8 ロボット介入度

「なかなかいい進捗だね。ありがとう」


 萩は早苗のリストを見て言った。どうせ下請けに出すはずだった仕事のはずなので、本当にありがたいと思っているかはわからないが、萩は気分がよさそうな調子で言った。昼食の休憩中で、二人の目の前にはクラブハウスサンドが置かれていた。


「すべての職業に対して専用のスマートシステムが作られているんですか?」


「すべてではないよ。いくつか例外がある。例えば、俺の仕事、スマートシステムのプログラマーとか、あとは政府とか」


 萩の持つサンドイッチから床にぱらぱらとパンくずが落ちるが、落ちたそばから小さな掃除ロボットが足元をちょこまかと忙しなく動き回って掃除していた。


「政府に勤めている人の仕事って謎ですよね。この国をいろいろ動かしているんでしょうけれど、何をしているのかよくわからない」


 少し前に打ち出した特別プログラマー補助金Ⅲなども、すべて政府の決定であったが、政府が大量の国民をプログラマーにしてスマートシティ化を進める様子は、早苗にとっては少し過剰で不自然な気がしていた。


「確かに、政府のお役人たちは顔を出さないしね」


 この国の方向を決めている政治のトップは、メディアにはあまり露出しない。ただ、天下り的に国民に決定した法案を知らせるだけだった。国民たちは総理大臣の顔も名前も知らなかった。


「不気味な国だよ。いや、不気味な時代、と言った方がいいのかな」


 トップクラスのエリートであるこのプログラマーにも見えていないことがあるのだ、と早苗は少し興味深く思った。


「何か政府の大きな見えない力で、僕たちは動かされているんでしょうか」


「さあ。そうかもしれないね。この時代の世界では、情報を持つ者こそが一番強い。すべての情報は政府のもとで保管される。プログラマーなんか、ただの道具だよ」


 萩は指に残ったパンくずをわざと部屋の隅の方へ向けてはじいた。掃除ロボットが、水面に投げ込まれた餌に向かって一直線に泳いでいく鯉のように、そのパンくずに向かって走っていった。


「俺だって大きな力に動かされている。俺がエリートと呼ばれるこの仕事に就けているのはなぜだと思う?ただ、流されただけだ。俺は君と同じ大学で君と同じようにプログラムの技術を学んでいた。仕事を選ぶ段階になり、俺は他の多くの同級生が志望するからというただそれだけの理由で、スマートシステムのプログラマーを志望した。だいたいあの大学からは毎年3、4人がこの仕事を獲得する。俺は正直そこまで真面目に授業をやっていた方ではなかったし、俺より優秀な学生は何人もいた。記念受験みたいな感覚だった。しかし、なぜか俺は選ばれた。受かったと知ったときはもちろん驚いたけれどとても喜んだよ。自分がエリートなんだと思った。でも、この仕事を続ければ続けるほど思うんだ。選考はただの運で、確率的なものだったのかもしれない。俺は選ばれたのではなく、選ばされたのかもしれない、と」


 萩はクラブハウスサンドの皿を早苗の方に押しやった。あとは全部食べて良いということだろう。気付けばお掃除ロボットは早苗の足元にまで戻ってきていた。


「まあ、職業選択の時期には、よく考えて進路を決めるといい。先輩プログラマーのアドバイスだ」


 萩はそう言うと自分のパソコンに向かった。早苗は残りのサンドイッチを全て食べてから自分に与えられた作業に戻った。今日でインターンは終了なので、業務終了の夜までにはリストを消化したい。幸い、残っているリストは、あと一項目のみだった。それは小説家のためのソフトだった。


 小説家の業務の評価方法は他のどの職業とも異なっていた。スーパーの店員などとは違い、どれほどの業務をやったかではなく、どれほどの努力をしたかによって評価を与えるというものだった。参考にした資料の量、どれほど広い分野、領域にまたがったテーマであるか、執筆時間などによって複雑に評価基準が決められていた。


 早苗は少し首をひねった。作品の出来栄えは努力量に比例するとして評価できるのだろうか。たしかに、時間をかけて推敲に推敲を重ね、自身の豊かな人生経験と下調べによって、丁寧に編み上げられた物語はさぞすばらしいだろうと想像できる。しかし、それで本当にいいのだろうか。感情を素直に書いた文章のほうが多くの人の心を打つかもしれないし、子供が口にした何気ない一言が文学的美しさの真理に一番近い可能性だってある。


 だが本来、このシステムの存在意義は、すべての働く人の仕事に対する評価を定量的に下し、モチベーションを保つことにある。それならば別にこの評価方法でもなんら問題はないのかもしれない。


