3 カフェテリア

 マンションを出たのは大学の講義の一限に間に合う時間だったが、プレゼンテーションは午後だったため、まだ時間はあった。


 早苗は大学のカフェテリアに入り、大きな南向きの窓際の中庭の芝生の良く見える席に腰を下ろした。カフェテリアには朝から自習をしているらしき真面目な学生がぽつりぽつりといるだけで静かだった。


 これなら集中してプレゼンの内容を考えられそうだ、と早苗は思った。実を言えば、早苗は今日の午後のプレゼンに関して今日という今日まで何も準備してこなかったのだ。今回求められているプレゼンは、教えられたプログラミングについてや、自分で行った技術の研究発表というわけではなく、プログラマーとしての適性を見るための適性診断という目的が大きいものだった。


「自分がプログラマーとしてどれほど創作意欲があるのかをアピールしなさい、か……」


 プログラムを作る時、誰かに命令されてそのとおりに組み立てることはもちろん必要なスキルではあるが、それ以上に便利なプログラムや、新しいプログラムを作るためには創造力が必要だと言われていた。新しいものを作り出す力をもつプログラマーこそが、これからの時代に必要とされているそうだ。


 このプレゼンをするように生徒に言ったのは、『創造学』という教科を教える先生だった。創造学の授業では、一切プログラムの勉強をせず、人間のこれまで生み出してきた発明や、発明という行為の重要性の話を聞くというもので、毎日難しいプログラムで頭を悩ませている学生の疲れた脳にとってオアシスともいうべき授業だった。先生はいつも、毎年使いまわしているスライドをプロジェクターで映して、それを読み上げているだけなので、つまらない授業といえばつまらない授業であった。しかし、居眠りをしていても成績には何の影響もないし、居眠りを厳しく取り締まるタイプの先生でもなかったので、多くの生徒はその授業の時間を昼寝に当てていた。


 早苗もその授業を昼寝の時間か、小説のストーリーを空想する時間にあてており、あまり講義をきちんと聞いたためしがなかった。そのため、いきなり来週プレゼンをしてくださいと言われて、泡を食った。先輩たちからの情報では、毎年の流れならば、スライドの資料を見ながらレポートを提出すれば単位を認めてくれるはずだった。そのはずなのに今年からは、政府の働きかけのせいなのか、シラバスに大幅な変更があり、現職プログラマーを呼んで、皆の前でひとりひとりプレゼンをさせるという方針に変わってしまった。


 今までの人生では、エリートとして高等な教育を受け、その試験にクリアしてきた早苗だが、それは巧みに先生や大人の言って欲しいことをくみ取って行動していただけだった。今回のプレゼンでも、先生が生徒に求めている答えはあるのだろうと推測できたが、いかんせん授業をまともに聞いていなかったため、先生の意図している答えがわからなかった。そもそも、先生の顔と名前も曖昧だ。


 少しでもちゃんと聞いていれば単位の危機に陥ることはなかったのに、と早苗はぼうっとしていた過去の自分自身に文句を言った。プログラマーになる気はなくても、単位を取って大学を卒業したい気持ちはある。単位を取るためには最低限先生が求めている答えを用意しておかなければならない。


「創作意欲なんかないんだよなぁ……」


 早苗は頭を抱えた。プログラマーになる気がないのだから、プログラムに対して、意欲などあるわけがない。小説のストーリーを創造するのは好きなんだけれど、と早苗は心の中でこぼした。


「あれ、早苗じゃん」


 後ろから声を掛けられて早苗が振り返ると、同じ創造学の授業を取っている男子学生が立っていた。ノートパソコンを小脇に抱えているが、右手にはカフェラテがある。パソコンを持って午前から来ているところを見ると、早苗と同じくプレゼン資料作成のためにここに来たのだろうが、カフェでコーヒーを買ってから優雅に登校するところに、早苗よりいくぶん余裕が見える。


「あ、午後のプレゼンのスライド作ってるんだ。俺も今から作るよ」


 学生は早苗の隣に腰を下ろし、パソコンを開いた。画面に真っ白なスライドが現れる。彼が持っているのは余裕ではなく無謀な図太さなのかもしれない。


「今から作って間に合うかな」


 早苗が言うと、学生は笑って言った。


「まあ、間に合わなくても大丈夫っしょ。噂で聞いたんだけど、このプレゼンは現職プログラマーに見てもらって、一番良かった人に特別インターンの権利を与えるためのプレゼンなんだよ。つまり、将来のコネのプラスはあっても、成績や単位のマイナスは無いってこと」


 ノーリスク、と学生は手をヒラヒラさせる。


「え、例年のレポートの代わりがこのプレゼンになったのかと思ってた」


「違うみたいだぜ。成績評価のためのレポートはレポートで別で出される。無くなんねえのまじだるいよな」


 ぶつぶつ文句を言いながらスライドを作り始める学生を見て、早苗は内心ほっとする。なんだ、これは特に成績に関係ないのか。じゃあ真面目に先生の意図を考えるだけ無駄だ。適当に思ったことを書いていればいい。間に合わなかったら途中まででもそこまで問題ない。


「それが聞けてよかった。適当に作るよ」


「ああ、そうしたほうがいい。こんな楽単に全力リソース割くの、もったいねえし」


 早苗は肩の力を抜き、窓の外の庭を眺めた。

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