第四章 セントラル・シティ - 第一印象

第11話

 窓の外から雀の声が聞こえる。差し込む朝日が頬をくすぐるのがわかった。ベッドの外にはまだ冷たい空気の塊。アマリリは布団を頭から被り直す。

「……」

 ほんのかすかな風の流れを布団越しに感じる。アマリリは身を起こした。

 食事の匂いがする。

 少女は大きな欠伸を一つ、裸足で絨毯に飛び降りた。鏡を覗くと、寝起きの自分自身が彼女を見返している。跳ね放題の髪を適当に押さえて上着を引っ掛けると、アマリリはそのまま部屋を出た。

「おはようございます」

「お、起きたか」

 カクマはとっくに起きてきていた。食卓には既に朝食の用意が済んでいる。メニューの内訳はベイクドビーンズと目玉焼き、焼いたベーコンとマッシュルーム。列車で食べたものとかなり近い。アマリリたちが宿泊するのは、ユニオン・セントラル鉄道系列のホテルである。当然のことではあった。

 車内のトラブルに巻き込まれた少女への補償。その一環として、カクマとアマリリの兄弟には最高級の一室があてがわれていた。

「紅茶とコーヒー、どっちにする」

「お茶でお願いします」

 寝ぼけ眼のアマリリは、窓へと歩み寄った。レースのカーテンを開けると、朝日が直接差し込んでくる。本日の天気は快晴。ガラスの向こうには見渡す限り、均整の取れた街並みが広がっていた。

 朝日にきらめく無数の煙突。道を行き交う馬車と蒸気自動車ガーニー。ゆっくりと航行する飛行船の群れと、その間を縫うように飛び回る羽ばたき飛行機オーニソプター

「ああ」

 アマリリはため息混じりに声を漏らした。

首都セントラルだ」

 額に感じる朝日の暖かさ、裸足の裏を受け止める絨毯の毛並み、そして鼻腔をくすぐる朝食の香り。この現実感は、もはや夢ではあり得ない。

 アマリリ・カラーは首都にいる。


 --ぐるる。

 尚も景色を眺めていた少女は、自分の腹の音で我に返った。そそくさと食卓に戻るアマリリを、笑顔のカクマが出迎えた。

「首都の朝には満足したかい?」

「はい、ひとまずは。……ありがとうございます」

 紅茶のカップを受け取る。カクマが淹れた紅茶は、いささか渋い。アマリリは乾いたパンをちぎって、口に運んだ。

「今日は、カクマさんのお友達に会うんですよね。家庭教師の」

「そうだ。朝飯が終わったら出かけよう」

 寝坊していたせいか、料理は冷め始めている。アマリリは手早く食事を進めた。

「急がなくてもいいよ。どうせ向こうも寝てるだろうから」

「そうなんですか? なら……」

 アマリリは食事のペースを緩めた。

 ここでも、カクマが食事に手をつける気配はない。男はコーヒーばかりを飲みながら、新聞紙に目を通していた。三種類の新聞紙が配達されるのが、ここのホテルの売りらしい。

「どうした」

「いえ。その新聞、読み終わったら私にも貸してください」

「君が食べ終わったらな。行儀が悪いと学園に行ってから叱られるぜ」

 言葉通り、カクマはアマリリが食べ終わった頃を見計らって新聞を渡してくれた。

 デイリーセントラル誌。名前の通りの日刊(!)新聞らしい。首都で起きた事件の最新情報を毎日提供しているらしい。

 アマリリは紅茶のカップを握りしめたまま、ざっと見出しに目を通した。議会カウンシルで交わされた政治家や貴族のやり取り。それに関する有識者の談話。オーニソプターと飛行船の接触事故。自動車会社と馬車連盟の軋轢、などなど。

「すごい……」

 少女は舌を巻いた。

「すごいですよ、これ! 首都の人たちは毎日こんなのが読めるんですか?」

「字が読めて、新聞が買えればね」

「しかも、他にも日刊の新聞があるんですよね。カクマさんが持ってるのも……」

「セントラル・ポスト? 確かにこれも日刊だな」

 カクマから手渡された新聞紙も、デイリー・セントラルと同様の分量がある。アマリリは身震いした。これだけの紙面を埋めるだけの記事を毎日書いている人間が、首都には存在しているのだ。