 悩んだ早苗はふと、ソフトに自分で操作することのできる変数があることに気付いた。


「ロボット介入度……?」


 数値をいじってみると、小説家としての仕事に対する評価の基準が少し変わっている。不思議なことに、このロボット介入度という数値を上げれば上げるほど、努力量に対する評価の上がり方が大きくなった。つまり、少し努力しただけでたくさん評価されるようになったのだ。


 早苗は慌てて別の職業のソフトを立ち上げてみた。今まで見落としていたが、よく見れば、すべてのソフトにこの数値を変えることができる機能が備わっていた。そして、どの職業のソフトにおいてもロボット介入度を上げれば上げるほど、仕事量に対する評価基準が甘くなっていることが判明した。


「ああ、気付いたか」


 忙しなくキーボードを操作する早苗の様子を見て、ローテーブルの差し向いに座っていた萩は言った。


「すみません、僕、今までもしかしたらきちんと隅々までソフトの動作を確認することなくレポートしてしまっていたかもしれません。変数を操作してみることを忘れていたようです」


「いや、別にその変数はいじってもいじらなくてもあまり使用感に変わりはないよ。デフォルトの基準について確認してくれればそれでOKだから」


「このロボット介入度ってなんですか?ほとんどの職業においてデフォルトは80%でしたが」


「それは、人間が仕事をするにあたって、それをサポートしてくれるお仕事ロボットがどれくらい人間をサポートするかの度合いを示した数値だ。ロボット介入度0%なら、完全に人の手だけで仕事が行われたということを示していて、ロボット介入度80%なら、業務全体の八割をロボットが仕事をして、その残りの二割の仕事だけを人間に割り振ってあるということになる」


「割り振る?」


 少し言い回しが引っかかって早苗は聞き返した。


「人間がどれくらいロボットに仕事を割り振るかって話ですよね」


 萩は首を振った。


「いや、ロボットがどれくらい人間に仕事を割り振るかっていう認識のほうが正しい。この時代はスマート時代だ。基本的に人間にできることはなんでもロボットはできるし、本来なら仕事はすべてロボットにやらせておけばすべてうまくいく。なんならヒューマンエラーが減る分効率的ですらある。しかし、俺たち人間から労働というものを完全に取り払ってしまうとあまりよくない。労働は、生きがいや人生幸福度に影響をもたらすという研究結果が出ている。適度に仕事をしていたほうが人間は健康に生きられるから、仕事をした方がいい。だから、ロボットがやっている仕事を少し分けてもらって、仕事をさせてもらっている。人間が仕事をする意味は、人間自身の幸福のためだから、その仕事でモチベーションが下がったら本末転倒だ。だから、このシステムで、評価や給与を適切に算出して働く人々のモチベーションを保ってあげるんだ」


「ロボット介入度が上がれば上がるほど、自分で働く量が減って、労働から得られる幸福が少なくなるから、その分を評価や給与で補うというシステムですか」


「すばらしい要約だ」


 早苗は今ちょうど開いている医者のソフトでロボット介入度をいじってみる。10%まで下げると、評価の基準が非常に厳しくなり、成功したとしても評価はあまり大きく上がらず、ミスをすれば大きなペナルティが課せられることになっていた。ロボットに任せていれば起きなかったはずのヒューマンエラーの代償なのだろう。


「こんなシステムを作って、政府は何をしたいんですか?このシステムじゃ、ロボットに任せきりになって、国民は誰一人生産的な労働をしなくなりますよ。情報化時代が来てからの1000年以上の停滞は、もう決して変革できなくなります」


「そうかもね。これが大きな力なんだと思うよ」


「プログラマーの仕事は何%なんですか?」


「ロボット介入度は50%。かなり低い方だ。重要な仕事だから給与はたくさんもらえるけれど」


 萩は琥珀色の液体の入ったグラスをぐいと傾けて喉の奥に流し込んだ。


「社会に出て働いている国民はみんなこのシステムのことを知って働いているんですか?」


「知ってるのは一部の人間だけだよ。別に君が明日から学校に戻ってみんなにこのシステムのことを言いふらし、世界の仕組みや大きな力について演説しようと俺は止めないけれど、これを知らせる前に少し配慮してあげてほしい。労働で幸福を得ていた人が、その労働という行為に疑いを持ってしまったら、もう労働という行為から再び幸福を得ることが難しくなってしまうかもしれないからね」


 空になったグラスがローテーブルに置かれる。すかさずお手伝いロボットがやってきて、グラスに追加の酒を注いだ。彼は自分の仕事が誰にも評価されないから苦しいのではなかった。仕事そのものの空虚さを知ってしまって、その上で働いているから苦しいのだった。


「おっと、もう時間だ。インターンはこれで終わりだよ。気をつけて帰るといい」


 早苗はパソコンを閉じ、萩に一礼した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る