第六章 セントラル・シティ - 第二印象

第20話

「へえ、家庭教師志望ねえ」

 アマリリよりもいくらか年上だという貴族の青年は、あからさまに侮ってみせた。

「いくら高名な先生に師事していたとしても、所詮学園の卒業生じゃないんだろう? そんな教師の言うことは、ボクなら聞けないだろうな。キミ、出身はどこなんだって?」

「ストンヘイヴンの村です。南部の」

「へえ、南部。未開の蛮地じゃないか。ご両親は何を?」

「……父は狩師です」

「狩師! 化石みたいな職業じゃないか。南部では世襲制が残っていると聞く。つまりキミも狩師になるはずだったんじゃないか? それがどうして……」

 そう言い放った青年の頭を、ポンと叩いた者がある。

「ベンジャミンくん。捗っているようですね」

「あ、ミツフジ先生。戻られたんですか」

「ええ、先ほど。私語は慎み、きみ自身の論述に集中するよう伝えたはずだけれど……課題が少し簡単すぎましたか。時間を余らせてしまったようですね」

「いや、それはまだ--」

 抗議の声を無視して、ミツフジは青年の机からレポート用紙をすくいあげた。アマリリの見る限り、用紙の半分以上は未解答である。

「……ふむ。論述の採点は、用紙の八割以上が埋まっていることが前提だと最初に伝えたはずですよ。アマリリくんを置いたのは、私が席を外している間の監視だったのですが。ベンジャミンくんには逆効果だったようですね」

 ミツフジは青年の解答に、アマリリの解答用紙をつけて返した。

「これは彼女が解答したものです。私の注釈を付してある。本当に学園を目指す気があるなら、こちらに目を通すことから始めなさい」

「はい、先生」

「きみが知るべきことは既に全て教えてあります。ベンジャミンくんに必要なのは、それを身につけるための訓練ですよ」

「はい、先生」

 恐縮するベンジャミンに、ミツフジは鷹揚な笑みを浮かべてみせた。

「大丈夫。きみが学園を受けるのは来年以降のことです。それまでには十分な時間がある。しっかりと腰を落ち着けて粘り強くやれば、必ず実力は向上します。一緒に頑張りましょう、ベンジャミンくん」

「はい、先生!」

 ベンジャミンは背筋を伸ばして答えた。


「彼はダメそうだなあ」

 屋敷を出た途端、ミツフジはぼやいた。

「ご両親に言われて学園を目指すのは良いんだけどねえ、試験を受けるのが自分だって言うのがわかってないんだよ。嫌だなあ、憂鬱だなあ」

「……ミツフジさんが憂鬱なんですか?」

「そりゃあそうだよ! 試験に落ちて責められるのは私なんだから。あの子もご両親もガン首揃えて『金返せ』ってさあ、何度そんな目にあったか知れないよ。そりゃあ試験をしてるんだ、落ちる生徒は一定数いるに決まってるじゃない? あの人たちにはそれがわからないんだよね。はあ……」

 ミツフジは肩を落として、靴底を引き摺るように歩いた。アマリリにとっては、見慣れた家庭教師の姿である。首都に来てから二ヶ月と少し。アマリリは家庭教師の助手としてミツフジに同行し、数週間後に迫った学園の選抜試験に向けた準備を進めていた。

 無論、当初の予定ではこうなるはずではなかった。アマリリは純粋にミツフジの生徒として授業を受け、実技と論述に加えて必要な残りの一科目について学ぶつもりでいた。ミツフジ自身もその気でいたはずである。

 事情が変わったのは、ちょうど二ヶ月前のことだった。

「すまないんだけど、あの話ね。ちょっと断らせてくれないかな」

 そう言い出したのはミツフジである。

「きみたちは大儲けしたみたいだけどね。この間の賭け試合で、私はほとんど全財産をスッてしまった。それどころか、多額の借金も抱えている……」

「自業自得だ。張さんにもやめろと言われてたじゃないか」

「そういう正論はやめてくれ。とにかく今は余裕がないんだ、カクマ。きみは借金を帳消しにしてくれると言うけど、それより今の私には現金がいる」

「僕らからも料金を取りたいのか。確かに、この間とは状況が違う。今なら特急料金の支払いもやぶさかじゃないが」

「えっ? あ……」

 ミツフジは失敗に気づいたように表情を曇らせた。

「そうなのかい? 実は、もう他の生徒の依頼を受けてしまったんだ。きみたちはもう、一銭も払う気がないものと思って、それで……」

「私の面倒を見る時間を潰してしまったということですか?」

「う、うん。だって、きみたちは、だって」

 しどろもどろのミツフジを白い目で見つめ、カクマは短い息を吐いた。

「言い訳はもういい。どうにかして、彼女のための時間を捻出してくれ」

「でも、今からじゃキャンセルは効かないし」

「私の依頼はキャンセルが効くと思っていたんですか?」

「そういうことになるな」

 窓際に腰掛けたカクマが立ち上がった。

「ぶん殴ってやろうか?」

「や、やめてよカクマ! きみ、まだ異界兵の性能を残してるんだろう? そんな拳で殴られたら死んじゃうよ!」

「なら、何か別案を出せ」

「別案なんて……だって、他の生徒をキャンセルするわけには」

「それはわかったよ。他の生徒を見るのはいい。その上で、彼女の面倒も見る方法を考えてくれと言うんだ。なんとかできないのか」

「なんとかって言ったって……」

「いいから考えてみろよ。得意だろう、そういうの」

「……」

 しばらく頭を捻ったミツフジが提案したのが、現在の方式だった。アマリリと同じ課目で受験する生徒の授業にアマリリを帯同し、聴講させる。最初に聞かされた時は不安の方が大きかったが、実際にやってみるとこれはなかなか具合が良かった。