「週刊、月刊の新聞は他にもある。まだまだこんなもんじゃないよ」

「はあ〜……」

 アマリリは椅子の背もたれに寄りかかった。

「首都にいる間は、読み物に事欠くことはありませんね。首都の人はみんな、それだけ情報欲があるということなんでしょうか」

「そこまで高尚な話でもないさ。セントラル・ポストの方も読んでみるといい」

「……? わかりました」

 カクマがコーヒーのおかわりを注ぐ。アマリリは誌面に視線を落とした。政治家と貴族のゴシップが、品のない見出しになって視界に飛び込んでくる。議会で見られた失言。イーストエンドに根を張る犯罪組織との繋がりに関する不確かな噂……カクマが何を言いたいのかは、すぐにわかった。

 セントラル・ポストの記事は、はっきり言ってかなり俗だ。文章も軽薄で、論拠にも乏しい。村で耳にしたことのある口さがない陰口と大差はない。

 アマリリはうんざりと顔を上げた。

「……こういうの、首都でもあるんですか」

「どこにでもあるさ。首都の全員が物事の分別をわきまえてるわけじゃない。村の連中と同じだ。話のわかるヤツもいれば、わからないヤツもいるよ」

「それは……確かにそうですが」

 もやもやしながら、アマリリは紙面を読み進める。ふと、ある見出しが目にとまった。

「『悪逆非道の詐欺師兄妹、鉄道車内で誘拐騒ぎか』……カクマさん、これって」

「君も知ってる彼らのことだな」

 記事にはローブに身を包んだ占い師と、カメラを睨みつける客引きの写真が添付されている。ロレインとフランツを撮影したものに違いなかった。

「『読者諸兄はアンバーウッドの母と呼ばれる占い師をご存知だろうか。首都ではほとんど耳にすることもない田舎町で人気を博していた大道芸人の俗称である』……ひどい書き方ですね、これ」

「セントラル・ポストはなんでもそうなんだ。カリカリしても仕方ない」

「でも……うーん、わかりました。もうちょっと読んでみます」

 アマリリはさらに読み進める。記事は引き続きロレインとフランツの兄妹についてあることないこと書き立てた後、彼らがユニオン・セントラル鉄道で引き起こした誘拐事件についての記述に続いていた。

『初歩的な奇術と原始的な恐喝の組み合わせを占いと称し、何も知らない素朴な農夫たちから不当に金を巻き上げていた彼らが次に目をつけたのは、ユニオン・セントラル鉄道に乗車する中産階級市民の資産であった。彼らは自身の腕前を以て、首都市民をも騙すことができるはずだと考えたのである。

 だが、列車の乗客は兄妹がこれまで相手にしてきた農夫たちとは全く違っていた。彼らの奇術は全く信用されず、当初見込んでいた稼ぎは全く得られなかったのである。追い詰められた彼らはより直接的な手段を用いることにした。乗客からの窃盗と、誘拐による身代金の調達である。不運にも一人の少女が手頃な人質として選ばれ』……。

 手頃な人質であるところのアマリリは舌打ちした。記事はそこから、短慮な兄妹の誘拐計画とその失敗について丁寧に描写し、鉄道警察官十人による大捕物の末に彼らが捕縛されるまでの流れを記述していた。

 記事は、次のように締めくくられている。

『こうして詐欺師兄妹の試みは失敗に終わった。筆者にとって最も驚くべきは、彼らが首都市民諸兄に対しても農夫同様の手口を用いることで十分な効果が得られると考えていた点である。首都に暮らす人々が周辺地域の農夫よりよほど賢明であるのは自明のことだ。実行前にこのことに思い至らなかったことこそ、彼らの最大の失敗と言えるであろう。(取材班)』

「……」

 アマリリは指を伸ばすと、(取材班)の文字に穴を開けた。

「カクマさん、まだ読みますか」

「いや。僕は一通り、目を通したから」

「わかりました。では、セントラル・プレスは折を見て焚き付けに使うことにします」

 カクマはそれを聞くと、膝を叩いて笑った。

「アッハッハ。流石は狩師の娘だね、発想が違う。今度気に食わない記事を見つけたら、僕も燃料に使うことにするよ」

 それからアマリリは紅茶を飲み干して、身支度を整えた。ほどなくして、元兵士と少女の二人組は、家庭教師のもとへ出発した。

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