─6─ 仲間 plus
出る───。
道中、ヨウが何回その言葉を口にしたか分からない。
小ネズニア地区で馬車を降りて五分も歩かないうちに、景色は鬱蒼と茂る森の中。カラットの街は広いから、この森も四分の一くらいはぎりぎりカラットの敷地だ。
昼過ぎにしては暗い気がするのも、なんだかやけに肌寒いのも、ここがカラット最北端の地だからと思えば納得がいく。
だというのに……
「絶対出る」
「うるさーい! 出る出る言うと本当に出るよ! いいの?!」
「良くないやい! ちょっともう勘弁してよ……大体今は肝試しシーズンじゃないでしょ……」
「シーズンじゃないうちに調査しておかないと、ウェーイな学生さんたちに邪魔されて隅々までチェックできないもん」
「いいじゃんもうウェイを肉壁にしようぜ?! ウェイ系の肉壁なら絶対強いって!」
そんな迷わずウェイを肉壁にしようと提案するなんて、ヨウはウェイに恨みでもあるの……?
「お嬢、『うぇい』の学生って、なんだ?」
「多分冒険者にはならなさそうな人たちだよ」
「コヒナちゃまもなかなか言うじゃあん…………」
やたら顔の周りを飛び交う羽虫を払い除け、数日前の水溜まりを避けながら歩く。
雑談のネタも尽きてきたわたしたちの前に、半分くらい塗装の剥げた、浅葱色の看板が表れた。
「この先ネズニア精神病院! 良かった、もうすぐだね」
「この石階段のむこうか。病院なのに、ずいぶんきゅうな階段をのぼらせるんだな。患者にはふべんだろうに」
「ここは『通う』病院じゃないからな。これでいいんだ」
「先生、どういうこと?」
「ネズニア精神病院は末期の患者の収容所。ここに入れられたら終わりさ。死ぬまで病室で暮らして、死んだら裏の墓場行き。大方、お医者か警備員に引き摺られてこの階段を昇ったが最後、遺体ですら退院することは無いだろうよ」
「えっ…………」
ざわざわざわ…………。
揺れる木々がまるで、クスクスとわたしを嘲笑うかのよう。
ようこそ、ようこそ。ネズニア精神病院へ。ここは頭のおかしい愉快な仲間たちのおうちだよ。ここは新たな仲間を歓迎するよ。裏にはトクベツ・スイート・VIPなベッドルームも用意済みだよ。ようこそ、ようこそ───クスクスクス───ざわざわざわ……。
「…………」
「コヒナちゃま、階段疲れちゃった? 先生がおんぶしてあげようか」
「い、いや大丈夫!」
「そう? 立ち止まってぼうっとしてるから、てっきりもうリタイアかと」
リタイア?! ちがうちがう! そんなこと……!
「怖くなんかないもん!!」
二人を追って、階段を一つ飛ばしに駆け上がる。
ざわざわ、ざわざわ。木陰がにんまり笑うみたいに、不思議な弧を描き出す。わたしの耳元を擽るそよ風。それとは反対向きに、何故か背中を押してくる生暖かい風の動きも感じる。
「何なのっ、もう〜?!」
引き返すなんて許さないよ。森の中の愉しいおうちは、いつでもお客さんを大歓迎するよ。
わたしは頭の中に流れる奇妙な声に顔を引き攣らせながら、足をぱたぱたと動かし続けるだけの、人形のようになっていた。そう、まさしく切り絵の人形のように。指で操られて足を回転させているだけ。
「ひ、えぇ〜〜〜〜っ!」
わたしの手が勝手にヨウと、エリシャの背中を突き飛ばす。
二人はびっくりしてわたしを振り返ったけれど、その時にはもうわたしは病院の正門をくぐり抜けていた。
『ようこそ ネズニア精神病院へ』
アーチ状の門に書かれた文字は、雨風でぐちゃぐちゃどろどろに溶けて、あちこちに蜘蛛の巣が張っている。ていうか、精神病院なのに『ようこそ』って何?! できれば一生涯のうちに一度もかからない方が有難いような場所では?!
触れるのを躊躇うほどの真っ黒い扉は錆だらけ。それでも今のわたしには関係無い。何かに操られるように、唆されるように……わたしの両手はべちゃり! と扉に押し付けられた。
誰だよ。定期的に肝試しに使われるから廃病院にしては比較的綺麗な場所だなんて言い始めたの。
「きッッッッッたな!」
なんで扉なのにヘドロみたいな感触なの?! おかしくない?!
溶けかけの変な塊っていうか、側溝にへばりついてる泥みたいな……とにかくなんでこんなものが扉に付着するんだよ!
