第15話

 ガチリ。カクマの手元で、小銃のボルトが剣呑な音を鳴らす。それに倣って、アマリリも猟銃を操作した。

「発砲するのは僕だけだ。君は撃つなよ」

 路地の奥へ歩きながら、カクマが釘を刺した。

「こんなところで散弾を使ったら誰に当たるかわからない。引き金に触るのもダメだ。撃っていいのは僕が指示した時か、僕が死んだ時だけだ。いいね」

「わかりました」

「よし。そこで止まって、銃を構えてろ。……おい、そこのあんたら!」

 カクマが声を張りあげる。ちんぴらたちが振り向いた。

「その辺にしとけ。本当に死んじまうぞ」

「なんだあ、てめえ」

 そう言いかけた男が、ぐっと息を詰まらせる。二人の構えた銃に気づいたのだ。

「なんのつもりだ。こいつの仲間か?」

「ただの通りすがりだよ。あんたらを止めに来てやったのさ。このまま行けば、あんたら全員人殺しだろう? まとめて地獄に落ちるんじゃ、可哀想だと思ったんだよ」

「……イカれてんのか、お前」

 ちんぴらの一人が口を開いた。

「鉄砲向けりゃあ、俺たちがビビって逃げ出すと思ったのかよ。俺は知ってるんだぜ。そいつは一発ずつしか撃てねえんだろ。ガキを入れても、一度に撃てるのは二発きり。全員でかかりゃあ、お前なんか敵じゃねえ」

「本当にそう思うか」

「ああ思うね。野郎共! このタフガイ気取りを--」

 そこから先は、銃声に遮られて聞こえなかった。うっと呻いて、男の体がくの字に曲がる。飛び出してきたちんぴらの顔を、カクマの銃床が叩き割った。

「下がれ」

 カクマの低い声。アマリリはゆっくりと後ずさった。

 ちんぴらたちは既に戦う気を無くしている。最初の二人に続いて飛びかかって来ようとする者は一人もなかった。

「行け。お仲間を忘れるなよ」

 カクマが顎をしゃくる。ちんぴらたちは身を翻すと、一目散に逃げ出した。後には二人と、痛めつけられていた男だけが残される。

「大丈夫ですか? 動かないでください、すぐに応急処置を--」

「いらねえ、いらねえ」

 荒い息を吐きながら身を起こしたのは、髪を剃り上げた初老の男だった。

「ああ、クソッ。痛えな全く」

「ですから、手当を--」

「いらねえって言ってるだろう!」

「おい」

 叫んだ男の額に、カクマが銃口を押し当てた。

「言葉には気をつけた方がいい。誰があんたを助けてやったと思ってる」

「脅かしたって無駄だぜ。兄さん、さっき弾を抜いてたろう? 弾の入ってない鉄砲なんざ、でけえトンカチみてえなもんだ。……いや、待て待て待て待て」

 カクマがボルトを操作する。小銃には再び初弾が装填された。

「ちょいとした冗談じゃねえか、ありがたいとは思ってるよ! お前さん方が入ってこなけりゃ、おれは今頃用水路に捨てられてる。さっきは口が滑ったんだよ。嬢ちゃん、悪かった! おれを許すよう、この兄ちゃんに言ってやってくれ!」

「……あの、カクマさん」

 アマリリはカクマを見上げる。それを待っていたかのように、カクマは銃口を引っ込めた。初弾が再び排出され、カクマの小銃は安全を取り戻す。

「わかればいいんだ」

 カクマは目を細める。

「あんた、バックリーだな。こんなところで何してる?」

「えっ?」

 アマリリは男の顔を見た。

「そうなんですか? この人が?」

「中のチラシに載ってた顔だ。あんた、明日はチャンプとの試合だろう。なんでこんなところで殴られてたんだ?」

「さあ、知らねえな。昔から絡まれやすい性質タチなんだよ」

 そっぽを向いたバックリーが切れた唇を拭う。カクマはその顔を覗き込んだ。

「あんた、八百長を断ったのか」

「なに? あんた、どうして」

「知ってるんだよ、そういう計画があることは。この辺で大手を振って歩けるちんぴらは、北方マフィアの手先だけだ。賭場をやってる側が明日出場の選手を殴るなんてのは大ごとだよ。よっぽど機嫌を損ねてるに違いない。今のあんたが連中を怒らせる真似といったら、八百長関連だと思ったんだが……どうかな」

 バックリーは答えなかった。

「図星か」

「……まあな。連中、どうしてもチャンプを勝たせたいらしい」

「どうして八百長を断ったんですか?」

 我慢できずにアマリリは訊ねた。バックリーは息を吐く。

「当然だろう。フェアじゃねえからだ」

「でも」

「なんだ? おれの評判でも聞いたか?」

「はい。最弱のボクサーだと聞きました」

 バックリーは殴られたような顔になった。

「ハハ……キツイな、嬢ちゃん。確かにおれは弱え。ここんとこはめっきり勝ててねえし、明日も勝てるかはわからねえ。だが、最初から負ける気で試合をしたことはねえし、今後もその気はねえ。八百長なんてのはもってのほかさ」

