら、次の標的が来るぞ。銃を構えろ」

 カクマが前方を示す。直後飛び出して来たクレーに狙いを定め、アマリリは引き金を引いた。陶器の標的が空中でへろりと軌道を変え、あらぬ方向に落下する。

「どうでしたか、今のは?」

「きちんと割れなかっただろう。得点にはしない」

「ちぇ。総合スコアはどれくらいです?」

「二十五分の十三。半分近く撃ち漏らしてる。まだ照準が甘いな」

「そんなの当たり前ですよ」

 アマリリは口を尖らせた。

「散弾で狙う標的じゃないですか。今使ってるのは普通の小銃弾なんですよ。こんなの当たる気がしませんってば」

「それでいいんだ。簡単にできたら気が抜けてしまう」

「そんな余裕はありません」

「君にその気がなくても抜ける時は抜ける。足元をすくわれるのはそういう時なんだよ。僕も昔、数学でやらかして……いや、それはいいんだ。とにかく、もう一セット。これだけやったら、今日は終わろう」

「わかりました」

 ボルトを開いてカクマの小銃弾を装填する。アマリリは再び猟銃を構えた。

「お願いします!」

 シュッ。風を切って、再びクレーが発射される。アマリリが引き金を引くと、陶器の標的は空中で粉砕された。

「実は、気になることがあって」

 アマリリは次弾を装填し、次のクレーを撃ち抜く。

「ミツフジさんが面倒を見てる生徒って、大体わかりやすい問題を抱えてるんですよね。本人にやる気がないとか、苦手科目に足を引っ張られてるとか」

「そうだろうな」

 射撃訓練を始めたばかりの頃、雑談を振るのはカクマの担当だった。曰く「気が散っている状況でも正確な射撃ができなければならない」。最初は鬱陶しかったが、近頃はかなり慣れてきた。

 小銃弾でクレーを捉え損ねているのは、純粋にアマリリの実力不足である。

「光藤の売りは『奇跡の逆転合格』なんだ。ある程度勉強しても伸びなかったり、トラブルを起こして家庭教師に見捨てられたりした生徒の最後の駆け込み寺だよ。だから、受け持ってる生徒のレベルはそんなに高くない」

「その中に一人だけ、すごく賢い女の子がいるんです。さっきも話したシャーロットがそうなんですけど」

「してたな、そんな話。シャーロット……姓の方はなんだって?」

 銃弾でクレーを弾き飛ばし、アマリリは答えた。

「リヴです。シャーロット・リヴ」

「リヴ……屋敷があるのはウエストエンドか?」

 アマリリはカクマを振り向いた。

「どうしてわかったんですか?」

「やっぱりそうか。その子はギルバート・リヴの一人娘だよ。ヴェロシティ・エクスプレスのご令嬢だ」

「ヴェロシティ? 鉄道会社のですか?」

「うん。親の方は有名な鉄道成金でね。スラムの隅で拾った小銭を元手に身を起こしたって話だ。そのせいか良くない噂も多い男なんだ。だから、娘には高等教育を受けさせたがってるんだろう」

 そこで、カクマは前方を指差した。発射されたクレーへ向けて、アマリリは反射的に引き金を引く。弾はギリギリで標的をかすめ、クレーはふらふらと落下した。

「今のは惜しかったね」

「はい。ところで話を戻しますけど。リヴ家はお金持ちなんですよね。どうしてミツフジさんなんか使ってるんですか?」

「一応言っておくが、あいつはあれですごいヤツなんだぞ」

「それはわかりますけど」

「……家庭教師の中には家格で生徒を選ぶ連中も少なくない。名門貴族のお抱えになれれば、それだけ名前が売れるわけだからな。そういうところの子供は、基本的に手間がかからないし。成金のリヴに手配できたのが光藤だけだったんだろう」

「なんですかそれ。しょうもない」

「とはいえ、全く非合理な話というわけでもない。コミュニティを荒らす成金を嫌う貴族は多いんだ。家庭教師の多くは、貴族を相手に商売するわけだから」

「……いえ」

 アマリリはカクマを振り向いた。

「やっぱり馬鹿馬鹿しい話ですよ。シャーロットの実力は本物ですし」

「僕もそう思うがね。ま、合格するまでの辛抱だな。君が光藤の試験を受けた時と同じだよ、結果でわからせてやるしかない」

「結果で、ですか」

「そうだ。学園はそれができる場所だよ」

 前方を示して、カクマはからりと笑った。

「だから、もうちょっとだけ頑張りな。次のクレーが出るぞ」


    ◆


 それからも憂鬱で忙しない日々が続いた。

 学園の選抜試験は日を追うごとに近づいてくる。論述、幾何学、射撃の実技。ミツフジによれば、アマリリの実力は及第点に到達しつつあるとのことだったが、それで安心できるものではなかった。