半ば体当たりで扉を開けたわたしの頭の中で、「いえーい!」「ふーぅ!」と無邪気な声がする。なんで精神病院の幽霊(?)が『ウェイ』なんだよ……。
もう、ここに来るまででヘトヘト……。
わたしという客で遊び疲れたのか、それきり頭の中の幽霊たちは話しかけてこなくなった。さっきまで背中に感じていた妙な空気も綺麗さっぱり無くなってるし。
わたし、無駄に前髪までベタベタになっただけじゃん……。
「うぇえ〜っ……ほんと、なんなんだよこの泥……うわ! レースに滲んでる!」
「ホントじゃーん! 超最悪! マジでテンションぶち下がるよね〜」
「ほんとにもうっ。このフリルエプロンもお気に入りだったのに」
「だねだね! でも汚れちゃっても超〜カワイイよっ! コヒナってばめちゃセンス良すぎ! 自分の強み活かしまくりっていうか、自己プロデュースの神! みたいな?」
「えっありがと、う……………………って」
───誰…………?
とっても長い、鮮やかなオレンジ色の髪。頭の左上でお団子を作って、そこからは一本に緩いカーブを描きながら伸びている。こういう髪型、サイドテールっていうんだっけ?
大胆におへそを見せた黒い衣装に、フリルたっぷりのミニスカート。ぴっちりとしたニーハイソックス。この世の可愛いものを掻き集めて凝縮したみたいな、圧倒的な美少女───。
「……………………あなたが、ネモ?」
呆然とするわたしを前に、ネモは間髪入れずに「そうでーっす!」とポーズを決めた。
腰に手を当て、右手でピース。ひらひらフリルのフィンガーレスグローブから伸びた指には、これでもかってくらいにツヤツヤのネイルが輝く。
「金烏亭、黒点会のネモでーす! ネモって呼んでねっ!」
「それ以外に呼び方あるの……?」
「うーん無いかも! ネモとか、ネモちゃんとか、他に呼ばれたことな〜い。コヒナがわたしにあだ名とか付けてくれる感じ? だったらめちゃ歓迎なんだけどっ!」
「すぐにはパッと思いつかないかも。ごめんね」
「全然いーよ! じゃあこの調査が終わるまでに考えといて〜っ。わたしもコヒナのあだ名考えとくから!」
よろしくねっ! と、ネモは音がしそうなくらいキラキラのウインクをしながらわたしの両手を取った。
汚れてぐちゃぐちゃのはずのわたしに握手して、ネモの綺麗な服まで泥が着いてしまう。わたしが慌てて払い除けようとすると、なんとネモはその手で自分の顔をぽりぽりと恥ずかしそうに掻いた。
「あはは、どろんこなっちゃった〜! お洗濯大変になったらラズロ怒っちゃう〜!」
「ネモ……!」
「可愛い服台無しってさ、ショックだよね〜。やる気ゼロ不可避みたいな! わたしもそういうのすっごいあるある! だからさ、今度一緒に新しい服買いに行こっ。今のより超可愛いの、二人で! 良くない?」
グイグイ来るネモの提案にわたしがぽかんとしていると、「お嬢……!」と、エリシャとヨウの声がエントランスに響いた。
「おーい! コヒナちゃま! ああ良かった、やっと追いついた。ったくとんでもなく重いドアだった! おまけに汚いのなんのって……よく一人で開けられたな」
「ヨウ先生!」
「ん? ああ、なるほど。道中コヒナちゃまが話してた助っ人さんか。ふふ、二人ともそんな泥だらけになって。一緒に扉に体当たりでもしたのか?」
「ま、そんなとこでーっす!」
ネモが明るく笑い飛ばしている。
たしかに辻褄は合ってるけど……あれ? ネモって最初からエントランスにいた? わたしが入ってきたときにはもう、いたんだよね? でもその時のネモはどこも汚れてなかったような……。他に入口があったのかな?
エントランスを見回しても、特に出入口になりそうな場所は無い。窓の位置はやたら高くて(きっと患者さんの脱走防止なんだと思う)、壁は白塗りガチガチの『コンクリート』。旧文明の技術を駆使した建物だなんて、凄いなあ。きっと閉鎖される前は相当お金のある病院だったに違いない。
他に特徴的なものといえば───エントランスの中心にある大きな水槽。これ、なんだか見覚えがあると思ったら、スメラギのアトリエで見たものと形がそっくりだ。随分透き通った水がいっぱいに入っているけれど、魚が泳いでいるわけじゃない。どこからか水は循環しているみたいだ。空気の泡がぐるぐる動いている。
「よーし、全員揃ったね! とりあえず先にスメラギに報告しちゃっていいかな? 無事に会えたよ〜って言っとかないと、多分心配しちゃう」
「うん、そうして」
「はーい! ちょっと待っててね」
ネモが耳にはめた遺物をこつんと叩く。わたしたちに背を向けながら、「やっほー! ネモでーす!」と話し始めた。スメラギも付けていたあの遺物、簡単な通信のための機械なんだ。わたしも導入した方がいいのかな……なんて、ここにはいないアラクランの顔を思い出して溜息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます