─13─ Shoot!幕
オーガの動きは決して速くない。開きっぱなしの口から漏れる唸り声と、びっしり生え揃った鋭い牙。白目の無いぬるりとした眼球にさえ怯えなければ、ただすっとろいだけのパンチを繰り返すデカブツに他ならない。
「よく見て動けよ。両腕を後ろに引いたら飛びかかってくる。右足を引いたら左足を軸に回転蹴りをしてくる。パターンを読んで確実に回避するんだ」
「わかった!」
わたしより戦闘慣れしている英知のアドバイスも的確だ。
正面に立たず、技が繰り出された後の隙を見て後ろに回り込み、攻撃を仕掛ける。大きな技を放った後はチャンスだ。体勢を立て直すために、オーガも反撃が疎かになる。
危険な飛び掛り攻撃も、予兆の動作に気付ければなんということは無い。冷静に相手の動きを見極めて、最短距離の回避に専念。ジャンプしたオーガの股下を滑り抜ける。ターゲットを見失ったオーガの背に飛び付いて、あとは双剣を突き立てるだけ!
「はァッ!」
「ウグァアアアアアアアア……!!」
そしてもう一発、バランスを崩したオーガの上で前転すると、項へ一気に滑り落ちる。炎を纏う刃で首を狙ったけれど……
「わあ?!」
熱さを感じ、反射で暴れたオーガに振り落とされ、わたしは地面を転がる羽目になった。
いくら死角を狙っても炎魔法を多用すれば気付かれてしまう。もっと技の速さを上げるか、振り落とされない力でしがみつくか、炎魔法を封印するか……だ。
「そうだ。攻略方法はいくらあっても困らない。トライアンドエラーで学ぶんだ。そしてそれを存分に楽しむといい」
「……わかった!」
楽しむ───、戦うことを楽しむ。
なんだかわたしにはまだ辿り着けない領域の話をされている気がするけど、あるいは……『昔のわたし』が既に到達していた領域なのかな。
考えるわたしをよそに、英知が指を鳴らした。蛇腹剣に眩い紫電が伝う。それをオーガの腕へと振り翳して───
「あっ!」
わたしは思わず声をあげた。
すごい……! あんなに太くてパワーに溢れた腕へと蛇腹剣が巻き付いて、オーガのパンチを止めちゃった!
オーガは何度も腕を振り下ろそうとするけれど、動けば動くほど蛇腹剣の鉄菱が食いこんでいく。
雷の魔法を纏った蛇腹剣は、それだけではなくオーガの体に電流を注ぎ込む。オーガはガクガクと全身を震わせて、目を剥いて唸るばかりだ。
「ヒーラーがいないならひたすら回避。隙を見て束縛。後はとにかく高火力で叩きまくる」
英知が早口に捲し立てる。きっとこの束縛も長くは続かない。わたしはハッとして頷き、再び刃を握る手に力を込めた。
あの時みたいに───地面を引っくり返した時みたいに、いや、それ以上の炎を。人を守るためではない、救うためではない、今目の前にいるオーガを燃やし尽くすための炎を。
命を、奪うための、炎を。
「───〈私の炎。私の怒り。私の復讐を、ただの、誰にも、消させはしない〉」
わたしは、知っている。
わたしは、この言葉を、知っている。
「〈消させはしないぞ〉……!!」
刹那、ゴウッと派手な爆発音がわたしの鼓膜を焼いた。
熱い。寒い。それすらも分からないほどに、炎はわたしを燃やしている。火炎の中で見つめたわたしの手に傷は無く、そして微塵の血の気も無く、ああ、飲み干したイリクサの効力もきっとこれで使い果たしたな……なんて、冷静に考えた。
地面を蹴る。トン、と浮かび上がったわたしの体はオーガの真上まで飛翔する。
わたしの背には、今まさに燃え盛る赤黒い翼があった。羽ばたく度にパチパチと弾ける音は、わたしの耳のすぐ後ろまで迫っている。巨大なコウモリを思わせる双翼。それぞれの鉤爪に、マグマのようにめらめらと煮立った火の球が握られている。
「コヒナ!!」
英知の声が聞こえる。わたしは静かな頷きだけでそれに応えると、翼から火球を放った。どうすればいいのか、この炎を、翼を、どう扱えば良いのか───わたしは本能みたいにそれを感じ取っている。
両翼から撃ち放たれた火球はやがてひとつになって、回転を加えながらオーガの脳天にぶち当たった。身動きの取れないオーガが揺れる。ぐらり、体を逸らして、蹲って……『やってくれたな』と、そう言わんばかりに顔を上げたオーガが目にしたのは、
「ア、ギャ……!」
───すぐそこまで迫った、わたしの姿だ。
わたしは双剣を振り抜いた。
見開かれたオーガの目玉に、何の躊躇いもなく二本の刃を突き刺した。
「イギャアアアアアァァァァッ───!!」
眼球は二つ。双剣も二つ。なら、やることは一つに決まってるんだ。どんなに残酷と言われても、こいつが村の人に……そして、ゴブリンたちにしてきた仕打ちを思えば、この程度の痛み!!
