第17話
ずどおん! ……カーン! 放たれた散弾の塊が手榴弾を弾き飛ばす。その一瞬後、イーストエンドの空には再び簡素な花火が上がった。
それを最後に、街には静けさが戻る。追加の手榴弾や銃撃が飛び込んでくることはなかった。刺客たちは本当に撤退したらしい。
「いい射撃だったな。よくやった」
「ありがとうございます。でも、鳥を撃つよりも簡単でしたよ」
「試験でもその調子で頼むよ。……いや、窓には近づくな」
「なんでですか」
「いいから、しばらく外は見るな」
騒ぎが静まって野次馬が集まって来ているらしい。先ほどとは違うざわめきが窓の外を満たしつつあった。
アマリリを阻むようにカクマが窓枠に居座る。バックリーの広げた毛布が、またしてもほこりを巻き上げた。
「……くしゅん!」
「おっと、すまんな嬢ちゃん。悪いが俺は、もう一眠りさせてもらうぜ」
「えっ、今から寝直すんですか?」
「何言ってんだ。試合まではまだ大分あるだろう」
「でも、あんなことがあったのに」
「大したことねえよ。こんなの、イーストエンドじゃ日常茶飯事だぜ……」
はっきりしない声でそう言うと、バックリーは再びいびきをかき始めた。あっというまに二度目の眠りについたらしい。
男の言葉が正しいことは、すぐに証明された。外から聞こえる声は、こうしている間にもどんどん小さくなっている。野次馬たちの興味は早くも薄れつつあるようだった。それからほんの数分足らずで、街は静けさを取り戻す。
襲撃前後で変わったのは、窓が割れたことだけだった。
「……」
無言で外を見ていたカクマが、窓枠から腰を上げる。
「もういいんですか」
「ああ。もう大丈夫だよ」
大きな欠伸を一つして、カクマは倒れた男を担ぎ上げた。バックリーが殴り倒した刺客の一人だ。
「第二波はないだろう。こいつを始末したら、僕も一眠りさせてもらうよ」
「殺すんですか」
「そこまで悪趣味じゃない。外のゴミ捨て場に離してやるんだ」
カクマが階段を降りていくと、部屋にも静寂が戻ってきた。アマリリの心臓だけが、まだどきどき鳴っていた。今更目を閉じたとしても、二度寝ができるとは思えない。
アマリリは目を皿のようにして、外の通りを監視し続けた。だがカクマが言った通り、どれだけ経っても次の刺客は来なかった。
◆
「失敗したのッ!?」
「はい」
パイプを叩きつけたボスをヴィンセントは冷ややかに見つめた。
「ヴィンセント、アンタ……失敗はあり得ないんじゃなかったのッ!? 大丈夫って言ったから任せたんでしょッ」
「申し訳ありません、ボス」
「落ち着き払ってんじゃないわよッ! バックリーはどこにいるの!? 今すぐもう一度襲撃しなさい! ここに連れてくるのよッ!」
「それは無理です、ボス。バックリーには優秀な護衛がついている。俺たちは返り討ちにあったんです。何度襲撃しても、結果は同じでしょう」
「〜〜〜ッ! じゃあ、アンタはこれからどうするつもり!? ベンティゴはとっくに素人同然なのよッ! これであの子が負けたらアタシたちは大損よ、アンタに責任取れるわけッ!?」
「策はあります、ボス」
ヴィンセントは懐から一発の銃弾を取り出した。
「何よそれは」
「木製の銃弾です。俺が特注しました。これなら痣しか残りません。ベンティゴのパンチに合わせて、試合中のバックリーに撃ち込みます。バックリーは死ぬでしょうが、観客には殴られて倒れたように見えるでしょう」
「本当でしょうね、それ」
「もちろん。ボスさえ承諾してくれれば、今から狙撃手を手配しますが」
「それはダメ」
ボスはヴィンセントの提案を切って捨てた。
「今から呼べるのは暇な狙撃手だけでしょ。そんなヤツの腕なんか信用できないわ。アンタが直接撃ちなさい」
「ボス。俺の狙撃は専門じゃあありませんぜ」
「この期に及んで口答えするんじゃないわよッ! バックリーの件はアンタに任せてるの。アンタが解決すべき問題なのよッ! この大天幕から放り出されたくなければ、言う通りになさい! 絶対にベンティゴを勝たせるのよッ!」
「かしこまりました、ボス。期待して待っていてください」
「根性入れなさい。失敗すればアンタは終わりよ」
せいぜい冷酷な声を出し、ボスは気持ちよさそうに言い放った。
一礼して退室したヴィンセントは、廊下で一人鼻を鳴らす。
「馬鹿め。誰が誰を終わりにするんだ」
◆
ピッピッ。短いホーンの音に、アマリリは目を開いた。窓の外を監視する間に二度寝していたらしい。腰かけていた窓枠の形に体が強張ってしまっている。
ビッビッ。ホーンの音は割れた窓の外から聞こえてきている。アマリリが視線を下げると、外の通りに停まった蒸気自動車が目についた。運転席ではヴィンセント・トラボルタがこちらを見上げている。