 学園を目指す貴族の子供たちは、多くが専用の勉強部屋を持っている。その片隅を借りるだけでも、アマリリには十分すぎるほどに快適だった。またミツフジの助手として時には教師を勤めることで、どこか他人事のようだった書物の知識も身に馴染んでいくようだった。

 アマリリが見る限り、ミツフジの指導は他の生徒に対しても的確なようだ。教師としてのミツフジは全く優秀な男であるらしい。

「あ〜! 胸が空いたね、今日は!」

 無論、ミツフジが多くの問題を抱えているのも確かだった。

「金持ちのガキをやり込めるのが一番楽しいよ。見たかい、ベンジャミンのあの顔を。あれが見たくて、私は家庭教師を続けているようなものだよ」

「いや、あの。ああいうやり方はやめてもらえませんか」

「えっ、どうして? アマリリくんも痛快だったんじゃないの?」

「何が面白いんですか。私が恨みを買っただけですよ」

 抗議の声を上げたアマリリを、ミツフジは真面目腐って見下ろした。

「あれも立派な指導だよ。自分よりちょっと下だと思ってる相手に負けるのが一番悔しいんだ。ベンジャミンくんも、あれでやる気を出してくれるよ、きっと」

「だといいですね」

「出してもらえないと困るんだよね。このままだと普通に落ちちゃうから……」

 ミツフジの声は物憂げだったが、アマリリは彼が「胸が空いた」と言った時の笑顔をよく覚えていた。ミツフジはアマリリの視線にも気づかない様子で手帳をめくる。

「さて、次の生徒はと。ああ、これはツいてるね。リヴ家のご令嬢だ」

「シャーロットのところですか。何がツいてるんです?」

「呼び捨て? まあ、いいけど……ほら、今はお昼時じゃないか。タイミングが合えば、一食分浮かせられるかもしれない」

 満面の笑顔を浮かべたミツフジを、アマリリは冷ややかに見つめた。


 ウエストエンドの一等地。近年になって力をつけた資本家たちが多く住む、信仰の屋敷街である。リヴ家の屋敷は中でも特に歴史が若く、遠目に見ただけでも新築であることが一目でわかる。

 初めての訪問からは、既に二ヶ月が経過している。ミツフジとアマリリが顔を見せると、守衛はそれだけで門扉を開けてくれた。

 広い庭を貫く小道を進み、屋敷の中へ通される。吹き抜けのエントランスで使用人長の男がカクリと腰を折った。

「いらっしゃいませ、ミツフジ様、アマリリ様」

「来たよ、ハリー。シャーロットくんは?」

「お嬢様は学習用のお部屋でお待ちです」

「いつもの部屋だね、ありがとう。リヴ様の方は?」

「旦那様は本日もお忙しくされておいでです。奥様は、体調の方がお優れでなく」

「私に時間をとっておいてくれるというお話だったはずだけど」

 ミツフジが不満げに言うと、ハリーはさらに深々と腰を折った。

「旦那様は予定が詰まっておいでです。お嬢様のお勉強については、私からお話しいたします。本日のご報告は、私の耳にお聞かせくださいませ」

「またそれか。参ったなあ」

「申し訳ございません、ミツフジ様」

「いやいや、ハリー。きみが謝ることはない」

 ミツフジは頭をかくと、アマリリに耳打ちする。

「アマリリくん、きみは先に行っていなさい。私はもう少し、彼と話をしていくから」

「わかりました」

「ハリー、少し時間をもらえるかな……」

 使用人長と話を始めたミツフジを背に、アマリリは屋敷の奥へ進んだ。使用人の一人が慌ててアマリリを先導する。ここでは初めて見る顔だ。アマリリとさほど変わらない年齢の少女である。

 張り詰めた様子の使用人は突き当たりの扉をノックした。

「アマリリ様がいらっしゃいました」

「ありがとう。お通しして?」

「はい」

 使用人が扉を引き開ける。アマリリは居心地悪く会釈して、部屋へと足を踏み入れた。机にかけて微笑んでいたのは、眩い金髪の少女である。

「ごきげんよう、アマリリ」

「こんにち……あっ、ごきげんようです。シャーロット」

「ええ、ごきげんよう。さ、中へどうぞ。今日はあなた一人でいらしたの?」

「いえ、ミツフジ先生も一緒です。今は執事の方とお話し中で」

「ハリーと? そう。それならきっと、お父様へのお小言ね。おっとりしていらっしゃる方だから、先生との約束をいつも忘れてしまうの。……さ、こちらへお掛けになって。早速、論述をご覧いただけるかしら?」

