─2─ 再蕾




 ◆


 ここはいつ来ても『何も無い』。

 今や見る影も無いビル群と、その足元に散らばった無数の機械。

 この世界の人は『六天遺跡』だなんだと呼んで有難がっているが、特別人が寄り付く訳でもなく、観光地にされることも無い。

 この遺跡のことを、大半の人はよく知りもしないまま生きて、知ろうともしないままに死んでゆく。


 嘘みたいに眠い日だった。

 俺は元々朝が得意な方ではないけれど、それでも「やる」と言ってしまったからには遺跡の巡回は俺の仕事だ。

 と言ってもここにあるのはガラクタだけ。白んだ空に塔が伸び続けるのをこうしてたまに眺めに来て、妙な侵入者に出会すのだってひと月に一回も無いくらいだ。

 そう言えば、最近は緑の髪をした細い男の子も見かけなくなった。ガラクタを集めに来るだけで、遺跡に何か悪さをしていくわけではないからどうでも良かったけれど。


 帰ったらコーヒーを飲もう。耐え難いほど重い瞼を擦り、俺は四回目の欠伸をした。

 何が悲しくて三日に一回、貴重な朝の一時間をこんな場所の見回りに使わなければならないんだろう。───俺にこの仕事を押し付けた人も、今はもうその事すら覚えていないのに。


「……ん?」


 遠くになにか、人影が見える。

 さっきまで誰もいなかったはず。

 女の子だろうか。随分小柄に見えるその影は、小動物みたいにチョロチョロと塔の周りを駆け回っている。

 俺は目を凝らしてじっとその影を追って───……、やがてその人の『正体』に気付いた時には、声を出すより先に塔を飛び降りていた。




 ◆




 英知の部屋にあった『ポータル』は一見ただの姿見のことで、あるパスワードを入力することで遺跡に繋がるという優れものだった。

 わたしが起きたとき既に英知たちは依頼に赴いて不在だったから、彼の部屋にあった端末でソウビに何度も連絡をして(人はそれを『鬼電』と言うらしい……)なんとかそのパスワードを聞き出したというわけ。

 ソウビはわたしの我儘ならある程度受け入れてくれる、心の広い人だ。わたしが『鬼電』した時も依頼人の前だったらしいのに、わざわざ席を外してポータルの使い方まで説明してくれた。多少声音は苛立っていたけれど……。


「ぜろ、はち、にぃ、さん」


 姿見に付いたボタンを順番に押して、鏡面に両手と額をくっ付ける。

 そうして目を閉じて……心にあの風景を思い浮かべる。


 六つの塔。

 空に伸びる螺旋階段。

 足の踏み場も無いくらいに散らばった、旧文明の遺産。その、すべて。

 ───今でも深く、わたしの心に刻まれたままのあの映像。たくさんの人。たくさんの声。賑やかな街が少しずつ歪んで、おかしくなって、台無しになっていくそのさまを。


 思い出して───……






「やあ。また会ったね」


 塔の周りをぐるぐる歩き回っていると、何周目かの時にポンっと後ろから肩を叩かれた。

 その人があまりにもフレンドリーで、自然に声を掛けてくるものだから、わたしはぱっと振り返るなり挨拶しようとしてしまったけれど……


 ───「この世には『ライターズ』を良く思わない奴なんて、ごまんといるんだから」


「えっ、あ……!」

「?」


 昨日のヨウの言葉を思い出し、拙い後退りで距離を置く。

 また会ったね……そう言った彼は目深に被った白の中折れハットを指で軽く押し上げて、「もしかして覚えてない?」と微笑んだ。長い前髪は真白く、その隙間から覗く両目は反対に、どこまでも真っ黒。光を少しも反射させない不思議な瞳を前に、わたしは上手く声を出せずにいた。

 彼は前を広げたジャケットの、襟ぐりを雑に引っ掻きながら「ふぅん。参ったな。俺って結構印象薄いんだね」と笑っている。


 白い帽子に、白いジャケット。このなんだかやけに馴れ馴れしい喋り方……、いつかどこかで…………。


「……あ」

「お! 思い出してくれた?」

「『リッターズ』」


 ───って、あのときラズロが呼んでいた。

 三年前、わたしを遺跡に寄り付いた悪い『ライターズ』だと思い込んでラズロが襲いかかってきた時、どこからか現れてそのフィールドを引っ掻き回していった謎の人。

 あの後ラズロとの戦いがどうなったのかは全然知らないけど、三年前のあの時と同じような姿のまま、白い帽子の人はわたしの目の前に立っている。

 一つだけ違うことと言えば、あの時持っていた大きな鉄槌が彼の手元に無いことくらいだ。


「『リッターズ』。うん、まあ、良いけど」

「お兄さん、名前は……?」

「秘密」

「変な名前だね」

「ッ、え? ああ、そういうボケ……? う、うん……君ってそういう所あったね。確かにね」

「わたしのこと知ってるの?」

「『また会ったね』って言ったろう?」

「……その『また』っていうのは、ラズロと戦った時の話とは別な気がする。違う?」

「…………、……俺が今までに話したコヒナちゃんの中では、君がブッチギリで鋭いよ。これは褒め言葉として素直に受け取って欲しい」


 ぞわり、とわたしの中で何かが蠢くような、震えるようないやな感触がした。

 鳥肌が立つのとは違う。全身の毛が逆立つ、みたいなのとももっと違う……。

 わたしの中にある何かを、それこそわたしの中に眠るあの『作品』を無理矢理引っ張り出されるような、わたしの中に踏み込まれるような嫌な感じだ。

 わたしが更に一歩退くと、反対にお兄さんは一歩詰めてくる。


 ……大きい人だ。わたしより頭一つ分以上は背が高いかもしれない。親父さんのような獣人族でもないはずなのに、わたしを自分より遥かに幼いなにかを見るみたいな目で、見下ろしてくる。


