─3─ 狂!謀!
ポータルを使ってお兄さんまで宿へ連れて帰るのはちょっとなあ……と思い、「そういえば、お兄さんはここへどうやって来てるの?」と辺りを見回す。
見渡す限り遺跡、遺跡、遺跡───終わりが無いように見えるこの場所も、歩き続けていればどこかへ辿り着くのだろうか。
するとお兄さんは、首に吊るしたペンダントをシャツの下から引っ張り出して、そこへ括ってある青白い石を揺らしてみせた。得意気にウインクする彼は、「これが無きゃろくに移動できなくてね」と笑う。
「この世界は無限に拡がり続けるんだ。かと思えばある日突然『穴』が生じることもある。昨日まであった森が一夜にして更地になっていたり、誰でも知ってる大きなお屋敷が全く別の場所に転移していたりね。だけどそれを多くの人は覚えてないんだ。そこにあったという事実を、誰も思い出せない。頭に靄がかかったみたいに……とこの辺は話が逸れちゃうな。ともかくこの世界で無事に移動するなら『ポートストーン』は必須アイテムだよ。雑貨屋でも普通に売ってる。消耗品だしね」
「初めて見たかも。そんな便利なものなのに、使ってる人をほとんど見ないのはどうして?」
「普通に暮らす分には歩いたり馬車を使ったりする方がラクだから。俺みたいにこんな所へしょっちゅう顔を出す用でも無い限り、体力を消耗してまでマジックアイテムを使うメリットは無いだろ?」
ふんふん、なるほど。
お兄さんは熟練の冒険者っぽいけど、そうか、冒険者はこういうマジックアイテムを日常的に使っているわけか……。
わたしは至って真剣に頷いているのに、お兄さんはそんなわたしを見下ろして、それからちょっと呆れたように肩を竦めた。
わたしが目で追うのを弄ぶみたいに、ポートストーンを左右にゆらゆら、くだらない催眠術のように揺らしながら。
「『ある人』が君に冒険者を辞めるよう言い付けたのも納得するよ」
「どういう意味?」
「世間知らずにも程がある! 仕方無い。君の『
「それはとんでもなく余計なお世話……っ」
わたしが抗議するのも構わずに、お兄さんはわたしの手を取ってポートストーンを握り締めた。
白い光と、ふわりと体を浮き上がらせる穏やかな風を感じて、わたしは反射的に目を閉じる。
───さっきまでいた場所とは似ても似つかない、てんで違う地に降り立っている……。
石造りの、円形の大きな建物だ。天井はぽっかり穴が開いて、太陽光が燦燦と注ぎ込む。わたしたち二人はぐるりと配置された座席の傍に立っている。周囲の熱気は凄まじく、円の中心───だだっ広い運動場のような所へ向けて、皆は拳を振り上げ、歓声を飛ばしているのだった。
「ここは?!」
隣にいるお兄さんにさえ声が届かないような、それはもう物凄い喧騒!
わたしが必死に声を張るのに対して、お兄さんは至極冷静にわたしの耳元まで腰を屈めて、「『フレイヤ闘技場』だ。カラットで一番デカい闘技場でね、毎週末はここで力自慢がひたすら殴り合ってる」と説明した。
「なんでこんな所に?」
「ご主人様に俺の力を知ってもらうため」
そう言った彼は流れるように跪いて、わたしの手の甲にキスを落とし───
「……と、紹介したい知り合いをご覧に入れるため。かな?」
「さァ〜〜ッここまで数多の挑戦者を吹っ飛ばしてきた新型鉄巨人! 凄いッ! 凄いぞォ! 猛威を奮い実に二十連勝中ッ! こいつを止められる挑戦者は一体現れるのかァーッ?!」
「俺が行こうッ!!」
えっ……とわたしが止めるまでも無く、お兄さんの声が喧騒を切り裂いた。
一瞬の沈黙、そして───
「うおーーーーッ!!」
「いいぞ! いいぞやっちまえーッ!」
「おおおッと〜〜?! 名乗りを上げたのはあいつだ! 今週も何処からかやって来た!! 神出鬼没の狂った帽子屋!! 彼が今、観客席から名乗りを上げたァァ〜〜!」
客席は一気に大盛り上がり。わたしの頭はぐわんぐわん、割れそうになるくらいの熱狂っぷり。
ここの常連ってことかよ……とわたしが呆れているうちに、彼は助走をつけて駆け出すと、人々の視線を背中に集めてフィールドへと飛び込んで行った。
「ハッター! ハッター! ハッター!」
分かりきっていたようなコールの嵐。
ドリンク販売の売り子のお姉さんですら、仕事をほっぽり出してうっとりとお兄さんを眺めている。
お兄さんは場にそぐわない優雅な所作で帽子を取り、その長い腕を広げて深々と観衆へ頭を下げた。舞台に立つ役者さながらの振る舞いは、人々を更に興奮させる。
