第13話

「要は、コネがあればいいのか? 僕に一人、心当たりがあるんだが」

「一人? ああ、私も思いついたかもしれない」

「同じ人かな」

「そうだろうね。確かにあの人なら、繋いでくれるかもしれない……けど」

 ミツフジは眉間によった皺に触れた。

「私は苦手なんだよねえ」

「なんでだ? 気の良いじゃないか」

「あの正論でまくし立ててくる感じが、どうにも合わなくて。でも、会いに行く流れだよねえ、これは」

「行きましょう」

 そう言った時には、アマリリは立ち上がっている。ミツフジは尚も難色を示した。

「でも、確実とは言えないよ。多忙な人だし、今から行って会えるかどうか……」

「その時はその時ですよ。今のところ、他に手はないんでしょう?」

「彼女の言う通りだ」

 カクマが窓枠を飛び降りた。

「とにかく訪ねてみることにしよう。思い浮かべてるのは張さんだよな?」

「チョウさん?」

「光藤と同じ、兵士時代の知り合いだよ。どうやって潜り込んだのか知らないが、今は議員をやってるらしい。上手くいけば、あの人が奨学金に繋いでくれるかもしれない」

「上手くいけば、ね……」

 尚も渋るミツフジの声は、尻窄みになって消えた。

 わずかに数分後。アマリリはカクマの呼び止めたハンサムキャブに再び乗り込み、奨学金を求めて出発した。


    ◆


「覚馬君、ハルキ君。よく来ましたね」

 チョウ・タァイェン(アマリリにはそう聞こえた)と名乗ったのは、神経質そうな顔に細い髭を蓄えた小柄な男だった。

「そちらのお嬢さんは?」

「アマリリ・カラーです。初めまして」

「これはこれは、ご丁寧に。カラー、と言いますと……」

「ご存知ですか。ニコラス・カラーは私の父です」

「ほう」

 糸のように細められていたチョウの瞳が、不意に見開かれた。そこには異様な光が宿っている。蛇のような鳩のような、アマリリの知らない光だ。

「ニコラスさんの。なるほどなるほど、そうでしたか。いつ首都へ?」

「昨日です。カクマさんと一緒に、列車に乗って来ました」

「お父様の故郷は、南部の奥地と聞いています。長旅で疲れていることでしょう。……それを押しても、わたしに何やら用がある。そういうことですね」

「あ、はい。そうなんです」

 チョウの瞳が、また細められた。この男が目を開くと、何から何まで見通されてしまうようである。

「あなたが学園を目指していることは、お父様から伺っています。察するに、あなた方の用事はお金に関することでしょう。違いますか?」

「相変わらずの千里眼だね、張さん」

 カクマが頭をかいた。

「実は、その通りなんだ。首都へ連れて来たはいいんだが、持ち合わせが足りない。早急に学費を調達する必要がある。できれば、奨学金を取らせてあげたいんだが……どうも、コネ抜きでは選考にも進めないらしくて」

「そうなのですか?」

「はい」

 水を向けられたミツフジが、蚊の鳴くような声で答える。

「きちんとした身元保証人の力が必要なんです」

「張さん、今は議員をしてるんだろう。あなたの名前で、この子を奨学金に推薦してくれないだろうか」

「ふーむ。ふむ、ふむ。そういうお話ですか」

 何を納得したのか、チョウは細かくうなずいた。

「まずは安心しました。わたしは確かに議員ですが、大金持ちというわけではありません。また、友人であるというだけでお金をあげることもできません。議員というのはそれだけで友人の増える職業ですからね。あなた方が借金を申し出ていたとしても、色良い返事をすることは出来かねたでしょう」

 体を折り曲げたカクマが、喉を鳴らして笑う。

「本当に相変わらずだね、張さんは」

「あなた方もね。ですから、奨学金への推薦というのは非常に良い落とし所です。わたしとしても、協力するにやぶさかではない」

 アマリリはほっと息を吐いた。

「では、手を貸していただけるんですね」

「もちろん。ですがアマリリさん、安心するにはまだ早いのです。確かにあなたを奨学金へ推薦することは難しくない。しかし、それが上手くいくかは別の話です」

「と言うと?」

「嘆かわしいことですが、この国にはまだ東洋人への偏見が根強く残っています。異界人についても同様です。私は爵位を購入することで運良く貴族院に潜り込むことができましたが、出自が異界兵の東洋人であるために、重んじられているとは言えません。私の名前を使ったところで、推薦のお役に立つことは難しいでしょう」