 選抜試験は年に一度だけだ。その一度に失敗すれば、次の一年間も首都で同じ生活ができるのかはわからなかった。眠れない夜と際限なく膨らむ悪い想像。アマリリはそこから逃避するように机に向かい、射撃場に通った。

「以前、マーガトロイド卿のお屋敷にお呼ばれしたのだけれど……」

 そんな中、シャーロットと過ごす時間は数少ない息抜きだった。

 講義が終わってから、迎えの馬車が来るまでのわずかな時間。射撃場に向かうアマリリは、ミツフジよりも少しだけ長く屋敷に留まり、シャーロットと共に短い会話の花を咲かせる。今日は天候のせいか、少しだけ馬車の到着が遅れていた。

「そこでお茶をいただく機会がございましたの。大層美味しいお茶だったのだけれど、閣下は懐古趣味に凝っておいででね? 大層個性的なお菓子を頂戴することになったの」

「へえー。昔風のお菓子ですか」

「ええ。驚かないでね、砂糖で出来たお城の模型でしたのよ」

「お城?」

「そう。小さな雪のお城のようでね、拝見する分には大変よろしかったのよ。でも、いただく時には砕いたお砂糖の塊になってしまってね。みなさま、感想を伝えかねていらしたのを覚えているわ」

「確かにそれは……手が込んではいるんでしょうけど」

「ねえ?」

 シャーロットは表情をほころばせる。

「お母様が元気でいらした頃は、しばしばサマープディングを作ってくださったの。砂糖のお城に比べたら、ずっと簡単なお菓子ですけれど、とても爽やかな味わいで。わたくし、夏になるとそれが楽しみでしたの」

「素敵ですね」

「あなたのとっておきも聞かせてくださらない、アマリリ? ストンヘイヴンと首都とでは、召し上がっているものもずいぶん違うでしょう?」

「そうですね。村を出てから色々いただきましたけど……でも、私の一番はあけびかな。秋になると、村の外れであけびが実をつけるんです。それを--」

 不意に、アマリリはその時のことを思い出した。大人たちの注意を全て無視して、あけびの木によじ登った秋の午後。アマリリの隣にはソフィアが一緒だった。

 シャーロットが怪訝な様子で首を傾げる。

「アマリリ?」

「……あ、なんでもありません。あけびの実は、少し高いところになるんです。大きい子なら背伸びするだけで採れるような高さなんですけど、小さい頃は手が届かなくて。数も少ないから、わけてもらえないし」

「大きい子たちの特権でしたのね」

「そう思うでしょう? ところが抜け道が一つあるんです」

 話し始めると、村での記憶が溢れるように思い出されてきた。アマリリはほとんど自動的に口を動かし続ける。

「大きい子が届かない高さにもあけびはなるんです。あけびの木は細くて、大きい子には登れません。体重の軽い小さい子だけが、高いところの実を採りに行けるわけです」

「まあ!」

「あけびの木に登るのは大人に禁じられていました。先の方の枝は細すぎて、小さい子の体重でも折れかねませんでしたから」

「それで、アマリリは我慢していたの?」

「ふふ、そう見えますか? もちろん、大人に黙って登っていました。これでも当時は村一番の木登りでしたから。それに、あけびは太陽に近いものほど美味しいんです。たくさん火の光を浴びていて。途中からは、前に話したソフィアも一緒に登っていたんですが」

「ですが?」

「ソフィアが大人に見つかって、全部バレました。二人ともとんでもない怒られ方をして、あけびの蔓も切られてしまって。きっとソフィアの親が命令したんです。あの子は村長の娘でしたから」

