7 インターン
彼の『家』はまるで生活感が感じられない空間だった。とても人が住んでいるとは思えないほど静かで清潔で、物が少なかった。住宅展示場で、よそ行きの顔に取り繕われたモデルハウスの内見をしているような錯覚に陥る。白を基調としたリビングで、白い大理石の床には埃一つ無かった。高い天井から多面体がモチーフのモビールが下がっており、じっくりと注視していればわかるほどの速度で動いていた。彼は彼の仕事場兼居住地のここを『家』と呼んだが、あまりしっくりこなかった。
「どうぞソファーにでもかけてくつろいで」
白いシャツにベージュのチノパンという無造作でカジュアルな装いだが、清潔感と高級感のある男は、早苗にそう促した。彼は
「何か好きなものを」
二人は広々としたソファーに差し向いで腰掛けた。萩がガラスのローテーブルの天板を指先で触ると、それぞれ二人の目の前にメニュー表のホログラムが出現した。これがスマートテーブルである。好きなものを注文すれば自動でキッチンで飲み物が作られてテーブルまで運ばれる。
「じゃあ、水をいただきます」
「遠慮しなくていい。僕はウイスキー」
「アイスココアで」
注文が住むと、ホログラムは消えた。萩が指を鳴らすと、シンプルなデザインのお手伝いロボットが部屋の奥から現れ、ローテーブルにノートパソコンを運んできた。
「早苗君だよね。初めまして、萩です。俺の仕事を見せるように木染から頼まれたから、なにか学生のためになるようなインターンプログラムにしたいと思うんだけど、正直俺のやっている仕事は、君たち学生が授業でやっているプログラミングと見た目が変わらないんだ。今俺が請け負ってる仕事の体験をさせてあげたいけれど、外部の人に漏らすわけにはいかない情報を扱っている関係で、あんまりおもしろいことはさせてあげられそうもない。最初に謝っておくよ」
「いえ、お仕事をしているところを見せていただけるだけでも十分勉強になります。お忙しい中時間を取っていただき、恐縮です」
さっきパソコンを運んできたお手伝いロボットが、今度は二人の飲み物を運んできた。萩がグラスを差し出してきたので、早苗は軽くグラス同士を当てて乾杯した。萩は水でも飲むような気軽な動作で琥珀色の液体を飲んだ。
「お仕事中にお酒を?」
「悪いね、癖なんだ。せっかくインターンに来たんだし教えておくけど、世の中のプログラマーのだいたいは俺みたいに仕事をしている」
酒を飲みながらでも完璧に仕事をこなし、他人を技術で黙らせることができるほどのスキルがあることの現れなのか、それとも仕事の過酷さから飲まなければやっていられないということなのか早苗にはわからなかった。
「優雅な仕事ぶりだと思った?それとも劣悪な仕事だと思った?実際のところ、どっちもだよ。プログラマーはこの国の中で一番金持ちで豊かで反吐が出る仕事だ」
「反吐が出る仕事」
「俺はスマートシステムの開発を仕事にしている。スマートシステムっていうのは、さっきのお手伝いロボットとかを動かすプログラムを書く人じゃなくて、そのプログラムを書くプログラマーたちや、この世界で働くあらゆる人を助けるためのシステムのことだ」
スマートシステムは、授業でさらっと習ったことがあったのを早苗は思い出す。スマートシステムの開発はとても人気が高い分野で、さらに、最高レベルの高い技術がないと務まらない仕事なので、エリートだけに許されたあこがれの仕事というイメージだった。まさにプログラマーの中のプログラマーだ。
「不勉強で申し訳ないんですが、スマートシステムとは具体的にどういうものなんでしょう。僕はまだ手に職をつけて働いた経験がないので、スマートシステムの恩恵を感じたことが無く、どういうシステムなのかいまいちイメージがしづらくて」
「一言でまとめるならば、人間に働く喜びを提供するシステムだね。がんばったらがんばったぶんだけちゃんと数値的に評価されるようにし、見える化する。そして働く人々の仕事へのモチベーションを保ってあげる。俺たちスマートシステムのプログラマーの仕事は、この国の労働、生産性、そればかりか人々の給与や気分までも管理して調整しなくちゃならない、かなり責任のある仕事と言えるだろうね」
この国では、すべての働く人の給与は、政府を通じて支払われる。
「なるほど」
反吐が出るというのはおそらく、プログラマーの中のプログラマーである萩の仕事は、巨大な責任があるにもかかわらず、そのシステムの開発者本人であるために、誰も彼自身の仕事について定量的に評価することができないからなのだろう。彼のモチベーションは彼自身が保つしかない。
萩はパソコンを少し操作した。
「さて、インターンは三日あるみたいだし、ここでただ俺がパソコンをいじっているのを見てるだけだとつまらないだろうから、君にちょっとした仕事を頼みたい。本来なら下請けに出している簡単な仕事なんだけど、やってみてもらえるかな」
早苗は自分のノートパソコンを取り出す。萩が送って来たメールを開くと、ソフトの名前がずらりと並んだリストが現れた。
「そのリストにあるソフトは、いろいろな職業それぞれに対するスマートシステムのソフトだ。例えば、医者のためのソフトの場合、医者がそのソフトを使えば、仕事のモチベーションを保つことができるように設計されている。スーパーの店主ならスーパーの店主用のソフトが用意されている。君は、リストに書いてあるソフトを片っ端からダウンロードし、医者用なら自分が医者になったつもりで使ってみて欲しい。そして使用感や満足感を評価してレポートしてほしい。まあ、単純な作業になっちゃうし、しょうもなさすぎてやっていられないと思ったら、その時点で帰ってもらって構わない。その方がお互いの時間を無駄にしなくてすむからね」
「わかりました」
それから二人は黙って自分のパソコンに向き合った。
早苗はリストの一番上のスーパーの店員のためのソフトを使用することにした。レジや品出しや在庫管理、店先の掃除や値付けなど、スーパー業務は多岐にわたり、仕事を上手くこなせばこなすほど高い評価値が獲得できるようになっている。一通りソフトを触ってみたが、きちんと難しい業務をこなしたときに高い評価、簡単なものの場合はそこそこの評価が与えられるなど、妥当な評価システムだということが確認できた。問題なし、とレポートを書き込み、ソフトを閉じる。一つのソフトの確認をするのにおよそ一時間ほどかかった。このペースなら今日中にリストの三分の一を消化することができそうだと早苗は思った。
二人は黙々と作業を進め、その日の業務は終わった。
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