「……遺跡について調べに来たんだろ?」

「うん」

「少し時間がまずかったね。もうじきここには『黒点会こくてんかい』の連中が来る。『金烏亭きんうてい』の黒点会は、数年前にジェイダリア政府からこの遺跡の管理権限を買い取ったんだ。それからは連中が毎日ここを視察している。君が交戦したラズロちゃんも黒点会の所属だよ」

「冒険者がここの権利を持ってるってこと? なんで……?」

「さあ。それは黒点会のボス……スメラギに直接聞いてみないと」

「お兄さんはその人と会った事が無いの?」

「無いね。そんなことより」


 そ、『そんなこと』って!

 自分から色々情報を出しておきながら、お兄さんはあっさり話を切り上げた。

 にこやかにわたしへ手を差し伸べて、「こんな所にいても得られるものは無いし、俺と少し遊んでいかない?」なんて言い出す。


「早起きは辛くてさ。コーヒーでも飲みたいなとか思ってたところで君を見付けたんだ。付き合ってくれると嬉しいんだけどな」

「……」

「何その顔。どんどん引き攣っていくんですけど。面白いくらいに」

「……てません」

「うん?」

「今お金を持ってません」

「ああ、そんなこと? 良いよ。お茶くらい奢るし」

「知らない人についてっちゃいけません」

「知らない仲ではなくない?」

「〜〜〜っ! わたしは、その、えっと、ら、ライ……っだからあんまりちょっとそのやめた方が良くて! 警戒! そう! 警戒しているので!」

「ん? ……あ〜、大丈夫だよ。俺は『ライターズ』を傷付けたりしない。誓ってもいい。それに君が『警戒』とやらに熱心なら、どうかな、俺と契約してみるのも良いと思うんだけど」

「う、ん……??」

「『ライターズ』が自分を守る為に『リッターズ』と契約してるなんてよくある話だよ。聞いた事無い?」


 聞いた事無いも何も、わたしの他の『ライターズ』をわたしはよく知らないし、『リッターズ』だと呼ばれている人を実際に見たのもお兄さんが最初だ。

 わたしが知らないだけで実は英知やリンがそれらに該当するのかもしれないけど、ヨウが言っていた通り、人はわざわざ自分が何者であるかを明かしてくる事は無い。それだけ、『ロール』を明かすことにメリットが無いのだ。


 この人の手を取って良いのか、ポータルまで逃げ切ってしまうべきなのか。

 考える時間はきっと長くない。お兄さんがちらちらと周囲を警戒し始めたから、きっと『黒点会』の冒険者が現れる時間は近いんだろう。


「……『リッターズ』って呼ばれて、否定しないのはなんで?」


 わたしはあまり頭が良くない。

 だからこの質問も、あまり意味を成さないのかもしれない。

 けれどわたしが思うに、ロールを明かすことにメリットが無いのなら、人はもっとはぐらかして主張を控えるはずなんだ。ヨウみたいに話を逸らしたり、リンみたいにそもそも全く触れなかったり。だから、この人がそのどちらでもなくむしろ『契約』なんて話をし始めるのはつまり、ロールを伏せる必要性を感じていない───明かすデメリットがハンデにならないくらい、自分の強さに自信があるということだ。

 そして案の定、彼はあっさりと頷いた。


「自分で言うのも何だけど、俺は結構強い方だと思うよ。だから安心してもらっていい。『リッターズ』も『リッターズ』でそこそこ目の敵にされることがあってね、俺を狙ってくる『キャラクター』も少なくはないけど、まあ五体満足でこんなにピンピンしていられてるのを俺の実績だと思ってもらえれば良いんじゃないかな?」

「強いから否定する必要が無い、ってこと?」

「まあそうなるね。そんな言い方だと自慢みたいで、かえって弱そうに見えるかな」

「ううん……、…………わかった。それならお兄さんに頼みたいことがある」

「お、良いよ。コヒナちゃんの為ならなんでも」


 わたしが彼の手を取ると、彼は恭しく片膝をついて見せた。

 ほんとうの騎士リッターのように頭を垂れて、「何が欲しいの?」と不敵に笑う。


「仲間…………」

「うん?」

「冒険者になるために、仲間が欲しいんだ。ある人に『冒険者を辞めろ』って言われて、それで、どうすればいいのか困ってる。わたしはどうすればいいのか、考えるためにここに来た」

「…………」

「ここでお兄さんと会ったってことは、たぶん、わたしは冒険者を辞めちゃいけないんだと思う」

「どうして?」

「……ここで見つかるものは、まだ使えるものだから。全部」

「ふ……ッ、……あは、アハハッ! なるほど! なるほどね、うん、うん……分かったよ! 君にとっては俺も遺産のひとつに過ぎないわけだ!」


 ───随分失礼な物言いをしたのに、お兄さんは嬉しそうに笑っている。わたしを見つめて、どこか懐かしそうに眉を下げて……。


「俺は『マッドハッター』。当然本当の名前じゃないけどね。よろしく、コヒナちゃん」

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