4 プレゼン

「次、早苗さん、発表お願いします。……早苗さん、あなたの番ですよ」


 先生の声がして、早苗はまどろみから現実に引き戻された。見ると、早苗の前の順番の生徒が発表を終え、自分の席に戻っていくところだった。あまりに発表の時間が退屈でうとうとしていたようだ。早苗は自分のノートパソコンを掴むと急いで教卓まで進み出た。


 校舎の中で一番と言ってよいほど大きな、すり鉢状の階段教室の席は、生徒と外部から発表を見に来た現職プログラマーでほぼ埋まっていた。普段感じることのないほどの注目と、視線の圧力に気おされるが、早苗は平常を装い、わざと少しだけのろのろとした手つきで自分のノートパソコンとプロジェクターを接続した。


 早苗の適当に作ったスライドがスクリーンに映る。


「あー、みなさんこんにちは。105期3組の早苗です。僕がプログラマーとしてどれほど創作意欲があるか、ということをみなさんに知ってもらうためには、この場でどのように話せば伝わるのかを考えました。まず、定義に戻って考えてみましょう。ここではいったん、プログラマーとして、という枠組みを無視し、広く創作意欲とはどのような感情のことを言うのでしょうか。創作意欲とはつまり、作品を作り出そうとする欲求のことです。この感情がなければ、この世のあらゆる創作物は存在しません。遥か昔、洞窟の壁に刻まれた絵画から始まり、粘土による造形、建築、刀剣、工芸品、小説、音楽、映画、数式、生活を豊かにする発明、機械、プログラム……。これらすべては創作意欲によってこの世に生み出された作品です。こう考えると、人類はこの創作意欲という感情とともに発展してきた、と言えるでしょう」


 早苗はスライドを切り替える。人類の誕生からの歴史がざっくりと書かれた年表が現れる。


「教科書から抜粋した、人類の歴史です。みなさんのご存じの通りでしょうが、9000年ほど前に人類は文明を発展させ、集落を形成していきました。人類はさまざまな作品を生み出し、いくつかは後世のある時点まで残存したり、形を変えて受け継がれていきました。人類の発展は早く、めまぐるしく世界は変わっていきました。そして、やっと1000年ほど前に人類の作品の一つ、コンピュータが発明されました。そこからはわずか50年ほどの短い期間で、コンピュータという分野は完成し、極まるところまで極まりました。そこからは停滞の期間に入ります。9000年前から1000年前までの人類はものすごいスピードで発展を続けていたのに、直近の1000年間は、技術のこまごまとした成長はあっても、大きく目立った社会全体的な発展はなく、ただ一定で穏やかなコンピュータ時代が保たれています。この停滞を良いととらえる人もいれば、憂慮している人もいます。実際に多くの社会学者が現代社会についての考察を論文にまとめています」


 手前の席に座る学生があくびをかみ殺すのが見えた。早苗にも、自分が今話題を逸らし、大きく脱線しているという自覚はあった。次のスライドは、社会学者による現代社会の現状について分析した論文資料の画像だったが、その解説を今するのがどうにもくだらないように思えて、一秒で飛ばした。もう、これ以上作ってきているスライドは無いので、文字のない真っ白な画面を映したまま話し続けなければならないことになる。早苗は、雑談をするかのように一人でだらだらと間を持たせて話し続けることは割と得意な方だった。少し唇をなめて湿らせる。


「ともかく、現代社会は停滞しています。さてここで、多くの社会学者が様々な説を唱えている問題である、なぜこんなにも人類は今停滞を続けているのか?という問いに、僕なりの解釈をしてみようと思います。僕は、現代の人間が緩やかに創作意欲を失ってきていることがずばり停滞の原因なのではないかと考えます。人はどんなときに何かを作り出したいと思うでしょうか。僕は、この世に自分が生きた証を遺したい、と思う時に、人は作品を作り出す欲求に駆られるのではないかと仮説を立てました。小説、映画などの芸術はもちろん、洞窟に刻んだ絵もそうです。子孫を残すこともそうかもしれない。僕は、創作意欲はけっこう性欲と似たようなところがあると思っています」


 この話の終着点はどこにしようかな、と早苗は考える。思いついたことをだらだらと話しすぎた。そろそろ広げた風呂敷を畳んでいかなくては。


「しかし、今や、僕たちの一生はすべてデータで管理されていると言っていいほどデータ化、スマート化されていますよね。何もしなくても、生きた証なんか勝手に遺るんです。その社会システムこそが、何かを後世まで遺したいと思う気持ちを緩やかに人間から奪っている。そして創作意欲を失った人間は停滞を始めるんです。数百年前から政府は国を挙げてプログラマー育成に力を入れています。それは、ここまで情報化、機械化してしまった社会において、社会システムになんらかの変革を起こすことができる可能性のある能力が、プログラムだけになってしまったからだと思います。プログラマーに期待されているのは、根本的な、社会システムの大きな革命です。革命を求められているのは、僕らがプログラマーだからじゃない。社会がプログラマーしかいじれない形になってしまっているからです」


 早苗は一呼吸置いてからまとめに入った。


「かなり紆余曲折な説明になってしまいましたが、ここまでの話で僕が言いたいのは、プログラマーとしての創作意欲というのは、種の存続意欲と同じように、人間としての創作意欲と切り離して考えられるようなものじゃないということです。僕は正直、プログラマーになりたいと強く思って生きてきたわけではありませんが、小説を書くのが趣味であるなど、人間としての創作意欲はかなりあると言えます。これで僕に一応は創作意欲があることが伝わるといいのですが。これで発表を終わります」


 早苗がノートパソコンとプロジェクターを繋ぐケーブルを引き抜いたところで、思い出したように遅れて、ぱらぱらと拍手が鳴った。


「じゃあ、質疑応答に入ります。何かある人は手を挙げてください」


 先生が声をかける。どうせ誰も質問しないだろうと高をくくっていたが、教室の後ろの方で手が挙がった。


「社会現象学を研究している者です。発表の中で、創作意欲という欲求は、性欲と似た欲求だとおっしゃっていましたが、あなたの中では、社会を変革するようなプログラムを創造することは、子作りすることと同じなんですか?」


 身なりからかなり立場の高い、偉い教授であることは予想がついた。少し語気に棘があるような気がするので、彼の社会に関する見方にそぐわない点があったのだろう。


「僕はプログラム行為自体で興奮することはあまりないですけど、プログラムも含めた作品の創作活動には興奮するものもあります。創作活動一般と性に関するあれこれは、自分の一部をこの世に遺しておくための行為という点で似ている、と述べただけです」


「そうですか」


 教授は言って、席に座った。嫌われたな、と早苗は察する。センシティブな話題を盛り込んでしまったのが印象に影響したかもしれない。淡々と質問に対応したつもりだったが、千葉との今朝の一件が頭の隅にこびりついていることを意識してしまう。エリートと呼ばれる集団に属していると、思ったよりも世界は狭い。研究分野が違っても、高度なところではつながりがあったりして、小さな人間関係のほころびが後々自分のキャリアの首を絞める可能性も大いにある。


「他に無いようなので、次、清水さん、発表をお願いします」


 先生は早苗に、席に戻るように手で促した。先生は中年と呼ばれる年齢だったが、少し青みがかかったカジュアル寄りのスーツを着こなし、白髪を無理に染めたりせずに少し銀の混じった髪を上品に撫で付けていた。早苗は、先生が実年齢よりも若く見える、こぎれいな印象の人物なのだと初めて意識した。

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