‪√‬K Chapter:1

─1─ I 障壁 You

 帰ったら話すって言われたけど、結局宿に帰ったらすぐ「大丈夫か!」って親父さんが駆け寄ってきて、ナタばあさんはわぁわぁ泣きながら「ごめんね、ごめんね……」と繰り返していて、なんだかそれどころではなくなっているうちにユウジンの姿は見えなくなっていた。


 あれからマシューさんはヴァデロンの自警団に取り押さえられて、精神病院へ行くことになったそうだ。

 ナタばあさんはなんにも知らなかったらしい。真面目だった息子が、仕事のストレスから違法な薬に手を出して、自暴自棄の日々を送っていたこと。なんにも。

 息子の噂がたちまち広まって、ナタばあさんの姿を見なくなって一週間が経った。心配になって手紙を出したけど、郵便屋さんが「宛名が違う」と言って持ち帰って来た。そんなはずは無い、ナターシャ・バルトさんは二丁目の五番地、ハトのレリーフがあるポストの家だと伝えた。でも郵便屋さんは首を横に振る。


「その家は売りに出されていますよ。家庭菜園をやっていて、畑もそのまんまになっていたから、きっと高値が付いてるんじゃないかな」




 わたしは変わらず親父さんの手伝いをする日々を過ごしていた。

 ちゃんとお給料も出るし、あれからわたし宛の依頼は一つも来ていないけれど、別に生活に困る事は無い。

 宿にいればご飯があって、寝る所もあって、お湯にだって好きな時に浸かれるし……そう、別にわたしは冒険者なんてやらなくても特に困りはしないのだ。


 今日もテーブルを全て拭き終えて、椅子を上げ、扉の看板を『CLOSED』に置き換える。欠伸をしながらカウンターに戻って、隅の席で酔い潰れているお客さんの肩を揺すった。


「先生、お店閉まるよ。もうおしまいだよ。起きて」

「ん、ぐぅ……」

「先生! ヨウ先生!」


 ああもうダメだこれ! わたしは遠慮無く彼の首に手刀を一発叩き込んだ。

 すると彼はドタバタと足をばたつかせて、首を懸命に触りながら、何事かとスンスン鼻を鳴らしている。一体何をしているんだか。サイレントに大騒ぎできるのも才能だな……なんて冷めた目で酔っ払いを見つめた。

 やがてその人はがばり! と顔を上げ、濃い隈の残る目元を擦って「いよぅ」なんてにへらと笑う。

 髪の半分くらいは若白髪で、グラデーションにわざと染めているのだと言われれば信じてしまいそうなくらい、彼の癖毛は綺麗だった。何よりその言い分が通じるほど、彼は結構なお洒落さんだった。ストライプのシャツやがっちりした厚底のショートブーツを完璧に組み合わせる人を、わたしはこの人以外に見たことが無い。


「ヨウ先生、今日は泊まっていくの?」

「いんや、大丈夫だ。歩いて帰るよ。ありがとうね、コヒナちゃま」

「わたし送って行こうか?」

「えッなんで?!」

「酔っ払いが歩くの心配だから」

「大丈夫、大丈夫! 酔っ払い慣れてるから! 俺の帰巣本能ナメないでくれ。どんだけ泥酔してても必ず布団に辿り着くから。まァいっぺんだけ病院の布団だった事があるけどね……」

「わかった。送って行くよ」

「冗談だって冗談ッ! ちょっと何上着羽織ってんの?! こんな時間に女の子を歩かせるわけ無いでしょうが!」

「なんで? わたし冒険者だよ」

「辞めたんだろ?」

「辞めてない」

「嘘だァ。親父から聞いたぜ。ユウジンさんに辞めろって言われてから大人しくしてんだろ? なんか事情は知らんけどさ、まァ良いんじゃないかしらん。俺はコヒナちゃまに接客してもらうの、好きだけどねえ。ずうっとここにいて欲しいくらい」


 褒められているはずなのに、なんだか胸の奥にグサッと来る。

 わたしの怪訝な表情を察してか、ヨウは「座んなよ」と隣の席をぽんと叩いてみせた。

 彼は自称。書いている姿なんて実は一度も見た事が無いけれど、わたしはこの『変だけどちょっとかっこいい謎のおじさん』と話すのが好きだった。




 閉店後の宿のカウンター。

 明かりは燭台の蝋燭ひとつきり。

 僅かな風に揺れる光に、やわく照らされるヨウの唇が「なるほどね」と呟いた。


「結局ユウジンさんとはあれからなんにも話してないわけだ」

「うん。だって話をするって言ったから、必要なら向こうから声掛けてくると思って」

「コヒナちゃまはいつもキッカケが他人任せだねぇ」

「え?」

「冒険者になると決めたのは英知くんに頼まれたからで、リン兄とやらに新しい仲間を自力で探せって言われたらそれも頷いちゃって、挙句ユウジンさんに辞めろと言われたら反論もせず詳しい話も聞きに行かずそれきりフェードアウト」

「うっ……」


 こうして並べ立てられるとなんというか……、なんというか、わたしって本当に何もしていない。

 ユウジンに会っていないから、ユウジンが会いに来ないから話をできないんだと思ってた。でもよく考えなくたってわたしはユウジンの部屋を知ってるし、そうでなくともリンに訊ねればユウジンまで取り次いでくれたかもしれない。

