─7─ 破損したデータが検出されました

「改めまして、わたしは黒点会のネモ。隠すのって趣味じゃないからバッチリ明かしちゃうけど、ロールはキャラクターだよ」


 わたしたちに向き直ったネモがそう言うと、わたしを含めてエリシャも、ヨウもぎょっとした顔になった。

 それもそのはず、この世界で自分のロールを明かすことにメリットなんか無い。それが『キャラクター』であるなら尚更だ。キャラクターは死んでも蘇生されない。つまり一回きりの命ということ。それなのに『リッターズ』にはレベリング目的で命を狙われることもある。


「おれは……エリシャだ。よろしく、ネモ」

「エリシャね! よろぴ!」

「あなたに対して敵意がないこと、敬意をはらって接することをしめすために、あえて言おう。おれはリッターズだ」

「そうなんだ〜! 黒点会にはリッターズがいないから、PTパーティー組むのって初めて!」

「……こわがったり、しないのか?」

「ん? ぜーんぜん! わたし命狙ってくる系リッターズって見た事無いんだよね〜。ぶっちゃけ都市伝説だと思ってるっていうか。ほら、リッターズって言っても所詮同じ『ヒト』でしょ? ヒトがヒトを殺すなんてさ、おかしいよね〜。たかが物凄い魔法を一個使えるようになるってだけじゃん? そんなことのためにヒトをたくさん殺せるヒトって、めっちゃレア! みたいな?」

「…………」


 エリシャは沈黙に申し訳程度の苦笑いを添えて、それからわたしにちらりと目配せした。彼の言わんとすることを察して、わたしもネモにバレないように小さく頷く。

 ───この人、ちょっとまずいかもしれない。

 あのラズロと同じパーティーの所属だなんて思えないくらい、ネモは人の悪意を疑わなさすぎる。だからわたしたちを信用してくれている、とも取れるけど、この子はちょっと……不安になるくらいの善性の塊だ。


「で、あなたはコヒナと同じライターズだよね?」

「えっ? ああ」


 いつの間にか顎に手を添えて、物思いに耽っていたヨウが顔を上げた。明らかに動揺した震え声に、ネモはからりと笑って「コヒナと雰囲気似てるもん。だと思った!」と続ける。


「似て、る……? ハハ、そんなこと初めて言われたよ。どうもお嬢さん。ライターズのヨウだ」

「ありがとっ。ライターズじゃないなんてはぐらかさないでいてくれて」

「は……?」

「ヨウおじさま、わたしにまだ何か黙ってることなーい?」

「……何のことだか、さっぱり」


 ネモとヨウはしばらく見つめ合って───いや、ヨウの方は完全にネモを睨んでいたと思う。

 驚いた。ヨウが女の子に対してそんな顔をするなんて思わなかったから。

 でも、たしかに、ヨウは自分がライターズだと明かすことに慎重なタイプだ。わたしにさえ長らく言わなかったんだもん。初対面のネモにいきなり自白させられて、良い気がしなかったのかな。

 それとも……何かあるのか。まだ顎を頻りに摩って、厚い靴の底で苛立たしげにリズムを刻んでいる、この人に。


「いいよっ。急に変なこと言ってごめんね? コヒナ」

「う、うん」


 謝る相手が違うんじゃないのか、とか。

 そんな些細な抗議をする隙も無かった。ネモはびしっとエントランス奥の二枚扉を指さして、「それじゃあ早速行こー!」と陽気に宣言する。


「結構広いからサクサク見て回らないと夜になっちゃうよ〜。やっぱり明るいうちに見て回っちゃいたいよね!」

「俺も同感」

「あは! 良かった! それじゃネズニア精神病院ツアーにレッツゴー!」

「ゴー!」


 さっきまでの剣幕が嘘のように、ヨウはノリノリで拳を掲げてネモの後に続いていく。

 ネモには、なにか秘密がある。

 でもそれと同じくらいかそれ以上に、きっとヨウにもなにかがある。


 ところで───この病院には案内図みたいなものって無いんだろうか。これだけ大きな病院なら、このエントランスのどこかしらにあってもおかしくないと思うんだけど。

 病院って多分、エントランスの向こうに受付みたいな場所があって、椅子がたくさん並んでいて、そこで名前を呼ばれるのを待って個別の診察室に案内される感じだよね? そう思ったら中の構造はある程度想像ができる。あの二枚扉の向こうに広い待合室があって、更に奥へ行くと診察室や、病室があるはずだ。ここは『末期の患者の収容所』らしいから、売店や美容室、シャワールーム、リハビリルームなんかもあるかもしれない。




