─14─ 余計

 カーテンの隙間から朝陽が射し込んできていた。布団からはみ出した足をちりちり焼いていじめてくる太陽に、わたしは「ううん」と唸り声で抵抗する。

 昨日は大冒険だったんだ。あれから何故かわたしに懐いてしまった小さなゴブリンと泣く泣くお別れをして、村の人たちへの挨拶もそこそこに真っ直ぐ宿へ帰ってきた。思ったより帰りが遅くなって、親父さんはわたしの顔を見るなり「バカもんがーッ!」って叫ぶし。……なんでわたしのせいで遅くなったって決めつけるんだろうね? 大正解なんだけどさ。


 くぅん。ピスピス。


 ……ああ、そうそう。ゴブリンと仲良くなってしまったせいか、昨夜は変な夢を見た。ゴブリンやコボルトや、ウィスプや色んな生き物と友達になって、森で一緒にピクニックをする夢。すごく幸せだったけれど、生活圏が大きく異なる彼らは皆思い思いのお弁当を持ち寄って、わたしに分けてくれようとした。それが、もう、とんでもなく悪夢で……。わたしはまるまる太ったカブトムシの幼虫とか、ハトのこう……口から戻した……消化液まじりの『なにか』とかを口元に運ばれながら、勘弁してくださいって命乞いをしていたっけ。

 そう……その時耳元で聞こえていたコボルトたちの鼻息が今でも耳にこびり付いていて───、そんなわけあるか!


「?!」

「きゃうんッ!」


 わたしは慌てて布団を蹴り上げた。するとわたしの上からころりんと、見たことの無い空色が転げ落ちる。

 空色の……毛玉? 三角の耳と、フサフサのしっぽが生えている毛玉。わたしがちょうど両腕の中に抱え切れるくらいの大きさの……、こ、こいぬ?!


「犬だーーーーッ?!」

「ワンッ! ワンッ!」


 そのワンッ! はそうだよ! の意味?

 それとも違うんですけど! の意味なの?

 子犬が飛び跳ねる度、伸びっぱなしの爪がカチカチとフローリングにぶつかって、軽やかな音が響く。この子は何者……? わたしのいない間に誰かが犬を飼い始めたの?

 わたしは寝間着のまま床に腹ばいになって、「おーい」と子犬に話しかけてみた。


「おはよう。どこから来たのかなー? きみの飼い主は誰かなあ」

「ワンッ!」

「飼い主がいないならわたしがもらっちゃ……んん?」


 この子、左耳に変なタグが付いてるな。大ぶりのピアスみたいに付けられた丸いタグ。覗き込むとそこには、『66』と数字が刻まれている。タグは綺麗で、最近付けられたものに見える。まさか、それが名前ってわけじゃないと思うけど……。


「ねえ、きみの名前はろくじゅうろ……」


 ぐんにゃり。───子犬の形が歪む。


「えっ?!」


 まだわたしは夢を見てるの……?!

 子犬がぐんにゃり、どろりとシルエットを溶かして、空色の毛がまあるくなって……まるで人の頭みたいに!

 そこから肌色が伸びて、伸びて、ついに子犬は人間の形になった。骨と皮だけで出来ているみたいに、不健康なほど細い人間の姿……!


「なッ……」

「くぅん」

「あっヒト語は話せないまま……?」

「ぷしっ」

「クシャミ……。寒いのかな? ちょっと待ってて」


 子犬だった人間は素っ裸だ。そりゃあさっきまで犬の姿をしてたんだから当たり前か。猫背だからかわたしとそんなに身長も変わらなく見える。きっとわたしの服なら難無く着られるだろう。

 それに……うんうん。ガリガリに痩せてるけどふんわりした髪の毛も、まんまるのツリ目やツンと尖った鼻もとっても可愛い。クローゼットの中身を思い出すだけで、ニヤニヤ笑いが浮かんできちゃう。ふふ、きっと何を着せても似合うぞ!


「ガウッ! ガウッ!」

「暴れないのー! パニエがずり落ちちゃう!」

「くぅん……」

「袖が長いのが嫌いなの? じゃあ違うブラウス持って来てあげるから待ってて。待ってて! 待て! ……犬なのに『待て』しないの……?」

「ぷぅ」

「ぷぅじゃないよ。さっき自分でこっちの色にするって言ったんじゃん。ええ〜また着替えるの? しょうがないなぁ」


 変身子犬ちゃん(安直なあだ名)のファッションショーに夢中で、わたしは小さく控えめに響いたノックの音に、全く気付いていなかった。

 コンコンコン───、「コヒナさん? 何してんすか? ……コヒナさん? 開けますよ」───ソウビはとその後一時間近く言い張る羽目になったという。


「わーーーーーーッ?!」

「ッあ?! はい?! ちょっ、なッなんで下着!」

「違くて! 違くてーっ!」

「ヒッッいや失礼しました!!」




「……つまりロロの着替えに夢中で自分はパンイチでウロウロしていたところをソウビに見つかったと」

「パンイチじゃないです! 上も着てました! ね、ソウちゃん!」

「あんま変わんねぇんだよ視覚から来るショックの割合的には!!」


 ソウビの台パンでテーブルに並んだトーストが飛び跳ねた。そんなに怒らなくても良いのに。事件の発端になった変身子犬ちゃんこと『ロロ』は、子犬の姿に戻って床でぺちゃぺちゃとミルクを飲んでいる。