「じゃあ、持ちかけられたのも初めてなのか」

「八百長を? ああそうさ。少なくともおれはな」

 諦めたように息を吐き、バックリーは笑みを浮かべる。

「そもそも、八百長なんざ必要ねえよ。相手はあのチャンプだ。オッズにビビる前に、あいつの腕を信用しろってんだよ」

「そこまでなのか、チャンプは」

「あいつはバケモンだよ。殴っても殴ってもケロッとして、傷一つつかねえ。いや、もちろん負けるつもりはねえが、しかし--」

「これまでの戦績は?」

「うるせえな、一度も勝てたことはねえよ」

「へえ……」

 カクマは懐からチラシを取り出した。そこには派手な煽り文と共に、バックリーとチャンピオンの似顔絵が描かれている。

「アマリリ。君、チャンピオンの名前はわかるか」

「えっ? いえ、知りませんけど……そこに載ってないんですか?」

「ない。どこにもない。ヴィンセントも言ってなかったはずだ」

 身を屈めたカクマが、バックリーにチラシを突きつけた。バックリーと向き合って、不敵な笑みを浮かべる金髪の青年。それが天幕リングのチャンピオンらしい。

「あんたは知ってるか? チャンピオンの本名だ」

「ベンティゴだ。本名かどうかは知らねえが」

「ベンティゴ¬¬」

 カクマが繰り返す。

「知り合いですか?」

「いや。聞いてもピンと来ない。でも、こいつの顔は知っている。隣の中隊で、しょっちゅうトラブルを起こしてたヤツだ。すぐカッとなって、誰にでも手を上げるから」

「その人が今はボクサーですか。天職を見つけたみたいですね」

「どうかな。こんなヤツを使ってる時点で、クソみたいな賭場だ」

 カクマはバックリーを見下ろした。

「あんた、ずいぶん痛めつけられたみたいだが。明日の試合には出れそうかい」

「当ったり前だ」

 垂れてきた鼻血を拭って、バックリーが立ち上がった。

「こんなもん怪我の内にも入るかよ。誰に何と言われようと、俺はやるんだ」

「次は殺されるかもしれないよ」

 歩き出した背中に、カクマが声をかける。バックリーは無言で中指を立てた。

「あっはは! 今のを見たかい?」

「なんですか、あれ」

「真似するのはやめた方がいい。ダメだ、中指をしまえ。……とにかく、僕はあいつが気に入ったよ。上手くすれば、大儲けさせてくれそうだ」

 アマリリは目を丸くした。

「カクマさん、あの人に賭けるつもりですか!?」

「感情論で言ってるんじゃないぞ。あいつは八百長を拒んでる。ヴィンセントの言った前提は崩れた。張さんの融資を受けるのは無理だ。僕らは自力で目標額を稼ぎ切る必要がある……」

「だったら尚更ですよ! あの人も自分で言ってたじゃないですか、チャンピオンには負けてばかりだって。カクマさん、聞いてなかったんですか!?」

「聞いてたよ。でも、今回は条件が違うんだ。とにかく行こう」

「どこへですか!?」

「バックリーを守ってやるんだ。あいつが試合に出られなくなったら元も子もない。予備の銃弾は持ってるな?」

「ありますけど……本気で言ってるんですか」

 不満を隠そうともせずにカクマを見上げ、アマリリは言葉を失った。カクマの目は完全に据わっている。

「僕はいつでも本気だよ。行こう。君の学費を稼ぐんだ」


 その頃。「クソみたいな賭場」の裏方であるヴィンセントは、退屈極まりない面持ちで、ボスの癇癪を眺めていた。

「この……このッ!」

 金切り声を上げながらステッキを振り下ろす、線の細い男。正座の若者たちは口答えも許されず、無言で折檻を受け続けている。彼らが逃げ帰ってきてからこっち、ヴィンセントのボスはずっとこの調子だった。

「ボス。もうその辺で」

「その辺で、何!? この子達はねえ、バックリーを取り逃したのよッ!」

「後は俺がやっておきます。ボスは一度休憩しては」

「ハァハァ……休憩ですって? こんな時にアンタは……ハァ」

 取り落とすようにステッキを手放し、ボスは己のデスクに戻った。ヴィンセントが顎をしゃくると、若者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去る。