 ───そうそう。だって、わたしもそうもん。医者の秀英しゅうえいが勤める大きな病院。そこに運び込まれた主人公は、病室のカーテン越しに、ある人物と話をするんだ。それが主人公と彼との初めての出会いだった。だから主人公は、彼が全身傷だらけの男だとは知らず、その声と天井に立ち上るだけを見て、彼をとても美しい男なんだとばかり思い込んでしまった。

 …………って、


「………………なんの、話だ……?」

「お嬢?」

「!」

「お嬢! だいじょうぶか?」




 両肩を強く掴まれる。わたしはびくりと飛び跳ねて、わたしの顔を覗き込んでいる彼───エリシャを見た。何度か瞬きして、霞んでいた視界が少しずつ戻ってくる。滲むような色の赤い花束だと錯覚していたのは、高い窓から降り注ぐ日光を浴びたエリシャの赤い髪だった。

 そうだ。彼がこれから冒険者という新たな人生のために用意した白の二段コートも、医者の白衣なんかじゃない。

 なにか、大事なものが混ざっている変な感じ。決して嫌な感じはしなかった。嫌だって、わたし思わなかった。

 でも、今たしかにわたしの『心』はここに無かった。───じゃあ、どこに?


「お嬢」


 エリシャの手が少し迷って、わたしの肩から腕へと滑り出す。彼はわたしの所在を確かめるかのように腕を伝い、手首を握り、最後にとうとう両手を包み込んだ。


「どうかしたのか。いや、……どうかしたのなら、教えてほしいんだ。おれは、たよりにならないか?」

「えっ? なんでそんなこと聞くの?」

「……ッ、今はおれがきいている」


 エリシャは一瞬わたしから目を逸らしたけれど、すぐにまたこちらをキッと見つめ返してきた。

 出会ってすぐの印象はその喋り方も相まって穏やかで優しそうに見えたけど、その実、彼は正義感の強さのあまり、頑なに譲らないことがあった。わたしが勝手に行動して心配をかけたから……というのもあるんだろうけど、そうは言ってもエリシャからここまで強く詰められるだなんて思ってもみなかった。


「どうもしない。頼りにしてるよ、エリシャ」

「…………」

「どうかした? って聞きたいのは、わたしの方なんだけどな」

「……気を、わるくしたら、すまないが」

「うん?」

「やはりあなたは、ユウジンに似たのだな」

「な…………ッ、えぇ?」

「思いだしたんだ。あなたは、わらった顔がユウジンによく似ている」


 聞き間違いかと思った。


 ユウジンに似ている?

 笑った、顔が?

 ───笑った……顔が……?


 わたしが何も言い出そうとしないのを見て、エリシャはようやくわたしから『何があったのか』聞き出すことを諦めたようだ。別にエリシャのことを信用していないわけでも、頼りにしていないわけでもないけれど、だって彼に言ったって仕方ないような気がしたんだ。何もかも、全部。

 わたしには記憶が無くて、エリシャのことも覚えていなくて、エリシャが知っているユウジンの姿もわたしは知らない。わたしは、ユウジンの笑った顔なんて一度も見たことが無い。もしエリシャがそれを知っていると言うのなら───彼から笑顔を奪ったのは、紛れもない、わたしだ。そんなことをエリシャに言えるわけが無い。言ったってどうしようもない。仕方がない。


「ふたりと離れすぎてもいけない。いこうか、お嬢」

「そうだね」

「もう、ここで見ておきたいところはないだろうか」

「大丈夫。少し気になることはあるけど、多分大したことじゃない。他の部屋にももし似たようなものがあればその時にエリシャにも話すよ」


 何気無くそう返して、───水槽のことをわたしは言ったつもりだったんだけど───エリシャの方を振り返ると、彼はやっぱり気難しい顔をしてわたしをじいっと見ているのだった。


「あの、エリシャ? まだなにか?」

「なんでもない」

「本当に? エリシャ、おーい」

「ほんとうに。なんでも、ない」


 エリシャはわたしを素通りしてつかつかと扉の方へ進んでしまう。それでもわたしが追いつけなくなったりしないよう、歩く速度は落としたままだ。

 ───なんかムキになって、変なの。

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