「まあ……」

「でもその後、ソフィアと二人で同じ場所にあけびの種を植えました。次の年には、ちゃんと芽も出たんですよ。実をつけるには、まだ時間がかかりそうでしたが」

 思えば、あけびの木からはずいぶん離れたところに来てしまった。アマリリが郷愁に沈みかけた時、部屋の扉をノックして、使用人の少女が顔を出した。

「アマリリ様、お嬢様。お迎えの馬車が到着いたしました」

「あら、ありがとう」

 シャーロットと話した後はいつも、少しだけ心が軽くなる。アマリリはミツフジと違う馬車に乗り、射撃場へ向かうのが常だった。

 だが、今日はいつもとは違うらしい。使用人はシャーロットの外套を持ってきている。

「シャーロットもお出かけですか?」

「ええ……」

 不意に、シャーロットの表情に影が落ちたようだった。

「本当は、もっと早くに言い出さなければならなかったのだけれど。あなたにお願いしたいことがあるの。わたくしを射撃訓練へ、ご一緒させていただけませんこと?」

「えっ?」

「本日は、そのご予定ではなかったかしら」

「いえ、私の方はいつも通りですし、全く構いませんけど。雨降りなので、ちゃんと防寒した方がいいですよ。風邪でも引いたらコトですし」

 シャーロットの瞳はどこか思い詰めたようで、この場で事情を深掘りするのは躊躇われた。ほどなくして、アマリリはシャーロットと共に射撃場へと出発した。


 雨の射撃場はがらんとしている。アマリリは背負っていたケースを開くと、手早く猟銃を準備した。シャーロットは物珍しげに周囲を見回している。

「いつもはここで訓練なさっているのね」

「そうです。冷えてくると思うので、適宜暖房を入れてください」

 使用人の少女が、蒸気暖房のスイッチを操作する。屋敷からシャーロットに同行したのは、最も年若いらしい彼女一人だけだった。

「シャーロット。わかっているとは思いますが、私の銃には触れないように。必要ない時は安全装置をつけてますけど、何があるかはわかりませんから」

「おっしゃる通りにいたしますわ」

「ええと、そちらの……」

「プリシラです」

「プリシラさんも気をつけて。普段はもう一人大人がいるんですが、今日は私しかいませんから」

「カクマさんでしたかしら。本日はいらっしゃらないの?」

「今日は銀行に用事だそうです」

「……そう。残念だわ、是非お会いしてみたかったのに」

 シャーロットはわずかに気落ちしたようだった。あまり感情を見せることのない彼女にしては、珍しいことである。

 そんなにカクマに会いたかったのだろうか……。

 アマリリは猟銃を構え、クレーの射出口を見つめる。標的が発射される気配はない。

「あ、そうか。シャーロット、壁際のレバーを引いてもらえませんか?」

「こちらかしら。えいっ」

「お嬢様、そんなことは私が--」

「いいのよ、プリシラ。でも、少しだけ手を貸してくださるかしら」

「……そんなに硬いんですか?」

 悪戦苦闘する二人を見て、アマリリは猟銃を置いた。シャーロットの肩越しに手を伸ばし、レバーを動かす。ガガガ、とギアが噛み合い、頭上のパイプに蒸気が供給された。

 カーン! 途端に最初のクレーが発射される。

「ごめんなさい。お役に立てなくて」

「いえ。でもシャーロットはもう少し体力をつけた方がいいかもしれません」

 アマリリは再び猟銃を取った。最初の一発には間に合わなかったが、次のクレーは外さなかった。シャーロットがいると思うと普段とは違った緊張感がある。

 スコアは二十五分の十七。最初のことを思えば、かなり当たるようになってきている。だが、百発百中にはほど遠かった。

「あの、シャーロット。これは違うんです。今のは練習用の小銃弾を使ったので」

「ええ。散弾なら百発百中なのよね?」

「あ……覚えてましたか」

「ええ、もちろん。射撃場についておっしゃったのはアマリリ、あなたですのよ。忘れるはずがありません。折角ですから、散弾での射撃も見せていただけないかしら?」

「もちろんです」

 ほっと息を吐きながら、アマリリは散弾を装填した。もう一度レバーを自分で引いて、いそいで射撃位置に戻る。今度は最初のクレーにも間に合った。

 それからの二十五発は冗談のように簡単だった。カクマが「慢心する」と止めていたのもうなずける。散弾は面白いほどにクレーを粉砕し、雨に混じって陶器の破片を降らせた。スコアは二十五発全弾命中。満点である。

 アマリリは最後に空撃ちして弾切れを確認すると、シャーロットを振り返った。令嬢と使用人は目を丸くしてアマリリを見ている。悪い気分ではなかった。

「すごいわ、アマリリ」

 駆けてきたシャーロットがアマリリの手を取る。その表情に後ろ暗いものが過ぎるのを、アマリリは確かに見た。

「じ--実はね」

 シャーロットは躊躇いがちに続ける。

「あなたのその腕を見込んで、お願いしたいことがあるのだけれど」

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