11 ドロステ

 僕は気が付くと、またあの灰色の部屋にいた。窓は無く、家具らしき家具も無く、木製のスツールが二つとキャンバスが一つしかない殺風景な部屋。灰色でどことなく冷たく沈んだ空気、少しの絵の具の匂い。キャンバスの前には一人の知らない男が座っていて、静かに筆を動かしていた。後ろから絵を覗き込むと、この部屋と全く同じ灰色の部屋が描いてある。その絵の中のキャンバスの中にもまた灰色の部屋があり、そのキャンバスの中にもさらに部屋がある。


「またダメだった」


 男はしばらくすると筆を置いて言った。キャンバスの前を僕に譲るかのように退く。僕が絵に手を触れると、次の瞬間僕は絵の中の部屋にいる。


 そこには少女がいて、さっきの男と同じように絵を描いている。僕はその作業風景を、少女の斜め後ろに置かれているスツールに腰掛けて眺める。やがて少女は筆を置き、こちらを見る。


「またダメだった」


 この夢を僕は何度も見たことがある。いや、毎晩のように同じ夢を見ている。ただ合わせ鏡の中を永遠に進んでいくだけのようなこの夢は、悲鳴を上げるような恐ろしい夢ではないが、永遠に繰り返すループの中に放り込まれたような不安感、背筋がどこかぞわりとする不快感があった。昼間に起きているときにはもう覚えていないのだが、見ている最中はもうすでに無限回見せられているかのように思える。昼にはただ、悪夢を見たという記憶が残るだけ。深い眠りにつくための薬を飲んでも一向に改善せず、僕は果てがあるとも知らないこの不気味な部屋に毎夜迷い込むのだった。


 少女はまるでビー玉のような無感情な目で僕のことを見ている。僕が次の部屋に行くのを待っているのだろうか。


「この絵に、この夢に終わりはあるのか?」


 僕は少女に聞いてみた。少女は相変わらず感情のこもらない目で僕を見つめたまま、少し首を傾けて言った。


「私の部屋で終わりにしようと思った。でもダメだった。たぶん、前の人も、そのずっと前の人も、後の人も、そのずっと後の人も、この絵に住む人は皆同じように思っているはず」


「終わりにするって、具体的にはどうするんだ?」


「それは簡単。別の絵を描けばいい」


「そうすればよかったじゃないか」


「そうしようと思った。でも、できなかった。あなたにもきっといつかわかるはず」


 少女はキャンバスを手のひらで指し示すようにした。もう行け、ということだろう。


 僕は絵に触れる。僕はまた次の部屋にいる。高齢の男が絵を描いている。やはり同じ絵だ。


「僕とはいったい、この絵の中で、この夢の中でどういう者なんだ?」


 男は黙って絵を描き続け、しばらくして筆を置くと言った。


「またダメだった」


「そのセリフは絶対言わなくちゃならないのか?」


 聞き飽きたセリフにややイライラしながら僕は聞いた。


「何も変わらなかった場合は言うことになっている。それと、お前がこの絵の中でどんな者かという質問に答えるとするなら、お前は儂と同じく、途方もない連続の中のひとつと言えるだろう」


「僕が連続の中の一部?」


「いずれわかる。いつかお前も絵を描かなくてはならないときがやって来るだろう」


「なるほど。じゃあ、僕にその時が来たら、うんざりするほどのこのループを打ち切りたい」


 男は黙ってキャンバスを指さした。

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