第19話

「や……」

 アマリリは両手を突き上げた。アリーナ全体から、爆発したような歓声が上がる。外れた投票券が投げ捨てられ、天幕の空に紙吹雪が舞った。

「やった! やりましたよ、カクマさん!」

「そうだな」

「チャンプの負けで、バックリーさんの勝ち。チャンプの負けで、バックリーさんの勝ちです。払い戻しオッズは四千倍……四千倍ですよ! これで……」

「ああ、学費には十分だ」

 カクマの表情は険しい。

「なんだか、あまり嬉しそうじゃないですね」

「嬉しくないわけじゃないさ。ただ、相手はマフィアだからね。金が戻ってくるまでは安心できない。投票券はちゃんと持ってるか?」

「もちろんです」

「よし。バックれられない内に換金しよう」

 小銃を肩に負い直し、カクマはリングに背を向けた。


「あのう、ボス……」

 事務室に顔を出したちんぴらに、「ボス」は苦い顔を向けた。

「なによ」

「バックリーに賭けてた連中が金を寄越せって言ってきてます。どうしますか?」

「……何倍よ」

「えっ?」

「オッズは何倍だったのよ」

「あ、はい。四千倍です」

「四千倍……」

 ボスは灰皿を投げつけた。ちんぴらが身をすくめる。

「そんな金払えるわけないでしょッ! 今すぐ追い返しなさいッ! ヴィンセント! ヴィンセントはどこにいるのッ!?」

 それを待っていたかのように、彼の腹心が顔を出した。

「いやあ、失敗失敗。失敗ですよ、ボス」

「ヴィンセント! アンタ何やってたのッ!? なんとしてもヴェンティゴを勝たせろって言ったじゃない!」

「いやあ、無理ですよ。俺にはできません。鉄砲もこんなになっちまったし」

 ヴィンセントはソファに身を投げ出し、手にした銃を掲げて見せる。小銃の機関部は銃弾に撃ち抜かれ、完全に破壊されている。

「狙撃でカクマを出し抜こうって考えが甘かったようですな。そもそも俺の専門は火炎放射器なんですよ。小銃なんか持たせるのがいけねえ」

「落ち着き払ってるんじゃないわよッ! 今すぐなんとかなさい」

「なんとかとは?」

「状況を収拾するのよッ! バックリーの勝ちを揉み消して、ベンティゴが勝ったことにするの!」

「どうやって。決着はもう着いたんですよ」

「それを考えるのがアンタの仕事でしょッ!」

 激昂したボスは卓上の花瓶を投げつける。ヴィンセントはもう、黙って受けることはしなかった。空中で花瓶を掴み取り、サイドテーブルにそっと置く。ボスが肩を怒らせた。

「ヴィンセントッ!」

「はあ……まだわからんのですか、ボス。あんたは負けたんですよ」

 ヴィンセントは天井を見上げた。

「あんたとベンティゴは同じだ。勝ち続けてる内はチャンピオン。勝ち続けてる内はマフィアの親分。中身が豚野郎でも関係ない。けどね、そういうヤツは負けたら終わりですよ。誰も着いて来やしない。俺も着いて行きませんよ」

「悠長に語ってんじゃないわよッ! もういいわ、アンタなんかもう知らない!」

 マフィアの男はまたちんぴらを怒鳴りつけた。

「誰でもいいわ、人を呼んできて! それから、こいつを叩き出しなさい!」

「は……はい!」

 飛び出して行くちんぴらを眺め、ヴィンセントは笑った。

「ハハ、無茶言ってやがる。誰も見つかりゃしませんよ。勇気も力もある連中は、俺が今朝方使い潰してやった。今、ここでまともに戦えるのは俺だけですよ」

 いつからそこに隠してあったのか、ヴィンセントはソファの下から小型の火炎放射器を取り出した。燃料の缶を取り付けると、筒先に小さな炎が点る。ヴィンセントが立ち上がると、彼のボスだった男はにじるように後ずさった。

「ヴィ、ヴィンセント。アンタ」

「何度も呼び捨てるんじゃねえよ。あんたの声は耳に障るんだ」

「ヴィンセントッ! こ、この恩知らず! 異界兵崩れのアンタを、誰が今日まで」

 ごう。火炎放射器の筒先から炎の蛇が吹き出した。

「ギャッ!」

 液体燃料が染み込み、マフィアの服が燃え上がる。苦し紛れにのた打つ「ボス」に、ヴィンセントは追加の炎を浴びせた。男のデスクが燃え上がり、絨毯や壁紙を炎が蝕む。その頃には「ボス」は黒焦げの死体になっていた。

「ハハ」

 ヴィンセントは鼻で笑い、背後を振り向く。

「おい。いるんだろう」

「は、はいッ」

 先ほどのちんぴらが姿を見せる。やはり、人数を集めることはできなかったらしい。

「前のボスは死んだ。これからは俺が仕切る」

「わ、わかりました、ボス」

「物分かりがいいヤツは好きだぜ。……さて。まずは消火器だな。それから、バックリーに賭けたヤツへの支払い。足りない分は死体の口座から引き出してやれ」

「は、払ってやるんですか? 破産しちまうって経理がわめいてましたよ」

「しねえよ。場所と客が残ってりゃ、金なんかいくらでも入ってくる。逆に言や、どっちかがなくなればアウトだ。このまま天幕が焼ければ賭場はパァ。勝負を歪めれば、信用を失くした客は来なくなる。わかるか?」

 ちんぴらはガクガクとうなずく。

「わかったら消火器だ。急げ」

「は、はい!」

 駆け出すちんぴらを見送って、ヴィンセントは紙巻を取り出した。「ボス」の残火で煙草に火を点け、肺いっぱいに煙を吸い込む。

「クッ」

 黒焦げの死体を見下ろして、ヴィンセントは笑った。


    ◆


 結論から言えば、アマリリたちはバックれられなかった。十分少々の後、払い戻し窓口の女性はアマリリに満額の支払いを告げ、少女と兵士は大金を手に賭場を出た。

 賭場からチョウの家までは、ヴィンセントが蒸気自動車を出して送ってくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る