「カクマさん。お客さんが来ています」
「客だって? ……ヴィンセントじゃないか」
「あの人、賭場の用心棒ですよね。何しに来たんでしょうか」
「本人に聞いてみればいい」
言うなり、カクマは身を乗り出した。
「よう、ヴィンセント!」
運転席の男が手を振りかえす。
「おう! いい朝だな。決戦日和だ」
「何しに来た? 最後通牒でも持ってきたのか」
「ひでえ言い草だな。迎えに来てやったんじゃねえか。バックリーとお嬢ちゃんもそこにいるんだろう。まとめて天幕まで送ってやるよ」
「……本当でしょうか」
アマリリはカクマに耳打ちした。
「また戦いに来たんじゃ」
「いや。あいつがその気なら、こういうやり方はしない」
「ちょっと待てよ、兵士の兄さん! 降りて行く気か!?」
階段に向かいかけるカクマをバックリーが引き留める。
「送ってもらった方が楽だよ」
「そうじゃねえ、ありゃどう見ても罠だ。あんたが顔を出した途端に袋叩きに決まってる。あいつのことは俺も知ってる、血も涙もねえマフィアの手先だ。兄さんは友達のつもりなんだろうが、しかし……」
「大丈夫だよ。伏兵の気配はないし」
「数時間前までやり合っていた相手ですよ」
アマリリも口を挟んだ。
「散々部下を撃ったカクマさんを歓迎しようと思うでしょうか」
「うーん……そう思うのは道理なんだが」
説明しかねたようにカクマが腕を組んだ。
「僕らの間ではそれが成立するんだよ。今は一旦ノーサイド……と言うと、語弊があるが。わからないか?」
「全くわかりません。そう思えるのはお二人が異界兵だからだと思います」
「そうか……そうだな」
カクマは少しだけ傷ついた表情になった。申し訳なく感じはしたが、それでアマリリが不死身になれるわけでもない。
「なら、まずは僕が一人で降りる。危険がないと思えたタイミングで降りてきてくれ」
「アッハッハ。それで揃うのが遅かったのか」
運転席のヴィンセントが笑った。
「まあ、それが普通の感覚だわな。おかしいのは俺たちの方だぜ、カクマ」
「そうかな……」
アマリリの右隣で、カクマが不満げに答えた。彼らはバックリーと共に、ヴィンセントの送迎を受けているところだった。
蒸気自動車は滑るようにイーストエンドを進む。馬車とも汽車とも違うこの乗り物はほとんど音を立てない。かすかな蒸気機関の動作音に気づかなければ、見えない手に後ろから押されていると言われても信じてしまいかねない。
「そうとも。まともな連中はもっと命を大事にするんだ。異界兵だとバレたくなけりゃ、もっと上手く擬態した方がいい」
「難しいこと言うなよ。人を撃つことと手榴弾を投げることで五年も暮らしてきたんだ。そう簡単に元に戻れるわけもない」
「ま、それも普通の感覚だわな」
蒸気自動車がハンサムキャブを追い越す。加速に伴って吹き込んだ風に、アマリリは帽子を抑えた。
「そういや、お嬢ちゃんは初めてのイーストエンドだろう。どうだった、半日過ごしてみて。是非とも感想を教えてくれよ」
「最悪でした。明け方に起こされて、よく眠れてません」
アマリリは皮肉のつもりだったが、ヴィンセントには効かなかった。
「そいつは良くねえ。寝不足は成長の大敵だぜ。車ん中で一眠りしてくといい。バックリー、お前さんの調子はどうだ?」
「絶好調だよ。お陰さんでな」
「そいつはいい。今日はいい試合を頼むぜ、未来のチャンピオン」
「よく言うよ」
カクマが呆れた声を出す。
「あの襲撃、お前も一枚噛んでるんだろう。朝っぱらから二発も手榴弾を投げ込みやがって。どういうつもりだったんだ」
「もういいだろう、そっちは誰も怪我してねえんだ。お前こそ、ウチの若えのを山盛りで殺してくれたじゃねえか」
「あれは指揮官が悪い。あれじゃあ、僕に撃たせるようなもんだよ」
あっけからんと答えたカクマに、ヴィンセントは押し黙った。
気分を害したのだろうか。アマリリはおっかなびっくり運転席の背中を見つめる。今、アマリリたちの命を握っているのはヴィンセントだ。彼が気まぐれを起こせば何が起こるかわからない。
今更それに思い至ったのか、カクマは話題を変えた。
「ガーニーも意外と良く走るんだな。外燃機関も馬鹿にしたもんじゃない」
「そうなんだよ。その気になりゃあ、八十マイルは出せる」
「なら、あのオムニバスなんかは目じゃないな?」
カクマが前方の乗合馬車を示すと、ヴィンセントは鋭い犬歯を見せた。
「いいぜ、見せてやるよ」
ヴィンセントがアクセルを踏み込むと、蒸気自動車はぐっと速度を上げた。たちまちオムニバスに並んだ自動車は運転手に従い更に加速。驚く乗客と御者を尻目に、オムニバスを背後へ置き去りにする。
「どうだ、大したもんだろうが」