「ア゙ア゙アアァァァァァァァーーーッ……!!」
「〈原初の炎は、『はじまりの
燃える。
オーガの体が燃える。
すべてを焼き尽くして燃える。
わたしとすべてを焼き尽くして燃える。
わたしの翼が焼き切れ燃える。
わたしの体が燃える。
落ちる。
「あ、…………」
翼を失ったわたしが落ちる。
地面は遠く、背中に風を感じている。
わたしの視界に舞う灰は、きっとオーガだったもの。良かった。わたしたちは勝ったんだ。きっとこれで村の人たちの恐怖は、ゴブリンたちの無念は、焼かれて消えた。
もうこの洞窟を真に支配していた悪者はいない。
わたしはふっと笑って、それから「よかったなあ」と呟き、目を閉じた。
「……、…………お嬢、………………お嬢!」
「う……んん…………?」
誰かの声がする。優しくて、少し発音がおぼつかない、声。
体に痛みは無い。目も開けようとすれば普通に開く。だけどちょっぴりぼんやりする頭で、わたしはむくりと起き上がった。その時も誰かの腕の支えを感じた。……教会のお香の匂い。エリシャの匂いだ。
「エリシャ……!」
「!! 立って、だいじょうぶ、なのか」
「うん? うん。全然平気。なんにも痛くない。エリシャが治してくれたんだよね? ありがとう」
「おれはそのためにここにいる。そうだ、やつが……」
「?」
エリシャが辺りを見回すのにつられて、わたしも周囲を確認した。
オーガの姿は綺麗さっぱり消えていた。やっぱりあのまま灰になって、完全に討伐を成し遂げたらしい。
戦闘に必死で気付かなかったけれど、洞窟の奥には随分と細い道があるようだった。あんな場所、オーガじゃ入れるわけが無い。人間の子供か、それとあまり変わらない大きさの若いゴブリンくらいしか、あそこを通り道として使えなさそうだけれど……一体何のために?
「あの道は?」
「おれがお嬢を見ているあいだ、アラクランに偵察をまかせた。そろそろ戻るころだとおもうが」
「わたしも中を見たい」
「もうすこし待ってくれ。どんな危険があるかわからない」
エリシャがわたしの手を掴む。今度は絶対に先に行かせないぞ、という鋭い目をしていた。もしかしたら、怒らせるとユウジンより怖い……?
「わ、わかった……」
「お嬢ちゃま! 目が覚めた?!」
「わっ?!」
すんごく反響する声! アラクランの元気すぎる声も、今じゃちょっと懐かしくて切ない感じだ。
細道から上半身を捻り出して、猫みたいに滑り出てきたアラクランは、腰に下げた荷物袋を目の前で引っくり返して見せた。
「えっ……これは」
「中にあったんだ。お宝でもあんのかと思って漁ってたけど、全部こんな感じ」
震える手で一つ一つ拾い上げる。
それは結んだ木の枝で作られた小さな剣のようなもの。そして枯葉を繋げて作られたドレスのようなもの。色とりどりの木の実を潰して木の薄皮に描かれているのは、ゴブリンに似た緑色の生き物と、……人間の、子供……? これは、女の子の絵だ。
「こっちはびっくり箱みたいだ。すごい。きっと人間が捨てたゴミからつくられたんだろう。ゴブリンたちがつくったのだろうか……? ほら、まだうごくぞ」
「うっわ〜マジだ! 子供のオモチャなんて作ってどうすんだろね。ゴブリンもこういうので遊ぶんかな? 案外ニンゲンに対して友好的なゴブリンが住んでたとか?」
「……………………」
「お嬢ちゃま、どうかした? 顔色悪ぃけど」
…………この洞窟の物語を、わたしが作るならば。
かつて、ここには人間と仲の良いゴブリンが住んでいた。人間たちがくれたものや、人間たちの出したゴミから色んなものを作って、時には村の子供たちとオモチャで遊ぶこともあった。
そこに目を付けたのは人喰いのオーガ。オーガはゴブリンたちが人間と交流していることを知り、洞窟の下に移り住んだ。そして彼らが連れてくる子供たちをひとり、また一人と食うようになった。
……オーガの部屋の奥底にあるオモチャだらけの部屋。ゴブリンたちが、子供たちのために作った最後の部屋。まるで天国のような部屋───。
洞窟から出たわたしたちの前に、一匹のゴブリンが駆け寄ってきた。
アラクランがすぐさま剣を抜こうとするのを「待って」と制して、わたしはその子の前に屈む。敵意は感じられない。くりくりした大きな目に、ゴブリンがいっぱいの涙を浮かべていることに気付いた。
「……ごめんね。あなたの仲間はわたしたちが」
「キキッ」
ゴブリンは両足をばたつかせた。怒っているようには見えない。いや、多分……その逆、なのかな?
わたしの言葉を遮ったゴブリンは、わたしの方に細長い腕を差し伸べた。手のひらをぐっぱ、ぐっぱとやって、首を縦に振っている。
「握手……? ってこと?」
ゴブリンはたしかに頷いている。
「…………」
ゴブリンの手に、わたしの手は大きすぎる。わたしが人差し指だけを差し出すと、ゴブリンは四本の指でわたしの指をきゅうと握り締めた。それから小さな声で、「アィ、……アィグァ、トォオ……」と鳴いた。
「……!」
「アィグァ、トォオ。アリ、アリ……ガ……」
「…………うん」
ゴブリンはニィ、と口角を上げた。
笑った顔は魔物というよりも、人間の子供にそっくりだった。
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