お兄さんはポートストーンを手に、空を裂くように腕を大きく横一文字に払った。すると彼の手に、あの巨大な鉄槌が現れる。
観衆たちにとってもそれは最早見慣れた『帽子屋の得物』らしい。口笛が色んな所から聞こえてきて、お兄さんは気さくに手を振り返したりしていた。
「ポートストーンはアイテムも転移させられるってことか……」
わたしはどこか冷静に彼の姿を見下ろしていた。
彼がここに来たのは、自分の実力をわたしに見せつけるため。知り合い……というのはまだよく分からないけど、兎にも角にも、わたしにこの世界の常識を叩き込もうとしてくれているのだと思う。
「『冒険者研修』って感じだ」
「おや、あなたは……」
静まり始めた観客席。
いよいよ始まろうとする戦いに皆が固唾を飲む中で、コツン、と一つの足音がわたしの後ろで止まった気がした。
振り返ったわたしの前にいたのは、特徴的な赤い三つ編みに、ピシッと皺一つ無い黒服を纏った少女───「ラズロ」と、わたしはすぐに彼女の名前を呼んだ。
「……お久しぶりですね、コヒナ。お元気そうで何より」
彼女の言葉に嫌味は感じられなかった。
本当にわたしの身を案じていたような、わたしが元気で嬉しいと、心の底から思っているような柔らかい声音だった。
思わずラズロに駆け寄って、わたしより少し背の高い彼女の手を取り、「本当に久しぶり!」と笑顔で答える。彼女は驚いて、一歩左足を退かせたけれど、わたしから視線を逸らしたりはしなかった。
「あ、あのね! ラズロのこと聞いたんだよ。黒点会に所属してる冒険者……」
「ええ。改めてきちんとご挨拶させて頂きましょう。私は金烏亭の黒点会に所属しております、名をラズロ・ロス・メルタ。黒点会はジェイダリアの『環境保全』のために様々な依頼をこなす冒険者パーティーです。三年前、あなたを襲撃したのは六天遺跡の保護の一環。その節は申し訳ありませんでした」
「え! い、いいよ。別に後遺症とか何も無いんだ。手もほら、こんなに普通だし。わたしの宿の『ヒーラー』は腕が良くて」
「あなたにも仲間がいるのですね。それは良かった」
「あ、えっと……ううん。まだ仲間はいないんだ。ていうか冒険者なのかどうなのか……それもよく分からなくて」
「相変わらずあなたは何を仰っているのか、いまひとつ分かりづらい人ですね」
ああ、ラズロが首を傾げてしまった……。
それもそのはず、わたしだって自分の状況が未だによく分かっていない。あれをしなきゃ、これをしなきゃ、こうした方がいい、でもあれはダメ……みたいなものが頭の中にずっとあって、手探りでただ前へ歩いているだけ。
……それが本当に『前』を向いているのかだって、分からないままに。
わたしの様子を見ていて、ラズロも何か思う所があったらしい。
彼女は近くに空いているベンチを見つけて、わたしにそこへ座るよう促した。ここからならフィールドもよく見える。こんな大迫力の特等席が空いているなんて勿体無い。『鉄巨人の圧勝』に飽きて帰っちゃった人でもいたのかな。
「あの帽子屋と手を組んだのですね」
「手を組んだ……? う、うん。まあそうなのかな。ライターズなら守ってくれるリッターズがいた方がいいって言われて、契約? をしたんだ」
「それは書面の話ですか? 金銭が絡む契約ですか?」
「はい?」
「……まさか口約束?」
「よく分かんないけどそんな感じ……? 口で約束したから口約束だよね?」
「…………」
あ、ああ……ラズロがますます首を傾げて……というか頭を抱えてしまっている……。
「鉄巨人!
闘技場ごとバリバリ震えて、そのまま崩れ落ちるんじゃないかってくらいの大歓声。
鉄巨人の振り翳す拳へ、果敢に飛び移るお兄さんの姿。
「……丁度良い。あなたが『何』と契約したのか、見届けるに相応しい機会です」
「『何』、と」
「我々はジェイダリアの環境保全の為に活動していると話しましたね。この世界には三種類のロールが存在します。ライターズ、リッターズ、そしてキャラクター。何が欠けてもならない。しかし、それぞれは自分の
目を閉じて、一息置いて……ラズロはこう続ける。
「彼はその性に実直に従う。リッターズの中でも獰猛で、情緒を解せぬ者。『キャラクターキラー』です」
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