6 千葉
「インターンの推薦獲得おめでとう」
早苗の数歩前を歩く千葉が言った。二人は等間隔に石碑が立つ林の中に伸びる石畳の小道を歩いていた。背の高い
「どういうわけか先生が気に入ってくれたんだ」
木染が手渡してきた名刺の連絡先へメールを送ってみると、さっそく来週職場を見学させてもらえる運びとなった。政府からの仕事を請け負うこともある、業界内では有名なエンジニアだった。
「インターンの権利をもらえたのはまったくのラッキーだと思うけれど、権利を得てみると、正直インターンに行くのが楽しみになったよ。先生は僕に、小説家とプログラマーの両立は難しいと言った。プロの仕事を見て、僕は小説家とプログラマーの両立が本当に難しいのか、頑張ればできそうなのかを自分の目で見ることができる」
「そう」
千葉は石柱を一つ一つ眺めながら相槌を打った。石柱にはそれぞれある故人の名前と生没年、加えてQRコードが一つ彫られていた。ここは墓地なのである。人は死んだらデータになる。生まれてから死ぬまでの記録が、政府が運営する気の遠くなるほど巨大なサーバーのデータベースに格納され、墓石にはQRコードが彫られる。超個人的な秘匿情報を除いた人生の全てを、遺族や後世の人間はQRコードを読み取ることで知ることができる。いわゆる伝記のようなものだ。
千葉は一つの石柱の前に跪くと、スマートフォンでQRコードを読み取った。データがダウンロードされる。千葉はよくこの墓地に来て、先人たちの人生の記録を読んだ。他人の人生というものは、自分一人の短い一生では決してなぞることのできないものであって、その一つ一つの豊かさには、創作を超えるものがある。この行為は単に千葉の趣味でもあったが、小説という創作をするものとして、より多くの人間の人生をインプットするのは、非常に重要なことだという。
「正直、仁がそこまで二刀流の生き方を目指してるとは思ってなかったな」
「僕はずっと二刀流で生きていくつもりだったよ。どうすると思ってたの?」
「仁は小説家になると思ってた。プログラムの勉強はあくまで保険で、卒業後はずっと小説に打ち込むのかなって」
「プロの仕事を見てみて、あまりにも忙しそうだったら二刀流はやめて小説家一筋に生きるよ」
言葉にしてから早苗は、果たしてそうだろうかと自分の心に問いかけた。プログラマーの仕事をやりたいとは思えないが、小説を書くというやりたいことのために、生活へのリスクを呑めるだろうか。小説一筋でこの世界を生きていくのは、まるで、崖の上の細い道を歩いていくようなものに思える。そのいつ路頭に迷うかもわからない心細さ、将来や老後の不安をはねのけられるほど自分は自分の文才を信じられるだろうか。あるいは、小説を書くことに対する熱意を信じ続けられるのだろうか。
そんな自問自答がさっと頭の中をよぎった時、足元にしゃがんだままの千葉が上目遣いで早苗の顔を見ていた。その目の奥に、何か見透かされたような色を感じて早苗は少しそわりとした。自ら細く険しい道を選び、歩みを止めずにいる千葉は、もしかしたら根本的に自分と何か違うのだろう、と早苗は思った。
「先生が僕に言ったんだ。僕が小説家になりたいと思っているのは、僕の人間としての根源的欲求、自分の一部をこの世に遺しておきたいという欲求につき動かされているからだって。人は忘れられるのが死よりも怖いのかも」
「遺したい、か。確かに創作欲ってそういうものかも」
千葉は立ち上がった。広々と広がる墓地をぐるりと眺める。
「私たち人間の人生は、何もしなくてもデータになって、墓標が生きた印になる。でも私は強欲なクリエイターだから、それだけじゃまだ足りなくて、もっと遺しておきたい。すばらしい作品を創って、それを添えた人生のデータをすばらしくしたい。すばらしい作品を書けば、すばらしい人生データを遺せる。私は他の人よりも作品の出来栄えと人生の幸福度が強く結びついてる。創作欲と幸せになりたい欲の癒着。だから、人生を良くしたければ作品を良くするという方法が一番いい。たぶん、クリエイターたちは多かれ少なかれこういう質の人が多いような気がする」
「なるほどね」
「仁の幸せになる方法は何?」
早苗は近くの石柱に掌を置く。無機物の冷たさがひんやりと伝わって来た。
「プログラム?小説?それとも私?」
最後の選択肢で少しふざけたように千葉が言った。
「もちろん君だ」
早苗はわざと気障な調子で言って、微笑んで両手を広げた。千葉も両手を広げて近づいてきたが、抱き合う前に舌をちろりと出して身をかわした。
「ねえ、私のことを愛してる?」
「ああ死ぬほどね」
「私に忘れられたくない?」
「忘れられるのは死ぬより嫌かな。幸い君は文章を書く人だし、僕のことも文字で覚えていてほしい」
「私に仁の物語を書いて欲しいんだ」
「君は生粋の小説家だし、他の人の人生をたくさんインプットして、それを物語にしているだろ。僕はそれをわりと君に覚えていてもらえるという安心材料にしている。君のインプットした人生の中に必ず僕の人生も混じっているはずだ。だから、君が僕を忘れてしまうことはないと思う」
「嘘と脚色にまみれてるかもね」
「僕のことを脚色が必要な奴だと思ってるの?」
「多少嘘が入っててもいいじゃない。物語なんだから作品としての美しさがすべてに優先されるんだよ。人生は客観的に脚色できないかもだけど、その人生に密着した作品というものなら脚色が自由なんだったら、私はできうるかぎり脚色するよ」
「可愛くないね」
僕という存在に嘘を混ぜることで彼女が幸せになれるのなら、別に彼女の頭の中の僕が、現実の本物の僕と一致している必要は必ずしもないのかもしれない、とふてくされたような表情を作りながらも早苗は思った。
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