 汗ばんだ手で、スカートをぎゅっと握り締めた。───『六天遺跡』。あの地で見た旧文明の姿は今でも鮮明に思い出せる。あの世界を救うためにわたしに出来ることがあるならやってみようって、思ったのは本心のはずだ。


「……ユウジンはわたしと話をしてくれると思う?」

「そうだなァ。俺はコヒナちゃまより彼の方が歳が近いからね。ま、なんとなく彼の思惑は察しがつくよ。ただ、彼はそれを決してコヒナちゃまには言わないだろうけど」

「えっ! な、なにそれ。思惑ってなに……?」

「俺だったらね、人に言われて辞めちゃうくらいならさっさと辞めちまえって思うんだ」

「…………!」

「なんでか分かるかい? 危ないからだよ。夜に女の子が歩くのは危ない。一人で男の家に上がるのは危ない。よく考えもせず下調べもせずなんでもハイハイって人の頼みを請け負うのは危ない。だから『辞めろ』って強い言葉をかけられて、それでションボリ辞めちまうくらいの気概なら初めからなんにもやらなきゃいいのさ。でも、それでもどうしてもって、なんで辞めろなんて酷いこと言うのさ! って噛み付いてきたら、俺はこう思う。『話をしてやっても良い』ってね」

「え……え? 話をするって言ったのはユウジンなのに? すごい上から目線、じゃない? それ……?」

「上からだよ。当たり前じゃねえか。俺たちはコヒナちゃまより長く生きてるんだもの。危なっかしいことしてたら口出ししたくなるのも当然じゃない」

「…………ヨウ先生って本当にユウジンに会ったこと無いんだよね?」

「無いね」

「なんでそんなにユウジンの気持ちがわかるの?」

「作家だからじゃない?」

「…………」


 わたしは少し考えて、それから「ねえ」とヨウの方へ体を近付けた。


「先生って……『ライターズ』なの?」

「おっと」


 今度はヨウが椅子の上で大袈裟に体を引いた。それから困ったように苦笑いして、大きな手を顔の前でひらひら振ってみせる。


「『ロール』を軽率に打ち明けるのはどうかと思うぜ……。この世には『ライターズ』を良く思わない奴なんて、ごまんといるんだから」

「そうなんだ」

「そうだよ。大半の人間は何も作らなくても、何も夢想しなくても、何も発信しなくても生きてゆける。俺たちは無駄な事をしているんだ。たった一つの事を伝える為だけに何千、何万の文字を使う。人生の大半をそれに費やして、最悪、全てを失いながらもなんにもなれないことだってある」

「……やっぱ『ライターズ』なんじゃん」

「そうだとも! ていうか俺ほど懸命に作家やってる男がライターズじゃなかったら逆に首吊って死んでやるね!」


 直近で「死んでやる」って騒いで大変なことをした人をわたしは見ているから、その冗談はちょっと笑えないんだけれども……。

 わたしが顔を引き攣らせていると、「まァなんだ、コヒナちゃまがどうしても冒険者を続けたいなら、自分でちゃんと話をしに行ったら良いよ」とヨウは至極真っ当なことを言った。


「俺は気に入らん決定にはいつも噛み付きに行く性分でね。若いうちしかそのパワーは無いんだから、使って損は無いと俺は思うけれど?」

「……うん」

「って、俺が言ったから『じゃあ話してみます』ってんじゃ元も子も無いからね」

「?! じゃあどうすればいいの?!」

「いっぱい考えなよ。十日遅しとせず。……昔世話になった人が言ってたんだ。『猛然やりたい日が来る。その日が来るまで待て』」

「十日も待ってたら落ち着かないよ」

「現に一週間もユウジンさんは待ってくれてるんだ。大して気にしちゃいないと思うがね」




 ヨウはそれから二つ三つ、全く関係ない世間話を十分ほどして、漸く店を出ていった。

 教会のミサに寝坊すると良くないと言って帰って行ったけど、彼がミサに行く為には家であと四時間も眠れない。きっと寝坊だろうなあ、と笑って背中を見送った。


 ───そうだ。わたしも早起きして、『六天遺跡』に行こう。今度はもう一度、一人で。

 あそこへ行けばわたしの気持ちもはっきりするかもしれない。旧文明や、別世界線のことをもっと知れるかもしれない。

 たしか英知の部屋に、遺跡に繋がるポータルを設置したと、この前ソウビが話していた。わたしが冒険者を辞めろと言われた話は勿論彼らも知るところで、そのポータルが『腐る』とかなんとか、二人が口論しているのも見掛けた。その時はなんだか気まずくて声を掛けられなかったけど、朝にまた英知に相談してみたら、彼は協力してくれるかもしれない。

 そうと決めたら今日はさっさと寝るに限る!

 わたしは後の片付けを済ませて、階段を駆け上がった。部屋に飛び込んで服を脱ぎ捨てて、一刻も早く眠ろうとベッドに飛び込み、目を閉じる。

 あれこれ考えているうちに、すっかり眠くなって、頭の中がぼんやりしてきた。やっぱり考えることは苦手だな……そう思いながらわたしは一つ寝返りを打った。

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