 シャーロットはいそいそと椅子を引き、アマリリを隣へ座らせた。それだけでアマリリは多少辟易してくる。

「どうしても私が見なければなりませんか?」

「ええ、もちろんよ。今日のために準備したんですもの。それとも、わたくしの論述を読むのはお嫌?」

「いやではありませんが……私に読ませても仕方ありませんよ。シャーロットは私よりよっぽど上手な文を書きますし。ミツフジ先生を待った方が」

「アマリリ」

 シャーロットはやんわりと、アマリリの言葉を遮った。

「どうしてもあなたに読んでいただきたいの。同い年であなたよりもしっかりした論述を書く方を、わたくし存じ上げなくて。感想をくださらないかしら?」

「む……う。そう言われれば、断るわけにもいきませんけど」

 もやもやと文句を口にしながら、アマリリはシャーロットの論述を手に取った。学園の論述試験では、最初に幾つかのテーマが与えられる。受験者はその中から一つを選択して回答することになっているのだ。

 シャーロットが今回選択したのは史学分野の設問である。帝国の成立過程で非征服者となった現地民が帝国成立後に果たした歴史的役割について問われたものだ。解答用紙には綺麗な文字で、理路整然とした議論が展開されている。

 特に指摘すべき箇所は見当たらなかった。

「いかがかしら?」

「……いえ、どうもこうも」

 アマリリは眉間をもみほぐした。

「すごいですよ。完璧です。私から言えることはありません」

「まあ、本当に? そう言っていただけると嬉しいわ」

 シャーロットは両手を合わせて笑顔を見せた。そして目をキラキラさせながらアマリリを見つめる。アマリリの次の言葉を待っているのだ。

「……強いて言うなら」

 故に、アマリリは指摘事項を絞り出さざるを得ない。

「こことか、こことか。主語を指示語にするのは避けた方が良かったかもしれません」

「まあ! どうしてそう思われたの?」

「征服者と被征服者のどちらについて述べているのか、この文ではわかりにくい気がするんです。前後を読めば意味は明白ですし、普通は問題ないと思うんですが……設問が設問なので、多少慎重に書いても良いんじゃないでしょうか」

 シャーロットは顎に手を当てる。アマリリはハラハラしながらその横顔を見つめた。

「おっしゃる通りね。こうして見ると、不用意な一文ですこと」

「強いて言うなら、ですよ。これで減点されるほど学園の了見は狭くないはずです」

「いいのよ、アマリリ。ミツフジ先生のお弟子さまでしょう? もっと自信をお持ちになって。さあ、他にはよろしくない箇所はありますこと?」

「もうありません。……本当ですってば!」

 アマリリが強弁すると、シャーロットは悪戯っぽく笑う。

「そう? それなら、今度はわたくしの番ね。幾何学の方はいかがかしら。先週の続きを拝見させていただきたいわ」

「……お願いします」

「ふふ、素直でいらっしゃるのね。拝見するわ」

 シャーロットはアマリリが学園を目指すことを知っている数少ない生徒の一人である。彼女はアマリリの作った論述の模範回答を一目見ただけで、それを看破してみせた。

「他の課目は何をお選びになって? 良ければ教えてくださらないかしら」

「幾何学です。あとは、実技で」

「まあ、実技を! 文武両道でいらっしゃるのね。何をなさる予定なの?」

「クレー射撃です」

「素敵! 鉄砲をお使いになるのね」

 この時もシャーロットは両手を合わせてみせた。

「アマリリさまは、南部のご出身でいらっしゃるのでしょう? 射撃はそちらで学ばれたのかしら?」

「そうです。両親が狩師だったので、小さい頃から。……お嬢様にお聞かせするほどの身の上でもありませんが」

「どうして? 興味深いお話だと存じますわよ。これからしばしばいらっしゃる方なんだもの、色んなお話を伺いたいわ。今度、本当に射撃するところを拝見させてくださいね」

 そう言ってシャーロットの浮かべた春の日のような笑顔を、アマリリは今でもはっきりと覚えている。

 シャーロットは出自や実技試験のことでアマリリを貶したりしなかった。選択科目は論述・史学・幾何学で、史学以外はアマリリと被っている。ために、いつからか互いの課題を交換して採点し合うのが恒例になっていた。

「そういえば、今日のご都合はいかがかし」

 幾何学の課題がひと段落ついた頃、シャーロットが切り出した。

「お茶会の予定がございますの。あなたもご一緒いただけないこと?」

「あ、ごめんなさい。今日はちょっと……この後、射撃の訓練なんです」

「あら、そうでしたわね。先週も伺ったのに。お許しあそばして?」

「いえ、全然気にしてませんから。私こそ、何度も誘っていただいているのに」

「いいのよ。わたくしたちが学園に入学すれば、いくらでも機会はありますものね。試験がひと段落したら、またご一緒しましょう?」

「はい。ありがとうございます」

 アマリリはそう口にして、勉強部屋の扉を見た。ずいぶん話が長引いているらしい。ミツフジが部屋に入ってくる気配はなかった。

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