 カウンターでは朝の仕込みの真っ最中である親父さんが、はァ……と盛大に溜息をついた。昨日もわたしに雷を落としたばっかりだから、彼はここ半日でわたしに気苦労を掛けられていることになる。


「親父さん、ロロってなにもの?」

「リンが連れ帰って来たんだ。調査依頼で赴いた廃病院で、奥の物置に隠れてたんだと」

「ふぅん……」


 リン兄が子犬を連れ帰って来る───あんまりイメージ的にしっくり来ないけどな?

 わたしがそう思って首を傾げているのが、ソウビには何となく伝わったらしい。彼は頬杖をついて気怠げに、「交渉材料にするらしいっすよ」と呟いた。


「交渉?」

「あの野郎、うちのパーティーのリーダーを降りるつもりでいる」

「え……、え?! なんで?! 急すぎない?」

「急でもねえ。あいつ元々リーダーなんてやる気無かったんだ。タスクが兄様兄様ってまつり上げるから成り行きでそうなっただけで、奴には大義名分も夢も無い」

「えぇ……?」


 ソウビとリンが仲の悪い兄弟であることは知っていたけれど、なにもそこまで言わなくたって。わたしのドン引きオーラを知ってか知らずか、ソウビは何食わぬ顔で話を続ける。


「ロロを使ってユウジンさんをうちのリーダーに据えたいんすよ、あのクズは」

「……? えっと……話がよくわからない」

「リーダーになればロロの命は助ける。そうでなければ殺す」

「は……、えっ?! な、なんで……!!」


 立ち上がったわたしの足元で、ミルクの入った浅い器が揺れる。

 ロロが「ぴゃう」と鳴いたのは多分、ミルクが零れてしまったからだ。親父さんが新しいミルクを持って此方に来るのが見えたから、わたしはそのままソウビと話を続けることにした。


「なんでそんなことになってるの……?」

「コヒナさんに言ったってしょうがねぇすから事情は話しませんけど、どうしても『何故』と思うならリンに直接聞いてください。悪気がねえから馬鹿正直に全部ぶっちゃけてくれますよ」

「…………」

「……ユウジンさんのこと、ずっと誘ってるのに良い返事を貰えねえままだから」


 陰鬱な空気に、見かねた親父さんが「当たり前だろう」と口を挟んだ。


「あんな事があった奴なんだ。あいつはもう、冒険者を辞めた気でいる。ワシからも何も言わんよ。冒険者を辞めたって、あいつに関しちゃあうちにはどれだけ居座ってくれてもいい。世話になったからな」

「リンは納得しねえんだ」

「だから、それがおかしいって言ってる。外野がどうこう言うんじゃない。ワシはあいつが生きていてくれるだけでもう、結構だと思っとるんだ。あんまり刺激しないでやってくれ」

「俺に言われても」

「ああ……そうだな、悪かった。今度リンにも直接言っとくよ」

「キャン、キャン」

「おお、ロロ。どうした? お、おい待つんだ! こら! そっちは厨房!」


 親父さんの足の間をびゅんと駆け抜けて、ロロが厨房へと入り込んでいく。ミルクでお腹の調子が良くなって、もっとガツンとしたものが食べたくなっちゃったのかな? ちょうどお肉の匂いが漂ってきたから、本能に抗えなかったのかもしれない。

 ……ともかく、あんな元気な子犬を交渉のために生かすとか殺すとか言い出せるくらいには、リン兄も切羽詰まってるわけだ。彼がどうしてユウジンに拘っているのか、わたしは完璧には理解できないけれど、───最強とまで言われた人が剣を置いて、その力を眠らせ続けていることが本当に『幸せ』なのか? ということに関してだけは、わたしにも引っかかるものがある。


 その時、カラランとドアベルが鳴った。

 わたしとソウビが玄関を見やると、そこにはエリシャと───会うのは随分久しぶりに思える、ヨウ先生が立っていた。

 二人は和やかに会話していて、なんだか顔見知り以上には親しそうに見える。

 そう言えば昨日、朝になったら一度教会へ戻って挨拶をしてくるとエリシャが話していたっけ。ヨウとはそこで落ち合ったんだろう。


「やあ、コヒナちゃま」


 ヨウは冗談っぽく肩を竦めてわたしに声を掛けると───わたしとソウビのどんよりした気配を遅ばせながら感じ取って、濃い隈が落ちる頬を引き攣らせた。


「えっ何……? もしかしてなんかあった……?」

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