「全く甘いわね、ヴィンセント。あの子たちはしくじったのよ!」

 ちょろりと伸ばした髭に触れ、ボスはねちねちと続けた。

「バックリーは八百長にうなずいてない。アイツ、まだチャンプとまともにやり合う気なんだわ。ロートルのくせに生意気なのよ!」

「そうスね。でもベンティゴも頑張りますよ」

「頑張るだけじゃダメでしょッ! 百パーセント! 百パーセント勝たなきゃいけないのッ!」

 投げつけられた灰皿を、ヴィンセントは避けずに受け止めた。ごわんと鈍い音が響く。常人なら昏倒してもおかしくないところ、ヴィンセントは無傷であった。

 ここには誰一人、それに驚く者はない。当然だ。

 ヴィンセント・トラボルタは異界兵なのだから。


 開戦当初。兵力に不安を抱える帝国軍はある計画を実行に移した。古の慣わしに則り、異世界から呼び出した人間を前線に送り込む。宮廷呪術師によって提唱されていた、荒唐無稽な動員計画である。

 これにより相当数の異世界人が召喚され、事情も満足に説明されぬままに帝国軍へ編入された。彼らは訓練もそこそこに、当時の最激戦地である東部戦線へ投入されることとなった。異界兵たちはその練度にも関わらず絶大な戦果を上げ、『東部戦線の不死大隊』としてその名は全戦線に轟いた。

「異界兵の存在は、半分が元の世界に残っている。故に、こちらの世界の存在に傷つけられることはない。機銃掃射にさらされても砲弾に吹き飛ばされても、異界兵は怪我一つ負わない。帝国国民諸君の命はおろか、彼ら自身の命も損なわれることはないのである」--宮廷呪術師はそのように発表した。


「チャンプはその一人だってのか」

「そうだ」

 アマリリの隣でカクマがうなずく。バックリーに追いついた彼らは、手近のパブに身を潜めていた。

「殴っても殴っても効かないと言ったな。それはベンティゴが特別タフだからってわけじゃない。単純に、異世界出身なのが理由だよ」

「……本当なのか、そいつは」

 陰鬱な声でバックリーが訊ねる。カクマは力強くうなずいた。

「十中八九な。ベンティゴはボクシングが強くてチャンピオンになったわけじゃない。他の連中とは土俵が違うんだよ。元々フェアな戦いじゃないんだ」

「じゃあ、この人が勝てる道理がないじゃないですか」

 アマリリは金属のカップを傾けた。中にはこの店自慢のエールがなみなみと注がれている。水が悪い首都ではアルコールが常飲されているためだ。

「チャンピオンは銃弾が当たっても平気なんですよね。拳なんか痛くも痒くもないんでしょう? これまでもそれで勝ってきたわけですし」

「そうでもないんだ、それが……」

 カクマは話し始めた。つまりはここからが、彼の勝算であるらしい。

 確かに召喚されたばかりの異界兵は無敵と言って良い。だが、半年足らずで化けの皮が剥がれてくるのだという。

「息を吸って吐いて、出された飯を飲み食いして……この世界に馴染んだ異界兵は、その内普通の兵隊と変わらなくなる。銃弾や砲弾でも同じことで、何度も食らってれば普通に死ぬ。緒戦が終わる頃には、みんなそれがわかってきた。化けの皮が剥がれるんだ」

「チャンピオンもそうだというわけですか?」

「とっくに普通の人間と見た。でなければ、八百長なんか必要ないからね。チャンピオンの座にあぐらをかいて、散々遊び回ったんだろう」

「……根拠は」

 エールのカップを置いたバックリーが、長いため息を吐いた。

「チャンプが異界兵だという根拠を聞いてねえ。兄さんはどうしてそう思った?」

「ベンティゴは僕と同じ大隊にいたんだ。顔を見たことがある」

「それがなんで……」

「え? あ、そうか。つまり、僕も異界兵だからだよ」

 あっさりとカクマは言った。

「不死大隊には異界兵しかいない。あいつはこの世界の人間じゃないんだ」

「信じられねえ」

「試してみるか? 僕はまだ、化けの皮を残してる」

「そっちじゃねえよ。ヤツのタフさなら、俺が一番よく知ってる。だがよ、チャンプも落とすラウンドはあるんだぜ。やっぱり、あいつの強さはそういう……そういうことじゃねえと思うんだよな」

 バックリーがもどかしげに手を動かすと、

「それは一種の調整だろう。ストレートで勝ち続けると、色々変だし」

 カクマがその感傷を切って捨てた。

「じゃあ、何か? 俺は……俺たちはずっと、最初ハナから勝てない試合を組まされてきたってのか? あいつはボクシングの達人でもなんでもねえ、ただ他所から来たってだけでチャンピオンになったのか?」

「まあ、そういうことになるな」

 ダン! バックリーは拳を叩きつけた。

「許せねえ……」

 男の目には涙が滲んでいる。

「おい、兵士の兄さんよ。今ならベンティゴをぶちのめせるんだな」

「倒せる」

 カクマが断定する。「明日の試合に出られればの話でしょ」と言いかけたのを、アマリリはエールと一緒に飲み込んだ。

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