「そう、ですか……」

 膨らんでいた風船に針が刺されたように、気分が萎んでいくのがわかる。肩を落としたアマリリの隣で、カクマが舌打ちした。

「議員の貴族になってもそれか。キリがないな」

「ええ、全くです。私たちが安全に過ごすためには、十年単位の時間が必要になるでしょう。とはいえ、推薦が通る可能性はゼロではありません。奨学金の推薦は私の方で進めておきます。あなた方はこれをあてにし過ぎず、引き続き金策を進めてください」

「わかりました。よろしくお願いします」

「助かったよ、張さん」

 アマリリとカクマは頭を下げる。遅れてミツフジも腰を折った。

「いえ、大したお力になれず。ところで……ああ、アイスクリームが来ましたね」

 使用人と思しき男が、お盆に人数分の皿を乗せて現れた。

「どうぞ召し上がってください。大陸から輸入された生姜をふんだんに使ったものです。わたしはこれが大好きでね」

 アマリリはカクマをちらりと見た。カクマは黙ってうなずく。アマリリはスプーンを手に取った。それに続くようにして、ミツフジも皿を手に取る。

 その名の通り、冷たい菓子だった。牛の乳が使われているらしい。まったりした甘みと、突き抜けるような生姜の香り……アマリリは夢中でアイスクリームを頬張った。

「おや、覚馬君はお気に召しませんか?」

「僕はいいよ。気に入らないわけじゃない。今も食事制限を続けてるだけで」

「えっ?」

 目を丸くしたのはミツフジだった。

「本当なのかい、覚馬? だって、そんなの……今日まで、ずっと?」

「そうだよ」

「でも、それって--それって、正気の沙汰じゃないよ!」

「ミツフジ君、それは言い過ぎです」

「あっ、すみません……」

 叱られたミツフジはしゅっと身を縮めた。

「ですが、わたしからも確認させてください。覚馬君、本当に食事制限を続けているのですか?」

「ええ。僕は皆さんが食べているところを見るだけで十分なんだ」

「そうですか。あなたがそう言うなら結構です。ですが、これだけは。覚馬君、もう戦争は終わったのですよ。わたしたちは、もう兵士ではない」

「張さん、それは……僕も理解してるつもりなんだよ。ただ、どうしても抵抗があるんだ。この間、ようやく好きに飲み物を選べる様になったんだけど。紅茶とか、コーヒーとか」

「それは素晴らしい。では、次にいらっしゃる時までに上等の紅茶を用意しておきましょう。この世界でも、茶葉は大陸産のものが一番のようですから」

 いち早くスプーンを置き、チョウは話題を改めた。

「ところで、金策の件ですが。覚馬君には、今後のあてはあるのですか?」

「いや、全く」

「そうだと思いました。いや、実は一つ、あなたにぴったりの仕事があるのです。こちらはわたしの名前があればすぐにも潜り込めるでしょう。いささか危険な賭けですが、覚馬君次第では学費を全て賄えるだけのお金を稼げる可能性もあります」

「賭け……」

 真っ先に顔を上げたのは、アイスを舐めていたミツフジである。

「ミツフジ君、あなたはやめておきなさい。また一文無しになりますよ」

「ということは、本当に賭場絡みなのか。男爵閣下がそんなことしていいのかな」

 チョウは黙って微笑んだだけだった。どうやらチョウは、カクマが来た時からこの話を持ち出すつもりだったらしい。

「どうしますか、覚馬君。わたしは本当に、どちらでも構わないのですが」

「いつも通り、話だけは聞くよ。張さんの魂胆はその後考えることにする」

「よろしい。ではお話ししましょう。……もう少し近くへ」

 身を乗り出したカクマに、チョウが耳打ちする。そうして向き合うチョウとカクマは、新しい悪戯を相談する二人の子供のようにも見えた。

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