「想像以上だよ」
カクマたちの会話をよそに、アマリリは後ろを振り向いた。追い抜いたばかりのオムニバスは、既にはるか彼方だ。信じられないスピードだった。
「すごい」
「わかるか、お嬢ちゃん」
「……ええ」
少し迷って、アマリリは答えた。
「これなら、馬車はすぐにも絶滅ですね」
「残念ながらそうはいかねえ。御者の連合ってのが存外うるさくてな。何かと文句をつけて来てやがる」
「そこまでなのか?」
訊ねたカクマに、ヴィンセントは肩をすくめる。
「時間の問題だよ。遅かれ早かれヤツらは『絶滅』。その通りだ、お嬢ちゃん」
「……どうも」
アマリリは頭を下げる。やはり、カクマほど呑気に会話を楽しむ気にはなれなかった。
ぐるりとステアリングを回し、蒸気自動車が路地を突き抜ける。開けた通りに出たかと思うと、そこはもう大天幕の前だった。
「こっちだ」
ヴィンセントに先導され、天幕の裏口をくぐる。簡素な作りの廊下が一行を迎えた。天幕の意匠は客の目に入るところだけで、他の部分は既存の屋敷がそのまま使われているらしい。案内されたのは、その中の一室だった。
「バックリー、お前の控え室だ。試合が始まるまでは、ここを使ってくれ。今更手出しされることもなかろうが、あまり目立たないようにな。飯はもう食ったか?」
「いや」
「そうか。すぐに何か持って来させる。リクエストがあれば聞くぜ」
「必要になれば自分で買う。あんたは気にしなくていい」
「俺は信用できねえってか? それもいいがな。お嬢ちゃんはどうだ? 腹が減ってるんじゃねえのか」
「私も結構です。必要なら自分で調達しますから」
「そうか。……カクマ」
ヴィンセントは寂しげにカクマを見た。
「僕は飯を食べない」
「だったな。ま、気が向いたら屋台を見に行ってくれよ。どの店も、俺が選んだ名店だ。味と質は保証する。少なくとも、毒になるものは入ってねえから」
「気が向いたらな」
「バックリー。今日は頑張れよ。俺も陰ながら応援してるぜ」
「そりゃどうも」
ボクサーは冷ややかに答える。ヴィンセントはアマリリに小さく肩をすくめて、控え室を出て行った。
「不気味ですね。何を考えてるんでしょうか」
「さあな。何か企んでるのは確かだが……ドアから離れろ」
カクマが小銃を構える。バックリーが顔色を変えた。
「何だ」
「誰か来る。ヴィンセント以外だ」
パタパタと足音が近づいてくる。直後、勢いよく扉が開いた。
「バックリー! あっ」
細身の男が飛び込んできて、銃口の前に足を止める。
「ブッチ。来たのか」
「ど--どうなってるんだ。何が」
「まあ、色々あってな。この兄さんは俺の護衛だ。兄さん、こいつは大丈夫だ。セコンドのブッチだ。鉄砲を降ろしてくれ」
「……」
カクマが無言で銃口を下げた。
「兄さん、嬢ちゃん。こいつが来ればもう大丈夫だ。少し二人にしてくれねえか」
「二人に?」
「試合前なんでな。ちょいとばかしナイーブになってる。直前くらいはいつも通りにやりてえんだよ。プロのルーティンってヤツだ。わかるか?」
「……わかった。席を外そう」
「えっ?」
「アマリリ、君もだ。ここは彼に任せる」
困惑するアマリリをよそに、カクマはさっさと退室してしまった。となれば、アマリリも彼に続く他はない。二人は屋敷の廊下に出た。
「ちょっと、本当に席を外すんですか。ここは敵の本拠地でしょ。バックリーさんに張り付いてなくていいんですか?」
「いい。ここの連中には、もう組織だった襲撃はできないよ」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
「兵隊の数が足りない。戦えそうなヤツはみんな今朝の襲撃に参加してたらしいな。ここにいるのは、賭場の運営スタッフだけだよ」
「でも、万が一ということが」
「その時はブッチが何とかする。あいつの左肩、少し下がってたろう」
思い出そうとしかけて、アマリリは諦める。
「そこまで見てません」
「下がっていたんだよ。上着の下に拳銃を吊ってる証拠だ。見たところ、かなりの腕があるらしい。あんなヤツがどうしてバックリーについてるのかは……ま、少し野暮な話だな」
突き当たりの暗幕をくぐると、その向こうは賭場だった。観客のざわめきと、リングで行われている試合の気配。
カクマが続けた。
「何かが起こるなら試合の最中だろう。僕らはむしろそっちに備えたほうがいい。券売所にも行く必要があるし。金はちゃんと持ってるか?」
「はい。肌身離さず」
「よし。まずは席を探すか。張さんの名前を出せば、また特等席に上がれるだろう」
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